第3話 方針
「阿久井くん」
名前を呼ぶ声が朧気に聞こえて怜太は薄く目を開けた。
「あら、目覚めがいいのね。おはよう」
音源は怜太の右から。誰の声かわかりつつ首を傾けると、予想に違わない相手が綺麗に正座して怜太を見下ろしていた。視線が交わりくすくすと笑う。
「どうして俺の家にいるんだ」
昨晩、彩子は怜太の家までついてきた。就寝前に家から追い出し、許可なく家に入って来るなと釘を刺したことを鮮明に覚えている。
「まずはあいさつを返しなさい。人として当然の礼儀よ」
「不法侵入を咎めるほうが優先度は高いと思うんだが」
毒づきつつ、身体を起こしてまぶたを擦る。
「おはよう。それで、どうして俺の家にいる」
「よくできました。それはね、ここが私の家だからよ。主が家にいるのは当然でしょう?」
「は?」
「ん、呪われたいの?」
にっこり微笑んで圧を掛けてくる。いやおまえの呪いは貧弱だろ、と反論しようかと思ったが、口論するだけ無駄だと思って聞き入れることにした。
彩子は実体を持たず、鍵がなくても怜太の部屋に侵入できるため、出て行け、来るなといったところで、無駄な苦言になることが目に見えている。
「わかったよ」
どうやらこれから、怜太は幽霊とふたり暮らしをすることになるようだ。
布団を畳んだところで、怜太は彩子を振り返る。
「シャワー浴びるけどいっしょに浴びるか」
「っ! ……えっち」
赤面してつぶやく。
どうやら彩子は初心らしい。
「それにしてもシンプルな部屋ね」
部屋を見渡して彩子は言う。
築五十年のマンションの二階。1DK。家賃は破格の三万円。というのも、前の住居者がこの家で首吊り自殺をしたという曰くつき物件だから。
この家で暮らして三年以上経つが、残念なことに怪奇現象が起きたことは一度としてなかった。……昨日、家の外でようやく訪れたが。
十畳の洋室には、机、椅子、ベッド、テレビ、本棚と、最低限のものしか設えられていない。おかで清潔感のある印象を受ける。今日に限り、大量の空き缶が部屋の端に積まれていた。
「学校はいいの? 平日だけど」
時刻は八時。怜太の通う学校は、最寄りの電車で九十分揺られた先にあった。なけなしのお金を叩いてサブスクリプションに登録し、行き帰りの電車で映画を見るのが日課だった。
「辞めたから問題ない」
「え?」
「バイトも全部やめた。貯金は三万円しかない。キャッシュも直に止まるだろうから、飢え死ぬ前に一人前になって俺を呪い殺してくれ」
「ちょっと待って。……話が呑み込めない」
頭痛でもするのか、彩子はこめかみを押さえている。ちなみに怜太は二日酔いで寝起きから頭痛がひどい。お金のことを考えると余計に頭痛がひどくなった。
「五千万円の借金を抱える二十一歳の無職。それが今の俺だ」
「事実は小説より奇なりね」
「おまえが言うかそれを」
「おまえって呼ぶのは金輪際禁止ね。彩子って呼びなさい」
朝のあいさつといい、呼び方といい、礼節に厳しい幽霊さんだ。
怜太の現状を説明したところで、今後の方針確認に議題を変える。
「一人前の幽霊になる、というのは具体的にどうなることを指すんだ」
聞こえはいいが、これでは明確にゴールをイメージすることができない。まずは最終的なイメージを共有する必要がある。
「そうね……人に恐怖される象徴になること、かしらね。そうすれば自ずと復讐を果たすことができる」
「どうしてそうなるんだ。恐怖される象徴になる=復讐を果たすにはならないと思うんだが」
「私たち幽霊は人に恐怖されればされるほど呪力が強まるの。今は些細なポルターガイストを起こしたり、風邪を引かせたりするので精いっぱいだけど、世間が私を恐れるようになれば念動力だったり画面越しに移動したり。様々な力が備わって人の命を奪えるようになるわ」
