26話
六千万円を借りた翌日、そのうち五千八百万円がアマミヤ・アセット管理株式会社へ送金されていた。
父親が一か月前に作り、雨宮の生命保険金一億円を受け取る予定だった会社だ。
「九条君。これを見せれば、借金はなくなるんでしょうか」
「多分ならないと思うな」
「どうしてですか?お父さんは、会社のために使うってお母さんを騙したんですよ?」
「父親が母親を騙したことと、金を貸した会社が六千万円を返してもらうことは別だからだよ」
雨宮の表情が曇った。
貸した側まで父親と協力していたのなら話は変わる。だが、何も知らずに六千万円を貸しただけなら、父親がその金をどこへ移そうと、返してもらう権利まで消えるわけではない。
「とにかく、昨日の弁護士と警察へこれを送ろう」
「はい」
送金記録だけでなく、同じファイルに入っていた契約書と口座の資料もすべて撮影した。
保険会社のときと違い、今は九条家の人間を動かすことはできない。だが、警察はすでに父親と長谷川理沙の事件を調べている。アマミヤ・アセットの名前も、捜査対象になっているはずだ。
夜中なので、すぐに返事が来ることはなった。俺たちは書類を机の上へ残し、その日は眠ることにした。
もちろん同じ部屋で寝るわけではないけどね。
「何でわざわざ言うんですか?」
「何も言ってないよ?」
「顔に出てました」
「俺の考えてること、分かるようになったって言ってたもんな」
「今のは分かりたくありませんでした」
雨宮は父親の書斎から俺を追い出し、勢いよく扉を閉めた。
どうやら今日は、ここで寝るつもりらしい。
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翌日、昼休みになると、昨日相談した弁護士から連絡が入った。
雨宮と一緒に空いている特別教室へ移動し、電話を繋ぐ。
『送っていただいた資料を確認しました。警察にも共有されたということで、資金の移動については、そちらでも捜査されると思います』
「五千八百万円は戻ってくるんですか?」
雨宮が最初に聞いた。
『現時点では分かりません。送金先の口座に残っているのか、さらに別の場所へ移されたのかを確認する必要があります』
「借金や競売は?」
『この送金記録だけで、すぐになくなるものではありません。お金を貸した側が不正に関わっていない場合、保証や担保が有効なまま扱われる可能性があります』
やはり、そう簡単ではないらしい。
「つまり、父親が金を隠した証拠にはなる。でも、貸した側には関係ない?」
『大まかには、その理解で構いません。ただし、契約時の説明や署名の経緯も含めて確認します。奥様が騙されて保証人になったという事情も、無意味ではありません』
「でも、絶対に家を残せるとは言えないとういうことか」
『はい』
雨宮は唇を噛み、机の下で手を強く握っていた。
『もう一つ、警察から弁護人を通して確認できた情報があります。アマミヤ・アセットの口座はすでに調べられていますが、現在の残高は二百万円にも届かないそうです』
「五千八百万円あったのに?」
『複数の口座や現金へ移された形跡があるようです。詳しい金額については、捜査中のため私にも開示されていません』
父親は最初から、金を会社へ残すつもりなどなかったというのか
借りた金を別会社へ移し、そこからさらに消した。妻と家を保証に使い、最後には娘の命まで一億円に換えようとした。
本当に、どこまでも・・・
「家の競売を待たずに、ほかの方法で売ることはできますか?」
雨宮が聞いた。
「お前、家を売る気か?」
「まだ決めてません。でも、何も分からないまま誰かに売られるより、自分たちで決めたほうがいいと思って」
その声は震えていたが、質問は最後まで途切れなかった。
『債権者の同意が必要になりますが、相談することはできます。競売以外の売却でより高く売れれば、返済へ回せる金額が増える可能性もあります』
「そのあと残った借金は?」
『お母様の収入や財産、治療の状況を踏まえ、債務整理を検討します。家を手放せばすべて終わるとは、今は言えません』
「分かりました、何卒宜しくお願い致します」
雨宮は目元を伏せたまま答えた。電話を切っても、すぐには席を立たなかった。
