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【二〇XX年 五月五日 火曜】
東京都 目黒区大橋 都立慶馬高等学校
昨日と同じで部室でギターを弾く。
連休だが一生懸命部活動に打ち込む真面目な学生なのだ、俺は。
ちなみに部長の延髄はかろうじて踏み留まり蹴ってはいない。
だってそんなことマジでしたら大変だもの、周囲に迷惑かけるし、海外の両親を泣かせるだろうし、学校の評判も悪くなるかもだもんな……。
逆にそうした悪い影響が一切ない場合、マジで一発くらいやるかもしれない。
冗談はさておき、今日も今日とてギターを弾く____つもりでいたが、そんな雰囲気ではないと不確かな予感が胸をよぎったのは、一歩部室に踏み入れてすぐのこと。
ギター部というギターの演奏に特化した部活、部員は俺を含めて三名しかいない。
俺と部長、そして副部長。
部室には三人の女子生徒がカウチソファーに腰を落としていた。
一人は慣れた感じで自分の部屋で過ごしているように深く腰掛け、長い脚を組んでいる。
一人は浅めに座り、人数分のマグカップを用意しながらほんわかとしか表情をしている。
そしてもう一人いる。
険しい表情で緊張している少女、見慣れない顔だ。
この部室でこの顔を眺めるのは初めてだが、彼女を見るのは初めてではない。
「あら稲本くん、ベストタイミングね。そんなところで突っ立ってないで早く入りなさい。あっ、今の『突っ立って』というのは男性器の勃起のことではないわ」
「マジで延髄蹴り飛ばすぞ」
人としての良心がいとも簡単に崩れそうになる。
俺の精神面が未熟なのか、過度なストレスのせいなのか。
「あっ、稲本くんだ。稲本くんの飲み物も今用意するね〜」
「ええ、ありがとうございます……」
副部長はいつも通り。
一つ違うのは、部長の隣に腰掛ける少女。
少女といっても俺より年上だ。
より情報をまとめると、部長と副部長とは同級生、学年は俺より一つ上なので二年生。
見慣れない少女の正体についてそこまでわかる理由だが、彼女を入学式で見たことがあるからだ。
「部長、この人って……」
「あら、見たことないかしら? 入学式に出ていたのならわかるはずよ」
「確かうちの生徒会長……ですよね。なんでそんな人がここに?」
入学式の生徒会を代表しての挨拶、会長という立場でそれをしたのは確かに目の前にいるこの人だ。
今まで言葉を交えたことはない。
この学園は人数が多いし、一年生と二年生では教室がある階も違うので、廊下ですれ違ったことない。
「……稲本拓弥くん、ですよね。はじめまして、八辻蕾です」
気まずい雰囲気を取り払ったのは、生徒会長さんのご丁寧な挨拶だった。
「えっと、はじめまして。どうして俺のことを?」
「さっきまで夏緒里たちと話をしていて、一年生の部員が一人いると教えてもらいました」
「あぁ、なるほど」
生徒会長、八辻蕾と名乗った彼女と初めて会話をした。
当然ながら、ぎこちない。
「私と蕾はなかなか長い付き合いでね、今日はGW期間で学校自体は休みではあるけど、相談があるからってうちの部室まで来たのよ」
部長は涼しげに脚を組み直し、マグカップに唇をつけていた。
つまり部長と生徒会長、この二人は仲が良いと。
互いに名前で呼び捨てだし。
しかし生徒会長の方からは強い緊張を感じるのは何故だ。
「稲本くん、これも何かの縁と思って欲しいの。もちろんお礼はするわ。男性である稲本くんにも蕾の悩みに耳を傾けて欲しいの」
「悩み?」
俺が知る部長は暇さえあれば平気で下ネタを言うような人間のクズ、クズから髄が伸びて手足が生えて歩いているようなもんだと思う。
だが生徒会長と友人で、強い結び付きがあるのか、俺に向けられた懇願の視線にはグッと来る力強さを感じた。
紺色のカウチソファー、真ん中にテーブル。
副部長の隣が空いていたので自然にそこに腰掛けたが、向かい側に部長と生徒会長が並んでいる。
そしてちょうど俺の真正面に生徒会長が座っている。
緊張なのか恥じらいなのか、彼女がなかなか目を合わせようとしないのは悩みを打ち明ける勇気が出ないからか。
