第6話 投身
翌日。怜太は彩子と電車に揺られていた。
「つくづく思うのだけど、怜太がエンタメに向ける情熱は異常だわ」
都心に直結する電車の車内。そこそこに乗客がいる中、怜太は座席に座る彩子に照準を合わせてスマホで動画を撮っていた。駆け出しの頃はハンディカメラで撮影をしていたが、ホラードキュメンタリーなら画像の粗さも味になるので、四回目の撮影からはスマホを撮影機材にしている。
今撮影している動画は、リアルタイムでYouTubeにアップされている。平日の日中だが、五千人近い客が動画を見ているようだ。世の中、案外暇な人が多いらしい。
全身にちくちくと視線を突き刺してくるのは、車内で撮影しているという行為が非常識であり、かてて加えてレンズを向ける先になにもないからだろう。
しかし、全員が全員、彩子を認識していないわけではないようだ。何人かの乗客がぼそぼそと呟いている。「なにあの白い人影みたいなの」と。
「あの女子高生ふたり、彩子に気づいてるみたいだ。脅してこいよ」
「電車で騒ぐのはマナー違反です」
「真面目だな」
目的地に到着する。
電車から降りれば、以前までの日常が怜太を歓迎した。耳をつんざくけたたましい走行音。夥しい群衆。鼻を抜ける空気は一か月前よりも乾燥し、よりいっそう夏の匂いを孕んでいた。
学校に向かう際、怜太はいつもこの駅で下車していた。帰りに悠と共に改札をくぐり、退勤ラッシュに揉まれた日々が、今では遠い過去の出来事のように思える。専門学校を中退してから既に一か月が経とうとしていた。
「それでなにをするためにここまで来たの?」
怜太がなにをするつもりでいるのか。それはYouTube Liveのタイトルに記されている。彩子には伝えていないし、そもそもLive配信をしていることも伝えていないが。
そのタイトルが観客の興味をそそるものだったから、平日の日中であるのに今では一万人の視聴者が画面越しにこちらの動向を窺っている。これなら話題になるという怜太の読みが正しかったことを、今現在の同時接続数と高速で流れるコメントが物語っていた。
「ついてこい」
質問には答えず、怜太は十番車両から出口のある方角に足を向ける。「言い方」と咎めてきたものの、彩子は律儀に指示に従い怜太の隣に並ぶ。
「あれ、下りないの?」
次に彩子が声を発したのは、怜太が改札につづく階段を横切った頃合いだ。「あぁ」とそっけなく返事をし、振り返ることなく目的の地点に足を進める。首を傾げながらも彩子は追従した。
そして一分後。怜太は足を止めた。
「到着だ」
「到着って……車両の先頭じゃない」
また電車に乗るの? と首を捻る彩子を横目に、数メートル先にある行先表示の電光掲示板に目をやる。次の電車が来るのは三分後。都会の電車の回転率はいつもと変わらず光速だ。
「ねぇ聞いてる? 朝からちょっと冷たいんじゃない?」
【畜生で草】
【人の心とかないんか】
【彩子ちゃんかわいそう】
【誰か凸して助けてこいよ】
怜太の人間性を疑うものや彩子に同情するもので、コメント欄は大盛り上がりだ。想定していた以上に、ユーザーは怜太の手のひらの上で踊っていた。
「今日の動画の内容を発表する」
画面から彩子に視線を移す。目と目を合わせて話をしないと、彩子はご機嫌斜めになるのだ。
「タイトルは――電車に飛び込みしてみた」
「え……」
ゾッと青ざめる彩子。
「内容はタイトル通りだ。これから三分後にやってくる電車に彩子が飛び込む。以上」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
焦燥を孕んだ声。彩子の頬はひくついていた。
「私に自殺しろっていうの?」
「既に死んでいるじゃないか」
「いや、でも――」
「これから先は誰かに迷惑を掛けることになる。その忠告を彩子は受け入れた。契約した」
目を見開き、彩子は口をつぐむ。ルールには厳格に。彼女のモットーが、今は枷となって彼女の不満を堰き止めている。
「誰も傷つけたくないという彩子の意思も汲んでいる。俺はふたつの条件を満たした上で成り立つ動画を企画した。彩子が死んでいるからこそできることだ」
怜太のチャンネルの強みは、彩子が既に死んでいることにある。であれば、生きている人間にはできないことをすることが、このチャンネルならではの魅力であるといえよう。それが過激であればなお良い。人間には過激なものを好く性質があるから。
「飛ぶだけだ。黄色い線の向こう側に身を投げるだけでいい。できるだろう」
「……こわい」
言われずともわかる。彩子はずっと震えているから。
「前にも言ったはずだ。撮影中、俺には逆らうなと。既に彩子は死んでいる。死んでいるから死なない。だから飛べ。飛べるよな?」
「……私は」
