21話
「三日で四百八十万円。稼いでみようか」
「無理に決まってます!」
雨宮の声が夕方の道に響き、前を歩いていた会社員が驚いたように振り返った。そりゃあそうだ。高校生が道端で話す金額ではない。
「何か考えがあるんですか?」
「今から考える」
「やっぱり何もないじゃないですか!」
「でも、できないと決まったわけでもないだろ?」
「普通にアルバイトをしたら、時給千円くらいですよ。三日間一睡もせずに働いても、七万二千円にしかなりません」
「詳しいね」
「九条君が知らなさすぎるんです!」
なるほど。初めて知ったが、人間が一時間働いても千円にしかならないらしい。四百八十万円を稼ぐには、四千八百時間。二百日間、一秒も休まず働く必要がある。
「労働って、ずいぶん効率が悪いんだな」
「世の中のほとんどの人は、それで生活してるんですよ」
「じゃあ時間を売るのはやめよう」
「諦めるんですか?」
「違うよ。三日しかないなら、高い物を売るしかない」
俺が言うと、雨宮は足を止め、警戒するようにこちらを見た。
「家から持ってきた時計とか、売るつもりじゃないですよね?」
「駄目なの?」
「それは九条家に買ってもらった物でしょう。お父さんとの約束に反します」
「親父は九条家の金を使うなと言っただけで、時計を売るなとは言ってないよ」
「屁理屈です。それに、私のために大切な物を売らないでください」
「別に大切じゃないけど」
「そういう問題でもありません!」
雨宮は俺を疑うように見た。残念ながら、これ以外の俺の持ち物は服と下着くらいだ。金になりそうな物は、時計とスマートフォンくらいしかない。
だが、どちらも売れば生活が不便になる。何より雨宮が許さないだろう。
「なら、俺が今持ってる一番高い物は何だと思う?」
「知りません」
「じゃあ教えてやろう・・・それは九条司だよ」
「・・・はい?」
「俺自身を売ればいい」
「絶対に変なことを考えてますよね?」
失礼だな。まだ何も考えていないのだから、変かどうかすら決まっていない。
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家へ戻り、昨日焼きそばを食べた食卓へスマートフォンとノートを置いた。
まずは、俺が自分の力で金を稼ぐ方法を調べる。雨宮は台所で夕食を作りながら、俺が余計なことをしないか監視していた。
「高校生、三日、四百八十万円・・・っと」
「そのまま検索しても出てきませんよ」
「『宝くじ』が出た」
「却下です」
「『競馬』」
「未成年です」
「『治験』」
「何の薬を飲むつもりですか!」
使えそうなものが一つもない。普通の求人も見てみたが、高校生歓迎と書かれた仕事は飲食店やコンビニばかりで、どれも一日働いて一万円に届くかどうかだった。
これでは時間が足りない。
「九条君にできることって、何かないんですか?」
「勉強はそれなりにできる。英語と中国語も話せるよ」
「家庭教師なら、普通のアルバイトよりは高そうですね」
「三日で百人くらい教えれば届く?」
「一人四万八千円も払ってくれる高校生の家庭教師が、今日中に百件見つかると思いますか?」
「思わないね」
「それと、料理はできません」
「昨日、キャベツを切ったよ」
「破壊しただけです」
「電車には乗れるようになった」
「それは仕事ではありません」
雨宮が並べた俺の能力は、四百八十万円どころか、千円にもなりそうになかった。
財閥の御曹司として生きるための勉強はしてきた。会社の資料も読めるし、投資についても一通り教えられている。だが、自分一人で一円を稼ぐ方法は、誰も教えてくれなかったな。
「本当に、九条って名前を取ったら何も残らないんだな」
思わず口からそんなセリフが出た。台所の包丁の音が止まる。
「そんなことありません」
「慰めてくれるの?」
「九条君は性格が悪いし、常識もないし、人が嫌がることを楽しそうに言いますけど・・・」
「悪口しか出てこないのね」
「まだ途中です!」
雨宮は包丁を置き、俺のほうを見た。
「私があの屋上から降りたのは、九条という名前を知ったからじゃありません。あのときは名前すら知りませんでした」
「そういえば、そうだったな」
「だから、何も残らないなんて言わないでください」
それだけ言うと、雨宮は恥ずかしくなったのか、すぐにまな板へ向き直った。
俺が九条ではなくても、雨宮はあの日、俺の手を掴んだ。それなら少なくとも、こいつ一人にとっては何か残るらしい。
「雨宮」
「何ですか」
「今の、もう一回言って」
「嫌です」
「録音して売ったら、四百八十万円になるかもしれない」
「なりません!」
今度は玉ねぎの切れ端が飛んできた。
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夕食を食べていると、俺のスマートフォンに知らない番号から電話がかかってきた。
「はい、九条です」
『突然のご連絡、失礼いたします。私、週刊新成の記者をしております、柴崎と申します』
「どうしてこの番号を知ってるの?」
『取材方法については、お答えできません』
「怪しいね。切っていい?」
『お待ちください!雨宮茂容疑者の事件について、九条司さんへお話を伺いたく、ご連絡しました』
俺が雨宮を見ると、箸を持つ手が止まった。
「本人の許可なく話せないよ」