生徒会長の頬はほんのりと染まっていていた。
そんな様子を見て痺れを切らした部長がポンっと肩を叩いて「ほらっ、いつまでもモジモジしていないで言ってしまいなさい」
「……大丈夫、だよね」
「少なくとも稲本くんは同世代の男子より精神的に大人びているし、信頼できるわよ。蕾の悩みも笑わずに耳を傾けてくれるはずよ」
どうやら俺の知らないところで、俺は部長からなかなか信頼されていたようだ。
普段の汚い面を知っているので、素直に喜べないが。
部長の後押しが勇気を生み出したようで、生徒会長は斜め下に傾けていた首をゆっくりと伸ばして目を合わせてきた。
「あ、あのっ……!」
潤んだ瞳から流れ落ちそうな雫をこぼさんと両膝に置かれた小さなが拳がグッと握られ、真っ直ぐな表情をぶつけてきたのだ。
そして、淡い桃色の唇を開いた。
「……私、もしかしたら……変態なのっ!!」
まだ五月。
そう、まだ、五月だ。
春とは言い難いが夏でも、梅雨でもない。
暖かい日はまああると思う。
まだ朝なので、外は明るい。
それなのに、ほんのわずかや時間、すべてが凍り付いて停止した。
そんな感覚に襲われた。
その感覚は決して長くなく、ほんの数秒で血の巡りは蘇る。
それでも長い数秒を経て、部室に木霊した生徒会長のカミングアウトのせいで季節外れの冷気に満ちた空間は元の状態に戻った。
「…………どういうこと、ですか」
我ながら冷静に、いや冷淡という表現の方が適切かもしれない。
当然のことながら、意味がわからないからだ。
変態という言葉の意味が理解できないという話ではなく、変態かもしれないとほぼ初対面の相手からカミングアウトされた経験がないからだ。
「稲本くん、突然のことで思わず凍り付いてしまうのは当然といえば当然よね。でも蕾はふざけているわけではないわ。この表情を見たらそれは理解できるでしょ?」
ほんの少しだけだが、生徒会長の表情は和らいでいた。
カミングアウト後、緊張から解放されたのだと思う。
ただ悩ましい表情であることは確かだ。
言うまでもないが恋に悩める乙女のそれではない。
「……いやだって、いきなり自分のことを変態って言いますか、普通」
「稲本くん! 肝心な部分を間違えてはならないわ。この子は『私は変態だ』とカミングアウトしたわけではない。あくまでも『変態かも』という悩みを吐露しただけよ」
正確に言えば部長の言う通りで、あくまでもそうかもしれないという話だ。
が、受け手である俺はただただ困る。
「とりあえず稲本くんなら私や夏緒里ちゃんにはない答えを出せるかもしれないから、お話を聞いてくれるかな」
そうこうしている間に副部長はいつもの通りカップをブラックコーヒーを注いで目の前に出してくれていた。
フォールディングテーブルの上に受け皿が置かれたことんという小さな音でそれに気付き、一言「どうも」と例を告げて取っ手に指をかけた。
熱々のコーヒーを少しだけ含み、口の中に広がる苦味を堪能して飲み込む。
そうすれば気持ちが落ち着くと思って試みたが、あまり効果はないようだ。
「……えっと、八辻先輩、でいいですか? どうして八辻先輩は自分のことを変態かもって思うんですか」
どの程度を変態とするのか、十人十色だ。
たとえば女性の綺麗な脚とか、胸とか尻とか、性的に魅力のある部位が好きだという程度なら誰にでもある"フェチ"という一般的な範疇に含まれそうだし、それをネタで変態だのと罵るのは親しい間柄ならあるだろう。
そういうのを本気で嫌悪感を持って変態だ変態だと罵るのがいたら、それはそいつがウザいで終わりだ。
見たところ八辻先輩は本気で悩んでいそうだし、なら他人にカミングアウトするのを躊躇うほど異質な性的嗜好があるのか。
「……たとえば、これ」
「え、ボールペン?」
八辻先輩はどこからともなくボールペンを取り出してそれをテーブルの中央に置いた。
何の変哲もない、ごくごく普通の黒色のボールペンだ。
「ボールペンが一体……」
「……これ、どう見ても普通のボールペンだよね。でも、でも…………どうしても、私には卑猥に見えてしまうのぉぉっ!!」




