20話
『これ、もしかして雨宮さんのお父さん?』
その一言をきっかけに、クラスのグループは急に静かになった。さっきまで何十件も続いていた通知が、嘘みたいに止まっている。
誰も続きを送らない。だが、全員が画面の向こうで同じことを考えているのだろう。
記事に書かれた一億円。逮捕された雨宮茂。
そして、同じクラスにいるクラスメイト・・・雨宮雫。
「・・・どうしよぅ」
雨宮はスマートフォンを両手で握りしめたまま、俯いていた。
「何が?」
「明日、学校に行ったら、みんなに聞かれます」
「そうだろうな」
「少しは否定してくださいよ・・・」
「否定しても、聞いてくる奴は聞いてくるだろ?」
「それは、そうですけど・・・」
また通知が鳴った。
『名字が同じだけじゃない? 被害者は未成年みたいだけど、雨宮さんだって決まったわけじゃないでしょ』
送ったのは橘いちかだった。続けて、もう一通。
『本人が何も言ってないのに、勝手に詮索するのやめようよ』
教室では何にでも首を突っ込みたがるくせに、こういうときは意外とまともらしい。
「橘さん・・・」
雨宮が小さく名前を呟いた。その直後、今度は俺のスマートフォンへ橘から個別にメッセージが届いた。
『これ、雨宮さんのことなんでしょ?』
「前言撤回。こいつ、普通に聞いてきたよ」
「何を見せてるんですか!」
「だって雨宮にも関係あるだろ?」
『本人の許可なく話せないな』
そう返すと、すぐに既読がついた。
『分かった。じゃあ聞かない。でも明日、雨宮さんを一人にしないであげて』
やっぱり、相当まともなのかもしれない。
「だってさ」
「・・・橘さんには、明日ちゃんとお礼を言います」
「俺には?」
「何のお礼ですか?」
「一緒に学校へ行ってやる」
「九条君も行くんですか?」
「俺を置いていく気だったの?」
「だって、車も使えないのに」
「今日、電車の乗り方は覚えたよ」
「切符を取るのも私にやらせた人が、よく言えますね」
「明日は自分で取る、きっと」
「そこからなんですか・・・」
雨宮は呆れたように息を吐いた。だが、その顔はさっきより少しだけましになっていた。
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翌朝。
駅まで歩き、二人で電車へ乗り、学校へ着いた。
もちろん今日は切符を自分で取った。大いなる成長だ。校門を通ったあたりから、こちらを見る生徒が明らかに増えた。
俺が昨日までの車ではなく歩いていることが珍しいのか。それとも雨宮の父親の記事を見たのか。おそらく両方だろう。
「見られてます・・・」
「有名人になりましたな」
「嬉しくありません」
「俺は毎日こんな感じだよ」
「九条君の場合は、自分で目立つことをしてるからでしょう」
教室へ入ると、それまで聞こえていた話し声が僅かに小さくなった。
全員が黙ったわけではない。だが、何人かはこちらを見たあと、急いでスマートフォンを伏せている。
分かりやすいな~。
「おはよう、雨宮さん!」
そんな中、橘だけはいつもと変わらない声で雨宮へ近づいた。
「おはようございます。橘さん。昨日は・・・ありがとうございました」
「何のこと?」
「グループで、詮索するのを止めてくれたことです」
「あぁ、あれね。別に普通のこと言っただけだよ」
橘は笑ったあと、少し声を落とした。
「もし聞かれたくないことを聞かれたら、無視していいからね。私も適当に話を変えるし」
「・・・はい」
「九条君も、変なこと言って話を大きくしないでよ?」
「俺の信用なくない?」
「あると思ってたの?」
まったくないらしい。
ホームルームが始まるまでは、橘が雨宮の席のそばにいた。そのおかげか、直接記事について聞きに来る奴はいなかった。
だが、視線までは止められない。一時間目が終わり、雨宮が席を立つと、教室の後ろで話していた男子二人の声が聞こえた。
「あいつが死んだら、一億だったんだろ?」
「マジで? すげぇな。一億円の女じゃん」
聞こえないように話しているつもりなのだろうが、残念ながら普通に聞こえている。雨宮にもきっと聞こえたのだろう、教室の外に出ようとした足が止まった。
俺は席を立ち、二人のところへ向かう。
「なぁお前ら、今の話、もう一度してくれる?」
「えっ・・・九条?」
「よく聞こえなかったんだよ。一億円の、何だって?」
「いや、俺たちは記事の話をしてただけで・・・」
「へぇ~。記事には被害者の名前も学校も書かれてなかったけど、誰の話?」
二人は顔を見合わせた。
「別に、雨宮だって決めつけたわけじゃない」
「なら本人がいる前で、もう一度言えるよな?」
「九条君」
背後から雨宮に呼ばれた。振り返ると、こっちへ来いというように俺の制服の袖を引かれる。
「何?」
「もういいです」
「よくないだろ。こいつら、続きを話したそうだよ」
「放っておいてください」
雨宮は俺を廊下まで引っ張っていった。
誰もいない階段の踊り場まで来ると、ようやく俺の袖を離す。
