第五話 友達
早退届は案外あっさりと受理された。自分が将棋の棋士だからという理由もあるのかもしれない。
早退の理由に、将棋関係の仕事があるからと書いたが、そんなのウソだ。
ただ単に今教室にいるのが精神的につらいからだ。
家に帰ると、早速将棋盤を置いた。
対四間飛車の定石を指していく。
そして、定石を進めて、仕掛けが始まるタイミングで、手を止めた。
これが従来の定石で、ここからさらに良くする方法を編み出さなくてはならない。
前敗北した相手、谷崎王将は四間飛車の使い手で、前はこの変化から新たな作戦を打たれなすすべもなく敗北した。
AIを駆使して対処法を考えなければならない。
当然これは全て言い訳だ。
将棋を理由に早退したからには、将棋を指さなくては。
リサの事を忘れるためにも。
だが、手が動かない。将棋の駒を手に取ろうとしても、手の震えが止まらないのだ。
「ああ、もう」
竜輝は将棋の駒を手に取り、軽い力で下に打ち付ける。
研究に実が入らない。
スマホをふと見る。追加でメールが三件来ていた。
『もしかして気に病んでる? 教室を飛び出ちゃったこと。大丈夫だよ、私たちはそんなんで立花君を嫌わないから』
『あれ、既読無視? 悲しいな……笑』
『気にしなくていいからね。ゆっくり休んでね』
全部リサからだ。
だが、竜輝には到底返す気にはならなかった。否、返せなかった。
「田島さんとのことは夢だったんだ。……そう思った方が良い」
きっと月曜日にはまたただのクラスメイトになっているだろう。
それはそれで諦めよう。
リサの期待を裏切った自分が悪いのだから。
そして土曜日も一日中将棋の研究に没頭していた。
失ったものを忘れるかのように。
(僕には将棋しか生きる道がないんだ)
将棋を失ったら、竜輝はただのコミュ障のやばい奴になる。
それだけは避けたい。
もう、リサとの関係を修復できないとなったらもう将棋で全タイトル制覇を目標にしないと。
そう、もうリサの事は記憶から抹消するのだ。もはや敵わない夢だったと昭園手。
次の対局日は近い。それまで時間がない。
次の対局は、また棋聖戦の予選がある。
棋聖戦はトーナメントだ。
一戦でも負けたらその年にタイトルを取ることはほぼかなわなくなる。
まだ一次予選だけど、頑張らないといけない。
そんな時、ふと睡魔に襲われた。
よく考えたら前日は夜に不安で中々眠れなかった。
結局二時に寝て、八時起きだ。
六時間しか寝てないんじゃそりゃ眠たくなるかと思い、軽い睡眠をとるためにベッドに寝転がった。
★
そして、彼ははっと目が覚めた。
スマホを見る。もう七時だ。一時に寝たのだから五時間以上も寝ている計算だ。
「僕はこんなにも疲れてたんだな」
そう、竜輝はぼそっと呟く。
「どうしようか、もう」
そんな時インターフォンの音がした。ふと後ろを振り向く。
別に、宅配便など頼んでいない。だとしたら考えられる選択肢は一つ。強盗だ。
わざわざ竜輝の家に行くもの好きはいないだろう。
ピンポーン
ピンポーン
インターフォンの音は鳴りやまない。
これは、強盗か? やはり強盗なのか?
そう、竜輝が考えると同時に、「立花君!!」
そう、自分を呼ぶ声がした。ドアの向こうからだ。
竜輝をそう呼ぶ人は一人しかいない。リサだけだ。それに声も、リサの声の感じがする。
竜輝はそのリサの声に一種の懐かしさを覚えた。
スマホを見ると、リサからの鬼メールが届いていた。
爆睡してる間にこんなにメールが届いていたのか。
「とりあえず向かわないと」
そう呟き、玄関に行く。
竜輝が玄関のドアを開けたとたん、一人の女の子が飛び出してきた。
いきなり抱きついてきたりはしなかったものの、その勢いに竜輝は思わず後退りしてしまう。
だが、それもお構いなしに、リサは
「私、やっぱり失敗しちゃった?」と竜輝の肩を掴みながら言った。
竜輝はそれに対してどう返そうか迷った。どう考えても失敗したのは竜輝だ。
リサに責任はない。ただ、迎合できなかっただけだ。
竜輝は、少考の後、あがってくださいと言った。
流石に寒い中立たせるわけには行かなかった。
六月だからそこまで寒いわけでは無いのだが。
「それで、……」
そこまで言った所で、竜輝の言葉は止まった。
今日は何をしに来たの? と訊こうとしたが、その答えは分かっているし、放っておいてよと言っても、彼女は竜輝のことを放ってはおかないだろう。
「僕はあの日、田島さんの期待。いや、田島さんが僕のためにやってくれたことを裏切ってしまったんだ。僕の弱さのせいで……」
そう言って一息ため息をつき、将棋盤の上に頭を垂れる。
「僕は、弱いんだ」
「ううん」
リサが竜輝の背中を優しくさする。優しく竜輝の言葉を否定してくれる。
「なんだろうと思ったらそんなことで悩んでたのね」
「そんな事じゃない……」
「私こそ悪いと思ってたんだ。だっていきなりあれはきついと思ってたんだから」
「いや、普通だったらいけてたはずだよ。僕が弱いから」
自分にコミュ力がないのがいけないのだ。
「ねえ、立花君。……私は別に立花君を責めてないし、私は立花君の敵じゃないよ」
「……」
敵じゃないのは分かっている。味方のはずのリサの助けを物に出来なかった自分を責めているのだ。
「田島さん。……僕には一生友達ができないのでしょうか……」
思わず弱音を吐く。
「僕は罪悪感を抱いているんです。せっかく田島さんが手伝ってくれるのに、それを生かしきれてないんです」
「罪悪感なんて抱かなくてもいいから、私たちもう友達でしょ?」
「……友達?」
考えたことがなかった。
「僕たちはその、互いの協力関係で、それで僕と田島さんは勉強とお金を交換し続けていてそれで僕と田島さんは、友達か友達じゃないかと言えば友達じゃない関係だと思うし、それに――」
「早口ストップ!!」
リサが竜輝の口をふさぐ。もぎゅっと言葉にならない声を竜輝は出す。
「確かに今の私たちは互いを利用し合っている感じだけど、でも、それでいいの。だって、それと友人関係は違うもん」
「……そうは言われても」
「理屈じゃなくて、私と一緒にいて楽しい? 楽しくない? どっち?」
「た、楽しいです」
「ならそれが友達だよ」
「……」
竜輝にはその理屈が理解できない。だって、自分と一緒にいて楽しいと言ってくれる人なんてほとんどいなかったのだから。
「僕は、僕は、」
「私は竜輝君のことが好きだよ」
「え?」
その唐突な言葉に、竜は動揺した。
「あ、勿論友達としてだよ」
「そ、そうですか」
ですよね。
「でも、嬉しいです。僕に対してそんなことを言ってくれる人なんていなかったんだから。知っての通り、僕には友達なんてできたことがなかったんだから」
そんな竜輝の手をリサが取った。
「なら、私が最初の友達だね」
そう言ってリサが笑う。
その笑顔を見て、竜輝もまた笑うのだった。




