23話
『未成年者の収益受取には、法定代理人の同意が必要です』
画面に表示された赤い文字を、俺と雨宮はしばらく黙って見つめていた。
「お父さんへ電話してください」
「嫌だね」
「子供みたいなことを言わないでください!」
「俺は子供だよ。だから親の同意が必要なんだろ?」
「屁理屈を言ってる場合ですか?」
それもそう、雨宮の母親の命がかかわってるんだった。
親父へ頭を下げるのは面白くないが、四百八十万円を画面の中へ置いて眺めていても、雨宮の母親は手術を受けられない。
「分かったよ」
連絡先から親父の番号を選び、通話ボタンを押した。呼び出し音は一度しか鳴らなかった。
『司か』
「起きてたんだ」
『あれだけ騒ぎを起こしておいて、眠っていると思ったのか?』
「配信、見てたのか?」
『最初から最後までな』
暇なのだろうか。九条財閥の会長って、もっと忙しい仕事だと思っていた。
「なら話が早い。収益を受け取るのに親の同意が必要らしい。書類へ署名して」
『断る』
「やっぱり?」
「九条君、私が話します」
雨宮が俺のスマートフォンへ手を伸ばしてきたので、椅子ごと少し離れる。
「理由くらい聞いてもいい?」
『お前は今、いくら稼いだ?』
「四百八十万円。画面に出てたでしょ?」
『違う』
「何が?」
『お前が稼いだのは、百四十万円だ』
親父の声は、妙に落ち着いていた。
嫌な予感がする。
「残りの三百四十万円は?」
『私が払った』
「・・・は?」
思わず、間の抜けた声が出た。雨宮も会話を聞いていたらしく、目を見開いている。
『匿名で送られた金を見て、お前は送り主も目的も確かめずに喜んだ。違うか?』
「親父がやったと思わなかったからね」
『誰がやったか分からないからこそ、確認するべきだった』
「匿名なんだから確認できないだろ?」
『なら、信用して使っていい金ではない』
親父の言葉に、言い返そうとして口を止めた。
雨宮が屋上から飛び降りようとした日。俺はあいつへ、契約が有効なのか、保険金が本当に母親へ支払われるのか、なぜ確認しないのかと聞いた。
父親が残した言葉を、どうして素直に信じるのかとも。
だが俺は、匿名で送られた三百四十万円を何も調べず、自分が稼いだ金として数えた。
なるほど。これは少し恥ずかしいな。
『司。お前は雨宮さんへ、契約を確かめないまま死ぬのは合理的ではないと言ったそうだな』
「そこまで知ってるんだ」
『なのに自分は、誰の金かも分からないまま助かったつもりになったのか?』
まったく、そのとおりだった。
「ずいぶん性格の悪い教え方をするね」
『お前には言われたくない』
「それで、わざわざ三百四十万円も払ったの?」
『返金の手続きはできる。お前が気づかなければ、そのまま九条家の金を使ったことになるだけだ』
「親父との約束を破ったから、雨宮に近づくなって?」
『そこまでは言わん。ただし、私の金を使うのなら、お前の挑戦は失敗だ』
選べということらしい。
三百四十万円をそのまま受け取れば、雨宮の母親の手術費には近づく。だが、それは親父の金を使っただけだ。
ここで意地を張る必要があるのか。
母親の命と、俺と親父の勝負。比べるまでもないように思える。
「使いましょう」
雨宮が言った。
「いいの?」
「お母さんの手術ができるなら、九条君が負けてもいいです」
「俺の扱い、軽くない?」
「比べる相手がお母さんですから」
「それは勝てないね」
迷いなく言い切られると、少し寂しい。だが、雨宮の顔を見ていると、そのままでは終わらない気がした。
「でも、そのお金を使ったら、私は九条君のお父さんに助けてもらったことになります」
「そうだね」
「それは嫌です」
「どっちだよ」
「お母さんを助けるためなら使います。でも、まだ三日あるなら・・・九条君が稼いだお金を使いたいです」
随分と無茶を言う。だが、そのほうが雨宮らしい。
「だってさ、親父」
『聞こえている』
「三百四十万円は返すよ」
『後悔しないか?』
「したら、また雨宮に怒られる」