「どうして止めたの?」
「九条君が喧嘩を始めそうだったからです」
「始めたのは向こうだよ」
「あの二人を黙らせても、全員の口は塞げません」
「一人ずつやれば、そのうち終わるだろ?」
「何人いると思ってるんですか!」
「全校生徒なら、数日はかかるかな」
「やめてください・・・」
雨宮は壁へ背中を預けた。平気な顔をしようとしているが、指先は小さく震えていた。
「本当のことなんです」
「何が?」
「私が死んだら、一億円だったことです」
「正しくは、お前が死んだら父親が一億円を受け取る予定だった、だね」
「同じです」
「全然違うよ」
俺が言うと、雨宮は俯いた。
「でも・・・知られたくありませんでした。お父さんに死ねと言われて、本当に飛び降りようとしたことまで知られたら、みんな私をどう見るんでしょう」
「さぁ?」
「少しくらい考えて答えてください」
「可哀想な奴だと思う人もいる。面白がる奴もいる。気味悪がる奴もいるだろうね」
「やっぱり、学校へ来なければよかったですね・・・」
「でも、お前がどんな顔で教室へ戻るか決めるのは、そいつらじゃない」
雨宮が顔を上げた。
「父親に死ねと言われたから死のうとして、親父に俺へ近づくなと言われても断って、今度はクラスの噂くらいで学校から逃げるの?」
「・・・言い方が、本当にむかつきます」
「戻る?」
「戻りますよ」
「そうだよな」
「その言い方、やめてください」
雨宮は目元を制服の袖で一度だけ拭き、俺より先に階段を上がった。教室へ戻ると、さっきの男子二人が気まずそうに目を逸らす。
雨宮は自分の席へ向かう途中で足を止め、二人を見た。
「私の父です」
教室が静かになった。
「記事に出ている雨宮茂は、私の父です。でも、それ以外のことは話したくありません。もう聞かないでください」
声は僅かに震えていたが、最後まで言い切った。誰も返事をしない。雨宮はそのまま窓際の自分の席へと座る。
橘が何も言わず、雨宮の机へ小さな菓子を一つ置いた。
「何ですか、これ」
「朝買ったやつ。半分あげる」
「これ、一個しか入ってませんけど」
「細かいことは気にしない!」
雨宮はしばらく菓子を見つめたあと、小さく笑った。
全員が味方になったわけではない。噂が消えたわけでもない。
それでも、こいつは逃げずに席へ戻った。
昨日、六千万円を断ったときよりも、少しだけ強くなったのかもしれない。
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放課後。
雨宮と駅へ向かって歩いていると、雨宮のスマートフォンに病院から電話がかかってきた。
「はい、雨宮です」
最初は普通に答えていた雨宮の表情が、話を聞くうちに硬くなっていく。
「・・・待ってください。今週中なんて、そんな急に言われても・・・」
俺は足を止めた。
「はい。分かりました。明日、お話を聞きに行きます」
通話を切った雨宮は、しばらく画面を見つめたまま動かなかった。
「病院、何だって?」
「お母さんの手術についてです」
「日程が決まった?」
「候補日は決まりました。でも、手術の前に未払いの治療費と、今後の支払いについて話し合いたいって・・・」
「いくら?」
「今までの治療費が百八十万円。それとは別に、保険が使えない治療と手術で、最低でも三百万円くらい必要だそうです」
合計、四百八十万円。
俺の財布に残っているのは、四万円と少し。昨日までなら、考える必要すらない金額だった。
「いつまで?」
「今週の金曜日までに、支払い方法を決められなければ、手術の日程をほかの患者さんへ回すと言われました」
今日は火曜日。
残り三日。
九条家の金は使えない。会社の人間も、後藤さんも頼れない。
しかも、母親の手術費を何とかしたところで、六千万円の借金はそのまま残る。
雨宮は唇を噛み、俺を見た。
「九条君。もういいです」
「何が?」
「私のために家まで出て、これ以上何かしようとしなくていいです。これは、私の家の問題ですから」
「今さらだな」
「でも、九条君には何も残ってないじゃないですか!」
「四万円あるよ」
「足りません」
「知ってる」
「じゃあ、どうするんですか・・・」
どうするか。
金がないなら、稼ぐしかない。ただし普通の高校生が三日間アルバイトをして、四百八十万円を作れるわけがない。
なら、普通ではない方法を考える必要がある。
九条の金も、人間も、会社も使わずに。今の俺に残っているもの。
自分の頭と身体。そして、九条司という名前だけだ。
「雨宮」
「何ですか」
「俺、自分で金を稼いだことが一度もないんだ」
「今それを自慢するんですか?」
「だから、少し面白そうだと思って」
「・・・まさか」
「三日で四百八十万円。稼いでみようか」
「無理に決まってるでしょう!」
雨宮の声が、夕方の道に響いた。
うん。俺もそう思う。
だからこそ、やってみる価値がある。
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