第2話 契約
歩くこと十分。先ほどまで画面越しに見ていた廃墟のある森に辿りついた。
ハンディカメラを構えて撮影を開始する。
この場所が廃墟と呼ばれていることに、怜太はなんだか不思議な気分になる。
森を潜り抜けた先にある教会が活発に活動していた時期を怜太は知っている。小学生の頃だ。怪しげな教会で、母親から絶対に近づかないようにと忠告されていた。取り壊されたのは高校に進学した頃合いだったか。
熱気を孕んだ乾いた風が頬を撫でる。足を進めるごとに鳴る小枝の折れる音は、すぐにリリー、リリーと鳴く鈴虫の声に包み込まれて聞こえなくなる。常に虫の合掌が盛んなおかげで、少しも緊迫感が満ちない。
とにかく暑かった。アルコールを過剰に取り込んだ影響もあり、怜太の額からは絶えず汗が噴き出している。
「隠れていないで出てこいよ」
額の汗を拭いながら、はったりを言ってみる。動画越しに、怜太ははっきりと幽霊の声を聞き取ることができた。であれば、コミュニケーションも取れるだろう。
「幽霊の癖にシャイなのか。とっとと脅しにこいよ」
続けて言うが、それらしい現象は訪れない。ため息をついて言う。
「蛇足か」
ハンディカメラを下げ、身を翻した直後だった。
「つまらなくて悪かったわね」
「っ!」
目を疑った。
目の前に眉をひそめる女がいた。
気づけば無意識にハンディカメラを構え直していた。
「今日のぶんの呪力はさっき全部使いきっちゃったのよ」
鼻を鳴らして視線を切り、肩を滑り落ちる黒髪をふわりと棚引かせる。その一連の動作をカメラはしっかりと捉えていた。
主演女優を決めるオーディションをしようものなら、演技の腕前を図らずとも採用されてしまいそうな美人だった。元がいいからか、白のブラウスと薄茶のフレアスカートというシンプルな組み合わせであるのに品のある印象を受ける。
「……え?」
液晶モニター越しに眺める彼女の切れ長の瞳に驚きの色が宿る。
「あなた、見えているの?」
神々しく感じられる。その一因に彼女の容姿と身に纏う雰囲気が関与していることは疑いようのない事実だが、なによりその印象を助長している要素は別にあった。
頷いて言う。
「あぁ見えてるよ。幽霊さん」
頭上では数えきれないほどの星々が瞬き、中央では月が光を放っている。
ぱちぱちと瞬きする、月明かりが透ける彼女こそが、怜太が動画の最後で目にした女だった。
◇ ◆ ◇
「どうしてそんなに平然としているわけ? 私が怖くないの?」
「怖かったら今頃逃げ出してるよ」
女と出逢ってから一分後。怜太はカメラを回しながら女の後をつけていた。
好奇心に逆らえないとはいえ、怜太だって人間だ。面白い映像が撮れるなら命だって惜しみなく天秤にかける心意気でいるが、実際そのような場面と出くわしたら足を竦ませたり逃避したりと、本能が鳴らす危険信号に否応なく従うことになるだろう。
しかし、怜太は逃げていない。それは女が恐怖の対象になっていないからに他ならなかった。
「いつまで後をつける気なの」
「俺が満足するまで」
「そ。好きにしなさい」
寛容な幽霊だ。ありがたい。
「いくつか聞いていいか」
「どうぞ」
わざわざ振り返って応じてくれる。
「じゃあ早速。名前は?」
「彩子。佐藤彩子よ」
超がつくほどの美人なのに名前は平凡だ。
「……あれから五年経つものね。忘れてて当然か」
「なにか言ったか?」
「なんでもない。そういうあなたは?」
「阿久井怜太」
「え?」
自己紹介をしただけなのに彩子は驚いた顔をしていた。
「どうした」
「あ、なんでもないの。生前私に良くしてくれた女性の方がいてね、その方と名字が同じだったからつい反応しちゃっただけよ。もしかしてお子さんかなと思ったけど、あの方は未婚だったし」
なんでもないと言いつつ、ものすごく話してくる。
佐藤という名字と比較すれば劣るものの、怜太の暮らす地域には阿久井さんが大勢いる。怜太に心当たりはないので、彩子の言う阿久井さんは怜太とは繋がりのない阿久井さんだろう。
「そうか。まぁ俺のことはどうだっていい。それで、佐藤さんはどうして森の中で怪現象を起こしていたんだ。奥にある教会で驚かすほうが雰囲気が出ると思うんだが」
月光が降り注ぎ、鈴虫が暢気に合唱する森林。とてもじゃないが、恐怖を煽るのに適した環境とは言えないだろう。少なくとも怜太は、恐怖よりも先に幻想的だという感想が出てくる。
「彩子でいいわよ。……だってこわいもの」
「は?」
思わず頓狂な声をあげてしまった。彩子はムスッと顔をしかめる。
「幽霊とはいえ元は人間よ。深夜に、うらぶれた教会で、ひとりぼっちで人間が来るのを待つ。想像しただけで怖気が走るわ。そういう阿久井くんは同じことができるの?」
逆ギレしてきた。どうやらこの幽霊さんは怖がりらしい。
「できるが」
「嘘ばっかり。ならやってみなさいよ」
彩子が教会を指差す。
反論するか、言うことに従うか。
思案した結果、後者の行動を取ったほうがおもしろそうな反応が見られそうだと思い、怜太は「わかった」と頷いた。
「え、無理しなくていいのよ?」
「虚勢を張っているわけじゃないよ。満足したら呼んでくれ」
教会の天井は摺りガラスになっており、差し込んだ月明かりが埃を煌めかせていた。