「私のせいにしないでください!」
親父が電話の向こうで、小さく息を吐いた。
『返金されたことを確認したら、残り百四十万円については同意書へ署名する』
「意外だな。全部邪魔するかと思った」
『自分で稼いだ金まで取り上げるとは言っていない。お前が正式な契約を結ぶ場合も、内容に問題がなければ保護者として同意する』
「それ、最初に言ってよ」
『最初に言えば、お前は自分で考えないだろう』
本当に嫌な親だな。
「ただ、振込は翌月末らしい。金曜日までに間に合わない」
『それをどうするかまで私に聞くつもりか?』
「聞いただけ」
『司。稼いだことと、使えることは別だ。覚えておけ』
それだけ言って、通話を切られた。
最後まで偉そうだ。親だから当たり前だけど。
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配信の管理画面を開き、三百四十万円の支援について返金手続きを進める。
確認画面には、本当に返金しますかと何度も聞かれた。
「押すよ?」
「どうして私に聞くんですか?」
「あとで、やっぱり使えばよかったと言われたくないから」
「言いません」
「本当に?」
「・・・多分」
「不安になるな~」
最後のボタンを押す。収益の表示が四百八十万円から、百四十万円へ戻った。
数字が一気に小さくなる。
たった一度押しただけで、三百四十万円が消えた。金というものは、入ってくるときより出ていくときのほうが早いらしい。
「これで残り三百四十万円ですね」
「最初に戻った気分だよ」
「百四十万円は残ってます」
「でも、来月まで使えない」
「・・・そうでした」
二人で画面を見つめる。
金は稼いだ。だが、期限までに使えない。さらに残り三百四十万円を、あと三日で稼がなければならない。
問題が増えただけのような気もする。
そのとき、さっきの記者――柴崎から電話がかかってきた。
「今度は何?」
『配信、拝見しました。十二万人が同時に視聴し、切り抜かれた動画もすでに数百万回再生されています』
「仕事熱心だね」
『先ほどの取材条件について、編集部から新しい提案がございます』
「雨宮の話なら断るよ」
『雨宮さんの取材は必要ありません。九条司さん、あなたお一人へ対する提案です』
雨宮と目が合った。
『三日間の密着取材、生配信映像の記事および番組使用権、そして独占インタビュー。これらを合わせて、契約金六百万円を先払いします』
さっきより百万円増えている。
「未成年だから契約できないと言ってなかった?」
『先ほど、九条会長から弊社へ連絡がございました。雨宮さんの個人情報を一切扱わず、契約内容に問題がなければ、保護者として同意するとのことです』
親父、仕事が早すぎるだろ。
『ただし、一つだけ条件がございます』
「何?」
『契約金六百万円のうち、三百四十万円は明日の正午までに指定先へ支払います。残りは取材終了後です』
不足している金額と、まったく同じ。
「ずいぶん都合がいいね」
『こちらも慈善事業ではございません。今のあなたには、それだけの価値があると判断しました』
俺の名前ではなく、俺が起こした騒ぎに六百万円を払う。少なくとも親父の金ではない。
「契約書を送って。全部読んでから決める」
『もちろんです』
電話を切ると、すぐに何十ページもある契約書が届いた。
雨宮が俺の隣へ椅子を寄せ、画面を覗き込む。
「受けるんですか?」
「まだ決めないよ」
「お金は必要です」
「必要だからって、何でも信じると痛い目を見るって、さっき親父に教えられたからね」
契約書の最初のページには、俺の名前しかなかった。
だが、最後まで本当に雨宮を売らずに済む契約なのかは、まだ分からない。
「一緒に確認しよう。今度は、一行も見落とさないようにね」
「はい」
俺たちは並んで、六百万円の契約書を一ページ目から読み始めた。
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