↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/31

27話

『雫。お前に直接話したいことがある。一度だけ、面会に来てほしい』

 

 雨宮は父親から届いた手紙を、何度も読み返していた。文章はそれだけだった。謝罪も、母親を心配する言葉も、どうして会いたいのかも書かれていない。

 

「行くのか?」

 

「まだ・・・分かりません」

 

「会いたくないなら、捨てればいい」

 

「でも、聞きたいことがあります」

 

「五千八百万円の行方?」

 

「それもあります。でも・・・どうして私だったのか、聞きたいです」

 

「どうして私だったのか?」

 

「お父さんには自分の生命保険もありました。会社だって、土地だって、ほかに売れる物はあったはずです。それなのに、どうして私へ死ねって言ったのか」

 

 そんなもん答えは簡単だ。自分が死にたくなかっただけだろ。

 会社も土地も、自分が使える物は手放したくなかった。だから一番抵抗せず、自分の言葉を信じる娘を選んだ。

 

 おそらく、それだけだろう。だが、俺が代わりに答えることはできない。

 

「なら、会えばいいさ」

 

「九条君も来てくれますか?」

 

「俺も?」

 

「一人で行ったら、またお父さんの言うことを信じてしまうかもしれません」

 

「信用ないね、自分に」

 

「あります。でも、お父さんに関しては、一度失敗してるので」

 

 屋上から飛び降りようとしたことを、失敗の一言で片づけるのか。・・・随分と強くなったものだ。

 

「分かった。もちろん一緒に行くとするよ」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、俺が殴りかかりそうになったら止めてね」

 

「私が止めるんですか?」

 

「ほかにいないだろ?」

 

「警察の人が止めますよ!」

 

 それもそうだな。

 

 -------------------------------------------------------------------------

 

 面会の日は、二日後に決まった。父親が拘束されている施設まで、雨宮と二人で電車を乗り継いで向かった。

 

 建物へ入る前から、雨宮はほとんど喋らなかった。受付を済ませ、荷物を預け、案内された椅子へ座っても、両手を膝の上で固く握っている。

 

「やっぱ帰るか?」

 

「いいえ、帰りません」

 

「まだ会ってないけど、顔色悪いよ」

 

「緊張してるだけです」

 

「俺の手でも握るか?」

 

「どうして嬉しそうなんですか?」

 

「雨宮から握ってくれる機会なんて、そうそうないから」

 

「なら結構です」

 

 断られた。だが、名前を呼ばれて立ち上がったとき、雨宮は俺の制服の袖を小さく掴んだ。

 

 手ではないが、まぁいいか。

 

 面会室へ入ると、透明な仕切りの向こうに雨宮茂が座っていた。

 

 最初に会ったときとは違い、髪は乱れ、頬も少し痩せている。着ている服も、逃げていたときの高そうなものではない。

 

 それでも、娘を見る目だけは変わらなかった。

 

「雫」

 

 雨宮の指が、俺の袖を強く掴んだ。

 

「・・・何ですか」

 

「どうして、その男までいる?」

 

「私が頼みました」

 

「家族の話だ。外してもらえ」

 

「嫌です」

 

 雨宮は一度も俺を見ず、父親だけを見て答えた。

 

「九条君に聞かれて困ることを、私へ話すつもりですか?」

 

「・・・随分と口が回るようになったな」

 

「お父さんが、私に死ねと言ったからです」

 

 父親の顔から、僅かに表情が消えた。

 

「あの言葉は、本気ではなかった」

 

「へぇ~」

 

 思わず声が漏れた。

 

「本気じゃないのに、娘の保険金の受取人を自分の会社へ変えたんですか?」

 

「君には関係ない」

 

「あるよ。俺、そのせいで階段を十階まで走ったからね」

 

「九条君。今は黙っててください」

 

「はい」

 

 怒られてしまった。雨宮は仕切りの前へ座り直した。

 

「本気じゃなかったなら、何だったの?」

 

「お前が母さんのことを、どこまで大切に思っているか確かめたかった」

 

「嘘」

 

 父親が言い終わる前に、雨宮が否定した。

 

「私が死ねば、お父さんの会社へ一億円が入るようにしてた。お母さんには一円も入らなかった。全部調べました」

 

「あれは、一時的に会社で受け取る形にしただけだ。そのあと母さんの治療費も、借金も払うつもりだった」

 

「五千八百万円を同じ会社へ送って、どこかへ消したのに?」

 

 父親の眉が僅かに動いた。どうやら、俺たちが送金記録を見つけたことは知らなかったらしい。

 

「書斎に記録が残ってました。警察にも、弁護士にも渡しました」

 

「雫。あの金は、俺たち家族がやり直すために必要なんだ」

 

「私たちじゃなくて、お父さんが逃げるためでしょう?」

 

「違う。会社さえ立て直せば、すべて元に戻せた」

 

「もう会社は潰れた。家も手放します」

 

「何だと?」

 

 父親が初めて大きな声を出した。

 

「勝手なことをするな!あの家がいくらすると思ってる!」

 