『もちろん、九条さんだけのお話でも構いません。ただ、弊誌では雨宮雫さんが今回の被害者であると確認しております』
雨宮の名前まで調べているらしい。
『九条財閥の御曹司が、同級生の保険金詐取事件へ介入した。そして現在、お二人は同じ家で生活している。非常に世間の関心が高いお話です』
「俺たちが同じ家にいることまで知ってるんだ?」
『九条邸をお二人で出る姿を撮影した写真もございます』
親父が記者へ話したとは思えない。屋敷の外で待っていたのか、それとも学校から尾行されたのか。
どちらにしても、気分のいい話ではない。
『雨宮さんにも同席いただき、独占で取材を受けていただけるのであれば、謝礼として五百万円をご用意できます』
五百万円。
必要なのは四百八十万円。
偶然にしては、ずいぶんと都合のいい金額だ。
「受けます!」
答えたのは、俺ではなく雨宮だった。
「雨宮?」
「五百万円あれば、お母さんの手術を受けられます。取材くらい、いくらでも・・・」
『雨宮雫さんも、そちらにいらっしゃるのですね?』
電話の向こうの声が、僅かに弾んだ。
『ぜひ、飛び降りようとされた経緯や、お父様から届いたメッセージについても詳しくお聞かせください。屋上で撮影した再現写真などもあれば――』
「断るよ」
俺は通話を切った。
「何で切るんですか!」
「聞いてなかった?あいつが欲しいのは、お前が父親に死ねと言われて、屋上から飛び降りようとした話だよ」
「それでも五百万円になります!」
「お前は、また自分の命を金に換える気?」
雨宮の口が止まった。
「死ぬわけじゃありません」
「代わりに一番知られたくないものを、全部知らない人間へ差し出すんだろ?」
「でも、それでお母さんが助かるなら・・・」
「だから駄目なんだよ」
「どうしてですか!」
「お前は母親を助けるためなら、自分がどうなってもいいと思ってる。屋上にいたときから何も変わってない」
雨宮は何も言い返さなかった。
自分が死ねば一億円。自分の傷を売れば五百万円。金額は違うが、やろうとしていることは同じだ。
それを俺が止める資格があるのかは分からない。あの日、自分の命は自分のものだと言ったのも俺だ。
だが、少なくとも面白くない。
「じゃあ、どうするんですか。ほかに五百万円を作る方法なんてないじゃないですか!」
「あるよ」
「何があるんですか?」
「あの記者は、お前だけじゃなく俺の話にも価値があると言った」
俺は切ったばかりの番号へ、こちらから電話をかけ直した。
『もしもし、九条さん?』
「雨宮の取材はなし。名前も顔も、屋上のことも出させない」
『それでは、五百万円という金額は難しいかと』
「代わりに、九条司を売るよ」
『・・・どういう意味でしょうか』
「財閥の御曹司が親父と喧嘩して、カードも車も使用人も失った。生まれて初めて電車へ乗って、今は所持金四万円。しかも三日で四百八十万円稼がないといけない」
電話の向こうが静かになった。
「お前たちが欲しいのは、人に読まれる面白い話だろ?雨宮の過去より、こっちのほうが面白くない?」
『・・・詳しい条件を、お聞かせいただけますか』
「俺の生活を三日間、全部見せる。取材も撮影も受けるし、生配信でも何でもする。ただし雨宮と母親の個人情報は出さない。五百万円は先払い」
「九条君!」
『未成年の方との契約ですので、保護者の同意が必要になります』
やっぱりそこか。
「親父の同意は取れない」
『でしたら、正式な取材契約と謝礼のお支払いは難しいです』
「でも、俺が自分で勝手に配信を始めることまでは止められないよね?」
『それは・・・』
「その配信を、お前たちが記事にするのも自由だ。違う?」
記者はすぐに答えなかった。
契約ができないなら、契約しなければいい。まず俺が世間の注目を集める。その価値を見せてから、金を払える方法を向こうに考えさせる。
「明日の朝まで待って。面白いものを見せるよ」
俺は一方的に電話を切った。
「何をするつもりなんですか?」
「言っただろ。俺を売る」
新しい動画配信のアカウントを作り、名前を入力する。
九条司。
紹介文は少し考え、こう書いた。
『財閥御曹司、家を出ました。所持金四万二千六百円。三日で四百八十万円稼ぎます』
「絶対に怒られますよ」
「誰に?」
「お父さんにです!」
「もう怒られて家を出たあとだよ」
投稿ボタンを押す。
最初は何の反応もなかった。作ったばかりのアカウントなのだから当然だ。
だが一分ほどすると、誰かが俺の顔写真と過去の記事を並べ、本物ではないかと拡散し始めた。
十人。百人。千人。
画面を更新するたび、アカウントを見ている人間が増えていく。
「九条君・・・これ、止めたほうがいいんじゃ」
「もう遅いね」
五分後、最初の投稿は一万回以上共有されていた。
そして、スマートフォンには通知が届き続けている。
『本物の九条司?』
『御曹司が家出って何したんだよ』
『三日で四百八十万は無理だろ』
『雫って誰?』
最後の一文を見て、俺は指を止めた。俺は投稿に雨宮の名前を書いていない。
それでも、すでに誰かが俺と事件を繋げていた。俺自身を売れば、雨宮を隠したままでいられると思っていた。
どうやら、世間はそんなに都合よくできていないらしい。
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