25話
「九条君・・・私たち、ここに住めなくなるみたいです」
雨宮から渡された書類には、担保不動産競売開始決定と書かれていた。債務額は六千万円。
父親が会社のために借りた金で、母親が連帯保証人。そしてこの家と土地は、借金の担保に入っている。
最初に屋上で聞いた話と同じだ。
違うのは、ただの説明だった六千万円が、今は俺たちが立っているこの家を奪おうとしていることだった。
「今日中に出ていけ、とは書いてないよ」
「でも、競売って・・・誰かに家を売られるんですよね?」
「そうだね。少なくとも、放っておけばそうなる」
「止められないんですか?」
「調べてみよう」
俺は食卓へ書類を並べ、スマートフォンで一枚ずつ撮影した。
「また全部撮るんですか?」
「保険のとき、古い書類だけを信じて痛い目を見ただろ?今度は最初から全部確認する」
「・・・そうですね」
書類には債権者の名前、裁判所、事件番号、土地と建物の情報が書かれている。だが、雨宮の父親がどこから、いつ、どんな条件で金を借りたのかまでは分からなかった。
そして分厚い書類を読んで分かったのは、競売の手続きが始まったということだけだ。
「九条君」
「何?」
「六千万円は、稼がなくていいですからね」
「まだ何も言ってないけど?」
「顔が、次は六千万円かって考えてます」
「よく分かったね」
「一緒に住み始めてから、九条君の考えてることが少し分かるようになりました」
「それは困るな」
「困るんですか?」
「全部分かられたら、面白くないだろ?」
雨宮は呆れた顔をしたあと、机の上の通知へ視線を戻した。
「この家は、お母さんと私がずっと暮らしてきた家です」
「うん」
「だから、なくなるのは嫌です。でも、そのために九条君がまた無茶をするのは、もっと嫌です」
「俺が六千万円を稼げないと思ってる?」
「三日間の密着取材を十回やるつもりですか?」
「六百万円が十回か。計算は合ってるね」
「絶対にやめてください!」
俺としても、三十日間ずっと撮影されるのは嫌だな。
それに、たとえ六千万円を用意できたとしても、本当に全額を払えば家が残るのかは分からない。父親の会社がほかにも借金を作っていれば、この家だけの話では済まない。
まず確認するべきなのは金額ではなく、借金の中身だな。
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翌朝、俺と雨宮は学校へ行く前に、通知へ書かれていた裁判所の窓口へ電話をかけた。
だが、書類の名義人ではない俺たちへ、詳しい内容を教えることはできないと言われた。雨宮は娘だが、家の所有者でも連帯保証人でもない。
この件について手続きをするには、母親本人の確認が必要らしい。
「病院へ行きましょう」
「学校は?」
「遅刻します」
「昨日まで、学校へ行けって怒ってたのに」
「状況が変わったんです!」
担任へ遅れると連絡し、電車で九条中央病院へ向かった。
九条家の車は使えない。病院も九条の名前が付いているが、母親が入院している場所へ行くことまで禁止されてはいないだろう。
病室へ入ると、雨宮の母親――雨宮咲さんは、ベッドの上で朝食を食べ終えたところだった。
「雫?学校はどうしたの?」
「お母さん。話したいことがあるの」
雨宮はベッドの横へ椅子を寄せ、昨夜届いた書類を差し出した。咲さんは読み始めてすぐ、手を止めた。
「・・・やっぱり、来たのね」
「知ってたの?」
「会社が駄目になったときから、いつかは来ると思ってた。でも、お父さんが何とかするって・・・」
「何とかするつもりなら、私を死なせようとしないよ」
雨宮の声が少しだけ強くなった。咲さんは何も言えず、書類へ目を落とした。
「お母さんは、連帯保証人になったんだよね?」
「会社を続けるために必要だと言われたの。家を担保に入れても、一時的なものだって。必ず返せるから、名前だけ貸してほしいって・・・」
「どうして信じたの?」
「家族だったからよ」
雨宮の口が止まった。
父親の言葉を信じて、自分の命を差し出そうとした雨宮。夫の言葉を信じて、保証人になった母親。
やっていることは違っても、二人とも同じ男に家族という言葉を使われた。
「咲さん。借りたときの契約書はありますか?」
「家にあると思います。夫が書類をまとめていた部屋に・・・」
「なら、今日全部探します。それと、病院で債務について相談できる人を紹介してもらえませんか?」