ボソッと呟き、彩子は怜太に鋭いまなざしを向ける。
「私は、生きてる! 今、この瞬間、確かにこの場所にいるっ!」
眩しい瞳だった。電車でスマホに視線を注ぎ続けていた社会人よりも、彼女の瞳はずっとずっと眩しい。……あの頃と変わらず。
「血は巡っていないし、心臓は動いていない。けれど、なにより大切なこの場所は――」
胸を鷲掴む。
「心っていう人間の人間たる所以は、感情は、息をしている! 飛び降りることに恐怖を覚えて、あなたに強い苛立ちを覚えて……。それでも私は死んでいるっていうの!?」
言えないだろう。彩子は立派に生きている。怜太よりも生きた人間をしている。
「つまり、自分を生きた人間と同様に扱ってほしいと彩子は言っているんだな」
「えぇそうよ」
「聞き入れられない」
彩子が「えっ……」と腑抜けた声をもらす。
「このコンテンツは、幽霊である彩子が復讐に至るまでの過程を届けるものだと、ユーザーと約束することで成立している。佐藤彩子は幽霊だ。死んでいる。演出プロデューサーである俺は、一度として彩子を人間だと思ったことはない」
「そんな。……そんなのってないじゃない」
「演者は演技にだけ集中すればいい。無駄な感情は削ぎ落とせ。ノイズだ」
彩子は寂しそうに目を伏せる。
彼女は自分と玲太の関係をどのようなものだと解釈していたのだろうか。友人。同居人。候補はいろいろある。
しかし、そのどれもが利害関係が一致した上で成立している関係であることには変わりない。煎じ詰めれば、演出プロデューサーと演者という関係に落ちつく。
ホームにアナウンスが鳴り響く。
――まもなく二番線に電車が到着します。ご注意ください。
「飛べ、彩子」
動画の同時接続数は三万を超えていた。今が幽霊育成chをより大きなコンテンツとして成長させるチャンスだ。
【飛べよぉぉ!】
【飛んじゃえ!】
【渡米しろ、彩子】
電車が迫る。
ライトの光が強くなる。
その光景を前に彩子は慄いていた。
「彩子が飛べないなら俺が飛ぶ」
彩子の耳元で囁く。
このままでは彩子は飛べずに終わる。それは視聴者の期待を裏切る行為だ。
そうなることを避けるために、怜太は黄色い線の内側へと足を踏み入れる。
――が、怜太の身体はその手前で不自然に硬直していた。
「ふざけないでよ。……もう見たくないのよ、目の前で誰かが命を落とすのは」
視界の端にぼんやりと長い黒髪が見える。それが見慣れた後ろ姿になると同時、白が包み込んだ。
電車が急ブレーキをかけて停車する。先頭に辿りつく前の不自然な停車。喧騒が耳朶を打つ。
続けて足裏にアスファルトの感触を覚え、自分が空中での不自然な硬直から解放されていることに気づく。
まずは、YouTube Live配信を確認する。
【最高www】
【神回確定】
【やらせって言ってた奴ら、今すぐ全裸で土下座しないと彩子ちゃんに呪われるぞ】
ぐんぐんと伸びる同時接続数はついに十万を超える。怜太の読み通りの展開だ。
「私に隠れてずっと動画を撮っていたのね」
背後から聞こえた冷ややかな声に振り返れば、飛び込んだのに一分前となにも変わらない彩子がいた。端正な顔立ちも、白のブラウスと薄茶のフレアスカートも、一分前と同じ。
「これでこのチャンネルはより多くの人に注目されることになる。おまえの望みに一歩前進だな」
動画の収益で怜太の借金を完済し、生きてもらうという望みに。
「……そうね」
そこで会話は終わる。怜太は動画配信を終了した。
◇ ◆ ◇
その後、帰りの電車に揺られている間も、彩子の方から話しかけてくることはなかった。食事中も、番組を見ている間も……。
「おやすみ彩子」
作業中、彩子が眠りにつく時間になったので、念のために普段通り声を掛けておく。
「……おやすみなさい」
渋々ながらもあいさつが返されて、そこは無視するべきだろうと呆れて笑みを漏らしてしまった。
明日、元の関係に戻るのかはわからない。しかし、三日もすれば彩子はこれまで通りに振る舞うだろう。怜太が望まずとも、彩子は自身の弱さに耐えかねてその選択をするはずだ。
やがてキーボードを叩く音に、すうすうと軽やかな寝息が溶けていることに気づく。振り返れば、彩子は怜太のベッドの真ん中で眠っていた。彼女なりの意趣返しなのだろう。
彩子が眠りについたところで、怜太は作業を中断する。ひょっとこのお面とボイスチェンジャーを身につけ、サブチャンネルのLive配信を開始する。
「こんばんは。みんなニュース見たか。すごいだろあの動画。えっと……心が痛まないのかって? 痛いに決まってるだろ。おかげで彩子、半日口を利いてくれなかったし。……これで俺を少しでも嫌いになってくれたら万々歳なんだけどね」
演出プロデューサーの阿久井怜太ではなく、ただの阿久井怜太として……。




