第4話 威嚇
翌日。怜太はとあるマンションの一室に足を運んでいた。
ここに来るまでに、自宅から駅までの道を歩き、電車に乗り、アーケード街を抜け、外れにある住宅街に入る、というルートを辿ってきたが、行き交う人は誰ひとりとして彩子を振り返らなかった。一瞥すらしなかった。彩子は怜太の背後で浮いているというのに……。
その事実が、今もまだ、変わらず怜太にしか彩子が見えていないことを示していた。
「成仏した先輩はどれくらい幽霊活動をしていたんだ」
「一年ちょっと。あの当時はあちらが先輩だったけれど、今ではすっかり私のほうが先輩ね」
「つまり彩子は落ちこぼれ幽霊ってわけか」
「そんな言い方ないんじゃない?」
背を向けていても、彩子がムスッとしていることがわかる。付き合いはじめてもうすぐ一週間になるため、彩子との接し方も、どんな言葉にどんな反応を示すかも、おおよそ見当がつく。
彩子が言うには、人の中で話題に挙がり、恐怖の度合いが強くなるほど、幽霊の存在は色濃くなっていくらしい。例の先輩なんかは、成仏の間際にははっきりと復讐相手に認識されていたそうだ。先輩という先駆者がいるから、彩子は恐怖されることが復讐には欠かせないことも、復讐の果てに自身が成仏することも知っている。もっとも、知っているだけ、なのだが。
エレベーターが四階で止まる。出てすぐの場所にある部屋のインターフォンを鳴らすと、どたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。勢いよく扉が開く。
「れ、怜太ぁ~」
「一週間ぶりだな」
心なしか、肉づきのいい頬がややこけている。潤んだ瞳や、安堵して深々と息を吐く様子を見るに、相当に怜太のことを憂えてくれたのだろう。相変わらず悠はお人好しがすぎる。
「悪いな。急に押しかけて」
「ほんとだよ。電話にもメールにも応じないから、本当に自殺したのかと思ったじゃないか」
ごしごしと目を擦り、悠はにっこりと微笑んだ。
「よかったよ。生きててくれて」
怜太は微笑を返し、悠の家にあがった。
悠の家は怜太の家より広い。怜太の家は1DKなのに対し、悠の家は2LDK。ひとり暮らしなのに、リビングとは別に洋室がふたつある。その内の一室は私室。怜太たちふたり――正確には三人は、私室ではない方の洋室に足を運んだ。
「それにしても驚いたよ。怜太が急にYouTuberを目指すだなんてさ」
そう言って微笑みかけてくる悠の襟には、小型のマイクが取り付けられている。
正面にはビデオライトがふたつ。ひとつは鋭角から悠を照らし、もう片方は怜太を照らしている。その間には、三脚の上に固定されたカメラがある。怜太も知っている二十六万円の高級カメラだ。
悠は十万人のチャンネル登録者を抱える有名YouTuberだ。チャンネル名は『ヒグkitchen』。名前の通り、料理をメインとしたコンテンツである。
ここは悠の撮影および仕事部屋だ。撮影機材以外には、銀の盾、大きなクマのぬいぐるみ、うず高く積まれた料理本なんかがある。ぬいぐるみは、以前誕生日にリスナーからプレゼントされたと話してくれたものだ。大切に保管しているあたりに悠の人間性の良さが滲んでいる。
始まりは両親が断りもなく野菜を送ってきたことだという。大学一年生の春、悠に料理スキルは一切なかった。しかし捨てるのも惜しいからと料理の勉強を始め、せっかくだからとその様子をYouTubeに投稿した結果、大当たり。今では料理本を刊行しないかと出版社から誘いがかかったり、テレビに出演するほどの大物YouTuberからコラボしないかと打診されるほどの人気を博している。
「まだ四本しか投稿してないけど、再生回数が全然伸びないんだ。同じ土俵に立つと、悠が安定して十万回近い再生回数を叩き出しているのがどれだけすごいことなのか身に染みるよ。チャンネル登録してないってだけで、悠の抱えている客層はもっと多いんじゃないか」
