4話
雨宮が教室を出ていってから、俺も鞄を持って学校を出た。校門の前には、見慣れた黒い車が停まっている。
俺が近づくと運転席の扉が開き、黒いスーツを着た後藤さんが降りてきた。今日は昨日と違い、予定時刻より五分も早い。
「お待ちしておりました、司様」
「今日は遅刻しなかったんだな、爺や」
「昨日の遅刻は私のせいではございませんが?」
「でも遅刻は遅刻だろ?」
「では、昨日勝手に雨の中へ飛び出し、電話にも出ず、全身ずぶ濡れで発見された件についてもお話ししましょうか」
「さぁ!早く帰ろう!今日も一日勉強を頑張って、俺はもう疲れたよ!さぁ、爺や。わが家へ帰るぞ~!」
後藤さんが俺のために後部座席の扉を開ける。乗り込もうとしたところで、高そうな黒傘が座席に置かれていることに気づいた。
「何これ?」
「傘でございます」
「それは見れば分かるよ」
「司様が生まれて初めてご自身でお持ちになる、記念すべき一本目の傘にございます」
「・・・いらねーよ」
「返品は受け付けておりません」
「買ったのは爺やだろ?」
「代金は司様のお財布から頂きました」
「泥棒!」
貼ってあった値札をちらっと見ると3万円だった。3万!?傘ごとぎが!?
ちなみに俺の財布から勝手に3万円を抜いた後藤さんは、何事もなかったかのように運転席へ戻っていく。
仕方なく傘を端へ寄せ、後部座席へ乗り込んだ。車が走り出したところでスマートフォンを取り出し、さっき撮影した書類を確認する。
死亡保険金、一億円。
受取人、雨宮咲。
そして保険会社は、九条生命保険株式会社。
九条財閥の御曹司が、九条生命の契約を調べる。こんなに簡単そうな仕事もそうそうないだろう。
俺は連絡先から、九条家の法務を担当している三枝さんへ電話をかけた。
『はい、三枝です。司様、いかがなさいましたか』
「調べてほしい保険がある。今から書類を送るよ」
『保険、ですか?』
「同じクラスの女子にかけられてる生命保険。契約が今も有効なのか、保険料は払われてるのか、それと現在の受取人を確認してほしい」
『お待ちください。その方から調査の同意は得ておられますか?』
「得てるよ」
『口頭でしょうか』
「うん」
『では、本人確認が必要です。いくら九条家でも、他人の契約内容を無断で開示することはできません』
「俺でも?」
『司様でもです』
「九条生命なのに?」
『九条生命だからこそです』
チッ。身内なら何でも見られると思っていたが、世の中は意外と面倒らしい。いや、俺が今まで知らなかっただけで、それが普通なのだろう。
「本人と電話が繋がればいい?」
『はい。ご本人様から同意をいただき、いくつか確認が取れれば、開示できる範囲でお調べします』
「分かった。少し待って」
通話を保留にし、今日登録したばかりの連絡先を開く。
雨宮雫。
試しに電話をかけると、呼び出し音が三回鳴ったところで繋がった。
『・・・何ですか』
第一声から、ものすごく嫌そうだった。おい、なんでだよ
「ちゃんと出るんだな、今どこだ?」
『駅です。これから病院へ向かいます』
電話の向こうから、電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえてきた。
「保険会社へ確認するために、本人の同意が必要らしい」
『もう調べてるんですか?』
「早いほうがいいだろ?」
『一週間かかるんじゃなかったんですか』
「一週間以内とは言ったけど、一週間かけるとは言ってないよ」
『・・・屁理屈』
「今から担当者へ繋ぐ。聞かれたことに答えてくれ」
『わ、分かりました』
雨宮の声が少しだけ変わった。さっきまでの面倒くさそうな声ではない。期待と不安が混ざったような、僅かに震えた声だった。
三枝さんを含めた三者通話へ切り替える。
三枝さんは雨宮へ名前、生年月日、住所、証券番号などを確認した。駅にいる雨宮は周りを気にしながら、小さな声で一つずつ答えていった。
最後に、契約状況を俺へ伝えることへ同意するか聞かれた。
『・・・同意します』
『承知しました。確認が取れ次第、司様へご報告いたします』
「どれくらいかかる?」
『通常であれば数日ほどですが、契約書類との相違確認だけでしたら、本日中には』
「今日中か。よろしく」
『可能な限り急ぎます』
三枝さんとの通話が切れ、雨宮と二人だけになる。