「九条君、そこまでしてくれるの?」
「面白そうだからです」
「九条君!」
「今のは冗談だよ」
半分くらいは。
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病院の相談員を通し、その日の午後、咲さんは電話で弁護士へ状況を説明した。俺と雨宮も本人の許可を得て、同じ部屋で話を聞かせてもらう。
通知だけでは借金の全体像は分からない。まず借入契約、保証契約、家と土地の登記、それから父親の会社に対するほかの請求も確認する必要がある。
競売が始まったからといって、明日すぐ追い出されるわけではない。だが、手続きを止めるには債権者と話し合うか、借金を返す必要がある。
そして母親が連帯保証人として六千万円を請求されている以上、収入も財産も足りなければ、債務整理を考えることになる。
「自己破産をしたら、家はどうなりますか?」
雨宮が聞いた。
『一般的には、担保に入っている不動産をそのまま残すのは難しいです。ただし、今の資料だけで結論は出せません。まず契約書を確認しましょう』
「借金は、なくなるんですか?」
『免責が認められるかも含め、手続きを確認する必要があります。お父様の会社の借金と、お母様個人の保証債務を分けて考えなければなりません』
弁護士は簡単に大丈夫とは言わなかった。
だがそれでいい。絶対に助かると言われるより、何が分かっていないのかを教えてくれるほうが信用できる。
「この家を絶対に残す方法は?」
『現時点で、絶対と言える方法はありません』
雨宮は俯いた。俺も何も言えなかった。六千万円を払えばいい。昨日までの俺なら、そう言っていたかもしれない。
だが今は、その六千万円が本当に返すべき金なのかすら分からない。家を残すために何も確認せず払えば、父親が作った借金を俺が完成させることになる。
「明日、契約書を持って相談へ行きます」
咲さんが言った。
「お母さん、身体は?」
「相談員さんに付き添ってもらうわ。手術の前に、私がやらないといけないことだから」
「私も行く」
「雫は学校へ行きなさい」
「でも・・・」
「お母さんが信じて署名した借金よ。最後くらい、自分で確かめさせて」
雨宮は納得していない顔をしていたが、それ以上は言わなかった。
今まで母親を助けるために、自分一人で死のうとしていた。だから母親が自分で決めたいという気持ちも、少しは分かるのだろう。
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夜、俺たちは父親が使っていた書斎を探した。
警察が証拠として持ち出した物も多く、机の中はほとんど空だった。それでも棚の奥から、銀行や保証会社の名前が書かれたファイルが何冊も見つかった。
借入申込書。金銭消費貸借契約書。連帯保証契約書。不動産へ担保を設定したときの書類。
六千万円という数字が、何度も出てくる。
「やっぱり、本当に借りてたんですね」
「少なくとも書類はある。でも、金がどこへ入って、何に使われたかは別の話だよ」
「まだ何か隠してると思いますか?」
「お前を死なせて一億円を奪おうとした父親だぜ?何もないほうが驚くね」
一冊ずつ確認していると、雨宮が古い封筒を見つけた。
中に入っていたのは、家族三人で写った写真だった。まだ小学生くらいの雨宮が、父親と母親の間で笑っている。
「捨てる?」
「・・・分かりません」
雨宮は写真を見つめたあと、封筒へ戻した。
「この家には、お父さんとの思い出もあります。でも、お母さんとの思い出もあるんです。全部嫌いにはなれません」
「嫌いにならなくていいんじゃない?」
「いいんですか?」
「思い出まで借金の担保に入れたわけじゃないだろ?」
雨宮はしばらく黙り、封筒を自分の鞄へ入れた。そのあと、棚の一番下にあった最後のファイルを開く。
そこには、父親の会社から複数の口座へ送金された記録が挟まっていた。
六千万円を借りた翌日。
五千八百万円が、別の会社へ一括で送られている。
「アマミヤ・アセット管理株式会社・・・」
雨宮が、振込先の名前を読み上げた。生命保険の受取人へ変更されていた、父親の会社と同じ名前だった。
借金の大半は、会社を続けるために使われたのではない。
父親は六千万円を借りた直後、自分が作った別会社へ移していたのだ。
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