「どうだろうね。ま、なんにせよたくさんの人が楽しんでくれてるならいいことだよ」
朗らかに言って、「準備はいい?」と確認を取ってくる。ひょっとこのお面をつけ、ボイスチェンジャーを起動し、怜太は頷いた。これがYouTubeに出演するときの怜太のスタイルだ。
「どうもこんにちは! ヒグkitchenのお時間です!」
身振り手振りを交えて明るく語りかける悠。相手は画面越しにふたりを見ているユーザーだ。
土曜日の十六時から十七時の一時間、悠はYouTube Live配信をしている。内容はリアルタイムで届いた質問に答えるというもの。パソコンを見やると、同時接続数は既に千を超えようとしていた。
「毎週恒例の質問コーナーなんですが、すいません、今日は緊急で対談動画にしたいと思います。楽しみにしていただいた方々、本っ当に申し訳ありません! 埋め合わせは後日必ずしますので」
【え~、もうスパチャしちゃった~】
【無理して時間を設けなくても大丈夫ですよ】
【隣にいる人誰? 変な間取りから推理する人?】
【少しやつれていますが、なにかあったんですか?】
次々に届くチャットは悠を憂えるものばかり。似たものが惹かれ合うのか、優しい客層だ。
「あ、もうスパチャしちゃいましたか。では……TaTaさんですね、この質問には後日優先して答えさせていただきます。……と、今でも答えられそうな質問だ。スイカって漢字でどうやって書くんですか。由来も教えてください。……西に瓜って書いてスイカって読みます。由来は……なんだったかな。中国の西側にあるウイグルから伝わったから、だったと思います。西から来た爪、ということで西瓜。ってどこかで見た気がします。すいません、うろ覚えで。来週までに調べておきますね」
今日、怜太が悠の家にやってきた理由はふたつ。ひとつは食材を恵んでもらうため。そしてもうひとつは、悠とコラボ動画を撮るためだ。
「真摯な受けごたえね。固定ファンがつくのも納得だわ」
感心とばかりに彩子が頷いている。演者の癖に頭が高い。
「と、一段落ついたところで早速本日のゲストの紹介です。僕の親友にして、先日動画を投稿したばかりの駆け出しYouTuber! ……えと、名前は言って大丈夫?」
「チャンネル名で頼む」
本名を口にされては、仮面をつけて変成器を使っている意味がなくなってしまう。
「了解。改めまして。僕の親友にして、先日動画を投稿したばかりの駆け出しYouTuber! 幽霊育成chさんです! 拍手~!」
「ヒグkitchenチャンネルをご覧の皆様はじめまして、幽霊育成chと申します。樋口様、この度は私のような弱小YouTuberの誘いを快く受け入れてくださり誠にありがとうございます」
「硬っ! 普段は僕らもっと砕けた関係だからね? 彼がふざけてるだけだからね?」
コメント欄に無数のwwwが浮かぶ。掴みとしては上々だろう。
「幽霊育成chはどんなコンテンツなの? まさか名前の通りってわけでもないよね?」
悠がいつもの調子で切り出してくる。あまりに自然体なものだから、今この瞬間の映像が全世界にLive配信されていることを忘れてしまいそうになる。
「いいや、名前の通り幽霊を育てるコンテンツだよ」
「それはゲームでってこと?」
「いいや、今、俺の背後にいる幽霊を一人前に育て上げるまでを記録したコンテンツだ」
しんと沈黙が満ちる。悠はぽかんと口を開けていた。
【ヤバイ奴で草】
【逃げて悠くん!】
【顔からして陰謀論とか好きそう】
怜太の顔が見えていないのにその言い分は無理があるのではないだろうか。
「……えっと、冗談だよね?」
「マジだ。今からそれを証明する」
椅子の下に置かれたペットボトルを手に取り、カメラの正面の見えやすい位置に置く。完全アドリブだが、悠は横やりを入れることなく怜太を見守ってくれた。