『あの・・・』
「何?」
『分かったら、すぐに教えてください』
「もちろん」
『本当に今日中に分かるんですか?』
「九条生命だからな、聞いてた通り今日中には分かるよ・・・多分ね」
『・・・お願いします』
それだけ言って、雨宮は電話を切った。画面に表示された通話時間は、四分十二秒。
知り合って二日目の女子との初めての電話にしては、色気がなさすぎる内容だったな。
「ずいぶんと楽しそうですな」
運転席から、後藤さんの声が聞こえた。
「そう見える?」
「昨日までの司様なら、他人の保険など一秒も興味を持たれなかったでしょう」
「死ねば一億円になる同級生なんて、そう何人もいないからね」
「普通の方は、同級生の命を金額では表しません」
「普通じゃなくてよかったよ」
後藤さんは何か言いたそうに俺を見たが、結局何も言わず前へ向き直った。
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家へ着いたあと、着替えて夕食を済ませた。午後八時を過ぎても連絡は来ない。別に焦っているわけではないが、スマートフォンが鳴るたびに画面を確認してしまう。
届くのはどうでもいい広告と、いちかたちが作ったクラスのグループからの通知ばかりだった。
午後九時二十七分。ようやく三枝さんから電話がかかってきた。
「夜遅くまでご苦労、随分とかかったな?」
『申し訳ございません。確認するのに少し手間取っておりまして。そして残念なお知らせですが、送っていただいた保険証券について、少々問題がございました』
「やっぱりか、契約が切れてたのか?」
『いいえ。契約自体は現在も有効です。保険料の支払いにも問題はありません』
「なら、一億円は出るんだ?」
『死亡時の状況によって審査は行われますが、保障額は一億円で間違いありません』
契約は有効。保険料も支払われている。ここまでは、雨宮が持っていた書類と同じだ。
「じゃあ問題っていうのは?」
『雨宮雫様がお持ちの保険証券は、現在私共が確認できた契約内容と一致しておりません』
「ほぉ?つまり書類が古いってこと?」
『はい。今から約一か月前に、死亡保険金の受取人が変更されています』
やっぱりか。嫌な予感が当たったというべきか、あいつが死ななくていいと喜ぶべきか?
「今の受取人は?」
『雨宮咲様ではありません』
「それは分かったよ。誰に変わってる?」
『アマミヤ・アセット管理株式会社という法人です。ちょうど一か月前に設立されたばかりの会社で、代表取締役は――雨宮 茂』
三枝さんが、その名前を告げた。
「ハハ・・・マジでよ・・・」
『司様?』
「いや、何でもない。調べた内容を全部送って」
『承知しました。ただ、この契約にはほかにも不自然な点がございます。受取人の変更手続きに使われた同意書ですが――』
「それも含めて全部頼む」
そして通話を切ると、すぐに報告書が届いた。
変更前の受取人、雨宮咲。
変更後の受取人、アマミヤ・アセット管理株式会社。
そして、その会社の代表者。
雨宮茂。
六千万円の借金と病気の妻を残し、娘へ死ねと言って逃げた父親の名前がそこにあった・・・
俺はすぐに雨宮へ知らせようと電話をかけた。一回目は出ない。二回目も出ない。三回目で、ようやく繋がった。
『何ですか・・・お母さん、もう寝たところなんですけど』
「まだ病院にいるのか?」
『はい。それより、結果が分かったんですか?』
「分かった」
『一億円は・・・お母さんに支払われるんですよね?』
雨宮の声には、隠しきれない期待が込められていた。
自分が死ねば、母親を助けられる。
そんな、最悪の希望をまだ信じている。
「雨宮。母親には聞かれない場所へ移動しろ」
『えっ?』
「この話は、まだ母親へ聞かせないほうがいい」
『……分かりました』
しばらく衣擦れの音が続き、病室の扉が閉まる音がした。
『廊下に出ました。それで、一億円はどうなったんですか?』
「契約は有効だ。一億円も出る」
『じゃあ!』
「でも、お前の母親には一円も入らない」
電話の向こうが静かになった。
『・・・どういう意味ですか?』
「一か月前に、受取人が変えられてる」
『・・・』
俺は報告書に書かれた名前を、もう一度確認した。
「雨宮茂。お前が死んだら一億円を受け取るのは――お前の父親だ」