「九条君」
「何?」
「私、ずっと間違えてました」
「急にどうしたんだ?」
「借金を返して、手術のお金を払って、家を残せば、全部元どおりになると思ってました。だから、そのためなら死んでもいいって」
「うん」
「でも、元どおりになんてならないんですね」
父親は逮捕された。母親はこれから手術を受ける。家を残しても、三人で暮らしていたころへ戻れるわけではない。
それでも雨宮は、壊れた家族を元に戻そうとして、自分の命を最後の材料にしようとした。
「なら、新しくすればいいんじゃない?」
「何をですか?」
「生活を。家がなくなっても、お前と母親が生きてれば作り直せるだろ?」
「簡単に言いますね」
「簡単ではないだろうね。俺、部屋を借りたことも、引っ越したこともないし」
「頼りにならないですね」
「でも、初めてのことなら少し面白そうだ」
「私たちは、面白さで引っ越すわけじゃありません」
「知ってるよ」
雨宮は少しだけ笑い、そのあと小さく息を吐いた。
「お母さんと話します」
「うん」
「今度は、私一人で決めません」
それでいい。
屋上で一人で死のうとしたときより、少しはまともな選び方だ。
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放課後、俺たちは病院へ向かった。母親へ弁護士から聞いた内容を説明すると、咲さんは驚かなかった。
ベッドの上で書類を見つめ、しばらく考えたあと、静かに口を開いた。
「家は、手放しましょう」
「お母さん・・・」
「雫が生まれてから、ずっと暮らしてきた家だから、本当は残したい。でも、あの家を守るために、あなたが死のうとしたんでしょう?」
雨宮は答えなかった。
「雫の命と交換しないと残せない家なら、お母さんはいらない」
「今は、死ななくてもいい方法を探してる」
「分かってるわ。でも、今度は司君が六千万円を何とかしようとしてる」
「俺?」
「顔を見れば分かるもの」
雨宮にも親にも考えていることがばれている。俺って、そんなに分かりやすいのかな?
「司君。あなたが雫を助けてくれたことには、本当に感謝してる。でも、家まで背負わなくていいの」
「背負ってるつもりはないですよ」
「なら、雫と一緒に次の家を探してくれる?」
六千万円を払うより、随分と小さな頼みだった。
「それくらいなら」
「勝手に高い家を選ばないでくださいね」
「まだ何も言ってないけど?」
「九条君の普通は信用できません」
親子揃って俺への信用がない。
咲さんは弁護士へ連絡し、競売を待つのか、債権者と話し合って売却するのか、債務整理と一緒に進めることにした。
家を絶対に残すという選択肢を、自分の意思で手放したのだ。
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病院を出たあと、俺は密着取材の残り二百六十万円について雨宮へ話した。
「あれを引っ越しに使えばいい」
「駄目です。あれは九条君が稼いだお金です」
「お前の母親の手術を取材の理由にしたんだから、無関係ではないだろ?」
「それでも、もらえません」
「じゃあ貸す」
「利息は?」
「毎日、晩飯を作る」
「それ、私が返し終わるまで一緒に住むつもりですか?」
「嫌か?」
「そういう聞き方はずるいです・・・」
雨宮は顔を逸らした。暗くてよく見えないが、耳が少し赤い気がする。
「普通に毎月返します。利息も付けてください」
「なら、契約書を作ろう」
「九条君の契約書は信用できません」
「十九か所も修正したのに?」
「二十一か所です」
親父の指摘まで覚えていたらしい。
家へ戻ると、郵便受けに弁護士事務所からの封筒が届いていた。昨日相談したばかりなのに早いなと思ったが、宛名は母親ではなく雨宮雫になっている。
雨宮が封筒を開いた。その中に入っていたのは、拘束されている父親から届いた短い手紙だった。
『雫。お前に直接話したいことがある。一度だけ、面会に来てほしい』
雨宮はその一文を読み終えたあと、手紙を強く握りしめた。
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