彩子の言語化能力の高さに、怜太は面食らう。ドジっぽい場面を多く見ていたからおつむが弱い印象があったが、見立て以上に彩子は賢しいようだ。
「つまり、彩子は復讐を果たすために、人に恐怖される象徴になりたいってことか」
「そうよ」
怜太の認識とはやや齟齬があった。
優先順位の最上にあるのは、一人前の幽霊になることではなく、復讐を果たすこと。つまり、復讐を果たせるのなら必ずしも彼女を一人前の幽霊にしなくてもいい。
「人に恐怖される、か」
昨夜撮影した動画を確認する。そこには怜太と受け答えする彩子が映っている。顔がほころんでおり、どう足掻いても恐怖の念なんて抱けそうにない彩子が。
(……仮に姿が見えているのならもっと話題になるよな)
何故だか怜太には彩子の姿が明瞭に見えているが、怜太以外はそうではないだろう。廃墟に行くと、軽いポルターガイストが起きて翌日微熱が出る。うわさになっているのはそれだけだ。ネットを確認しても、黒髪美少女の幽霊が脅してくるけど全然怖くないとは誰も言っていない。
「あのさ」
視線を横に流し、怜太はぎょっと目を剥く。真ん前に彩子の顔があったからだ。
「あっ、ごめんなさい! ……その、放置されるのは寂しくて」
俯いてぼぞぼそと呟く姿には、顔立ちとは不釣り合いな子供らしさが滲んでいた。
「んんっ、ところで彩子は何歳なんだ」
「死去したのは十六歳。それから五年経つから二十一歳になるわ。阿久井くんと同い年ね」
そう彩子は言うが、怜太にはそうは思えない。精神は十六歳のまま。しかし容姿だけ五年分成熟した。それが佐藤彩子という幽霊であるように思えた。ころころ変わる表情や、出逢ったときからやけに近い距離感がそう思わせるのだろう。今も実体があれば肩が触れ合う距離にいる。
「……この感情も使えそうだな」
「なんの話?」
「こっちの話」
どうすれば彩子を人に恐怖される象徴にすることができるか。
答えはすぐに出た。
「YouTubeをやってみないか」
「え、私が?」
「ああ」
今の時代、なにより影響力を持つのはSNSだ。カメラを通せば一度でたくさんの人に認知してもらうことができる。また、怜太が演出を務めることで彩子の怖さを底上げすることもできる。なにしろ演出ディレクターを長年目指してきたのだから。
動画編集には慣れているため、YouTubeに投稿する動画は半日とかからず仕上がった。
(チャンネル名は……)
打っては消し、打っては消し――。
悪戦苦闘の末に絞り出されたのは『幽霊育成ch』というシンプルなネーミング。
変に凝りすぎるよりも、わかりやすい方が現代では受け入れられやすいだろう。
この名前に決定することにした。
◇ ◆ ◇
一日目、自己紹介動画と、彩子と出逢った動画の再生回数は、どちらも十を超えなかった。
二日目、彩子がコップに入った水を揺らす動画の再生回数は五回すら超えなかった。
三日目、彩子にインタビューする動画の再生回数は三のまま停滞しつづけた。
◇ ◆ ◇
「本当にうまくいくの?」
四日目に投稿する予定の動画の編集作業をしていると、彩子が不安そうな声をかけてきた。四日目の内容は、怜太が彩子を驚かせたら腰を抜かすというもの。幽霊のくせに彩子はビビりなのだ。
「いかないだろうな」
「いかないだろうなって……」
呆れた声だ。キーボードを叩く手を止め、怜太は彩子を振り返る。
「知っているか。花は種蒔きをしないと育たないんだ」
「言われなくても知っているわよ。初めから咲いている花なんてないわ」
「わかっているじゃないか。明日、肥料を取りにいくぞ」
「肥料?」
「あぁ。花を咲かせるためにな」
ここまでは怜太の想定通り。勝負はこれからだ。