「中身の入っていない空のペットボトルだ。部屋は密閉状態。冷房がついているが、その程度の微風でペットボトルが倒れることはありえない。そんなペットボトルを、今から3つ数えた後に俺の背後にいる幽霊が倒してみせよう。余談だが、芸能人顔負けの美人だ」
「ちょっと阿久井くん!?」
だからどうした、と期待した通りの反応がコメント欄を踊る。同時接続数の数は少し減ったものの、まだまだたくさんいる。充分な数だ。
彩子を見やると、赤面して剥れていた。相変わらず初心なヤツだ。
「では始めようか。3、2,1――」
指を鳴らす。それと同時、ペットボトルがこてんと倒れた。
「え、嘘……」
悠が絶句している。
虚飾のない良いリアクションだ。おかげでリアリティが補完される。
「とまぁこれだけじゃやらせだって疑うヤツがいるだろう。次、前後に揺らせ」
指を鳴らす。
――ペットボトルが前後に動く。
「次、左右」
指を鳴らす。
――右に、左に。ペットボトルが意思を持ったかのように転がる。
「ストップ。……ここまでやっても信じないヤツもいるだろう。悠が腰を抜かしているが、それが演技じゃないと証明する術は持たない。だが、彼女は実在する。俺にははっきりと見えている。彼女はいずれ誰もが認知する存在になるだろう。俺はそれを記録した動画を投稿する。チャンネル名は幽霊育成chだ。ぜひチャンネル登録してくれ。ネットに拡散してくれると更に助かる。……認知するヤツが増えれば増えるほど、こいつは成長するからな」
恐怖心を刺激するように言って席に戻ると、ペットボトルはころころ怜太の元まで戻ってきた。
悠は唖然として口を開けずにいる。
画面を流れるコメントは早すぎて読めなかった。
◇ ◆ ◇
翌朝。起床一番、怜太の目に飛び込んできたのは珍奇な光景だった。
「……」
夢ではないかと瞬きをする。しかし、瞳に映る景色は変わらない。
怜太の頭上二メートル。そこにあるのは、昨夜入眠前に腹部にかけたブランケットだった。
「おはよう怜太」
その声はキッチンから。これまた奇妙なことに、寝る前に閉めたはずのキッチンと洋室を区切る扉が開けっぴろげになっていた。
「念動力が成長したのか」
「あいさつ」
「おはよう彩子」
彩子はにっこりと笑う。相変わらずあいさつに厳しい。
「昨日、樋口くんとコラボした影響でしょうね」
怜太の質問に時間差で答えつつ、彩子が振り返ってこちらにやってくる。右には大皿。左にはマグカップを浮かせながら……。
「極端に重たいものはまだ厳しいけれど、大抵のものは動かせるようになったわ」
大皿とマグカップが机に着地する。大皿にはバターが塗られた黄金色のトーストと鮮やかなサラダが。マグカップは湯気を立てるコーヒーで満たされていた。
「居候の身だし、これくらいはしなきゃね。これから家事全般は私にまかせなさい」
どんっと胸を叩き、得意げに鼻を鳴らす。
「ならコインランドリーと買い出しもまかせていいのか」
「いいわよ」
「じゃあ頼むな」
言うが早いか、洗濯物の貯まったバスケットを念動力で持ち上げようとする彩子。しかし、持ち上がらない。彩子は腕を伸ばし、踏ん張るように顔を赤くして苦悶の声を漏らすが、結果はついに変わらなかった。疲労を孕んだため息をついて言う。
「……ダメね。今日のぶんの呪力が切れちゃったみたい」
「まるで遊園地ではしゃぐ子どもだな」
「馬鹿にしてる?」
してる。
浮遊するバスケットを公にし彩子の存在をより色濃くしようと企てていたが、その目論見は今日のところは見送らざるを得ないようだ。
朝食を摂り怜太がコインランドリーから戻ると、「やっぱりコインランドリーと買いものは今後もまかせていい?」と彩子が申し訳なさそうに言ってきた。
「どうして?」
「すれ違う人を驚かせてしまうもの。できるだけ迷惑をかけたくないわ」
「ま、そういうだろうなと思ってたよ」
ため息をついて言えば、彩子はこてんと首を傾げる。
先日立てた方針と行動が矛盾していることに、きっと本人は無自覚なのだろう。