「私とお母さんの家です。お父さんが借金の担保にしたから、私たちで手放すことにしました」

 

「俺が戻れば、まだ何とかできる。雫、お前が警察へ誤解だったと話せば――」

 

「誤解じゃありません」

 

「父親を犯罪者にしたいのか?」

 

「自分でしたことでしょう!」

 

 雨宮の声が面会室へ響いた。係の人間がこちらを見たが、雨宮は止まらなかった。

 

「お父さんは、私が死ぬと思ってた。私が死んだあと、一億円を受け取って逃げるつもりだった。違うなら、私の目を見て言ってよ!」

 

 父親は何も言わなかった。その沈黙だけで十分だった。

 

「どうして、私だったの?」

 

 雨宮の声が小さくなる。

 

「お母さんを助けたいなら、お前が死ねって。どうして、私なら死なせてもいいと思ったの?」

 

「・・・お前は、昔から母親の言うことなら何でも聞いた」

 

「それだけ?」

 

「俺まで死んだら、誰が母さんを守る?」

 

「守ってないでしょう!」

 

 父親は、自分が死にたくなかった。そして雨宮なら、母親のためと言えば自分から死ぬと思った。

 

 本当に、それだけだったらしい。

 

「雫。今からでも遅くない。俺に協力すれば、隠した金の一部を母さんへ――」

 

「いりません」

 

「話を最後まで聞け」

 

「いらないって言ってるんです」

 

 雨宮は震えながら、それでも父親から目を逸らさなかった。

 

「お母さんは手術を受けられます。家はなくなるけど、借金も弁護士さんと整理します。もう、お父さんのお金は必要ありません」

 

「その男に払わせたのか?」

 

「九条君は、自分で稼ぎました」

 

「九条の名前で集めた金だろう。結局、お前は次の男に利用されてるだけだ」

 

 雨宮の表情が変わった。

 

「この男がお前を助けるのは、お前が珍しいからだ。死にたがる娘が面白くて、自分の退屈を紛らわせているだけだろ?」

 

「黙ってください」

 

「事件が終わって、お前が普通の女になれば、すぐに飽きる。九条の御曹司が、本気でお前と一緒に生きると思っているのか?」

 

「黙って!」

 

「ねぇ、雨宮」

 

 俺が呼ぶと、雨宮がこちらを向いた。

 

「言わせておけばいいよ」

 

「でも・・・」

 

「俺が何を考えてるか、父親よりお前のほうが分かるだろ?」

 

 雨宮は何かを答えようとして、口を閉じた。分からないのかもしれない。

 

 俺自身ですら、まだよく分かっていないのだから当然だ。

 

「お父さん」

 

 雨宮はもう一度、仕切りの向こうを見た。

 

「私、あの日、本当に屋上から飛び降りようとしました」

 

「・・・」

 

「お父さんの言葉を信じて、私が死ねば、お母さんが助かると思ってました。でも、飛びませんでした」

 

 雨宮は俺の袖から手を離した。今度は、自分の両手を膝の上へ置く。

 

「私は死ななかった」

 

 父親は、何も答えなかった。

 

「もう、お父さんのためにも、お金のためにも死にません。私が生きるかどうかは、私が決めます」

 

「雫・・・」

 

「私の父親だった人へ、言いたかったのはそれだけです」

 

 雨宮は立ち上がった。面会時間はまだ残っていたが、もう話すことはないらしい。

 

 俺も立ち上がる。

 

「九条司」

 

 部屋を出る直前、父親に名前を呼ばれた。

 

「何?」

 

「お前は雫を救ったつもりか?」

 

「そんな立派なことをしたつもりはないよ」

 

「なら覚えておけ。お前が興味を失ったとき、今度こそ雫は死ぬ」

 

 雨宮の足が一瞬止まった。俺は父親へ何も返さず、面会室を出た。

 

 -------------------------------------------------------------------------

 

 帰りの電車で、雨宮はずっと窓の外を見ていた。父親へ言いたいことは言えたはずだ。それでも、晴れた顔はしていない。

 生まれてから家族だった人間を切り捨てて、すぐに笑えるわけもないか。

 

「九条君」

 

「何?」

 

「お父さんが言ったこと・・・本当ですか?」

 

「どれ?」

 

「私が珍しくて、面白いから助けたって」

 

 ・・・最初は、そうだったかもしれない。

 

 人が飛び降りるところを見たくて、階段を十階まで走った。死ねば一億円になると聞き、今までにないほど心が躍った。

 

 それを否定すれば嘘になる。

 

「本当だよ」

 

「・・・そうですか」

 

 雨宮の声が、僅かに沈んだ。

 

「じゃあ、全部終わったら?」

 

「全部?」

 

「お母さんの手術も、借金も、家のことも終わって、私が普通になったら・・・九条君は、私に飽きますか?」

 

 俺はその問いにすぐに答えることができなかった。

 

 しばらく黙ったままでいると、雨宮も何も言わず、もう一度窓の外へ顔を向けた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけたら、作品のフォローや評価、感想をもらえると嬉しいです。



執筆の励みになります!



次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。