埃を払ってチャーチチェアに腰掛ける。座面の弾力性はまだ生きており、座り心地が良い。怜太が愛用しているリサイクルショップで購入したスツールよりも悠かに上物だ。
やけに暑いと思ったらことごとく扉が閉まっている。窓を開けようと席を立つと同時、「もういいわよ」と背後から声がして、怜太の心臓は大きく跳ねた。勢いよく振り返る。
「わっ! ……ごめんなさい。驚かせてしまったかしら?」
申し訳なさそうにする彩子がいた。
扉が開いた音は聞こえなかった。ということは、彩子は物をすり抜けることができるのだろうか。試しに彩子に手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと……!」
怜太の手のひらは、彩子の温もりを感じることなく空を切った。視覚的には身体を貫いていたが。
「一言断りがあってもいいんじゃないの」
眉宇を八の字にして窘めてくる。
「触ったわけじゃないんだから怒ることないだろう」
「万一触れることができてたらどうしてたのよ。それに迷わず胸に手を伸ばすって」
「偶然だ」
正面に手を突き出したら胸部だった。それだけの話だ。
納得していないと視線で訴えてくる彩子を無視して教会の外に出ると、朧げに声が運ばれてきた。楽しそうな声がふたつ。ひとつが男で、ひとつが女のもの。
「どうするんだ」
「もちろん恐怖を植えつけてくるわ。呪力切れだけど問題なし」
自信に満ち満ちする彩子を見て、怜太はなんとなくこの後の展開が予想できた。
――そして数分後。
「なんも出ねぇじゃねぇか。所詮はガセネタか」
「うぅ~」
「やっぱり幽霊なんていないんだって。あ、帰りにアイス買ってこーよ。深夜のアイス。乙なものだと思わない?」
「うぅ~!」
「いいなそれ。俺、ワッフルコーン」
「アタシはドルチェ~」
「うぅ~!!」
「いやドルチェはアイスじゃねぇだろ」
「いやいやアイスだよ~」
会話を弾ませるカップル。そこから戦慄の気配は感じられない。
「ううううううぅぅぅ~!」
これっぽっちも怖くない彩子の脅そうとする声は、最後まで怜太の耳にしか届かなかった。
◇ ◆ ◇
「まだ犬の鳴き声のほうが怖いぞ」
「喧嘩売ってるの?」
教会に戻りチャーチチェアに腰掛けて話を切り出すと、彩子は不服そうな顔をした。
「本気で怖がらせようとしていたのか」
「私はいつだって本気よ」
涼しい顔で言う。ため息をつき、怜太は腰を持ち上げた。
「満足した。じゃあな」
「えっ、ちょっと待ちなさいよ!」
足を進めてまもなく背中に切迫した声が掛けられる。
「なんだ」
「もう帰るの?」
「あぁ帰るよ。すぐに出かけるけど」
天国か地獄か、はたまたどちらでもない場所なのか。それは死んでみないとわからない。
「そう。……また来てくれる?」
「来ないだろうな」
「……そう」
目を伏せる。彼女が二の句を継ぐ気配はなく、身を翻したときだった。
「私を育てないとあなたを呪い殺すわ」
再び振り返る。
彩子は気魄に満ちたまなざしを向けていた。
「殺すといっても今のおまえにそんな力はないだろう」
YouTubeで金髪ブロンドの女が言っていた。ポルターガイストが起きる。翌朝微熱が出る。そのふたつが、この廃墟が有名になっている理由なのだと。
「いいえできるわ。毎日あなたに呪いをかける。そうすれば徐々に衰弱し、やがては命を落とす」
大掛かりな計画だ。彩子はその瞬間まで怜太に付き纏うつもりなのだろうか。
「それが嫌なら私を一人前の幽霊に育てなさい」
少し考える。
今、怜太が命を落とすためにできる選択は三つ。
ひとつは、彩子を無視して首吊りなりオーバードーズなりしての死去。
ひとつは、彩子の呪いで微熱に侵されつづけての死去。
ひとつは、彩子を一人前の幽霊に育てあげた後に呪い殺されての死去。
「どうして一人前の幽霊になりたいんだ」
三つ目の候補がもっとも魅力的に思えたので、とりあえず話を聞くことにした。
一人前の幽霊とは具体的にどうなることなのか、育てるとはなにをすることなのか。色々と聞きたいことはあるが、まずは動機を知りたかった。すべてはそれを知ってからだ。
「復讐したい相手がいるの」
逡巡することなく彩子は言った。
「彼らに復讐するまで私は成仏することができない」
復讐したい相手は複数いるらしい。
「だから私は、人間を五年間驚かせ続けている。復讐を果たすための力を得るために」
五年間驚かせ続けている。それはつまり、彩子は五年前に命を落としているということ。
そこでふと、怜太の脳裏でとある記憶がちらついた。
(……佐藤彩子? いやまさか)
「阿久井くん、あなた演出に造詣があるわよね。撮影の仕方が素人のそれじゃない」
確信を持った口調で指摘してくるが、それは一般人では見抜けないことだ。
その世界に居る、あるいは居た人間にしか、その指摘をすることはできない。
「二択よ。私に呪い殺されるか、私が一人前の幽霊になる手伝いをするか。好きな方を選びなさい」
復讐したい相手がいる。五年前に命を落としている。怜太に演出の造詣があると見抜いた。
ぞっと背筋が粟立つ。
(……まさかこんなエンターテイメントが人生の最後に訪れるとは)
予感が確信に形を変えた合図だった。
「ひとつ条件を呑んでほしい」
怜太が人差し指を立てた直後、彩子の顔が緊張に覆い尽くされた。強気になったり弱々しくなったり、感情に正直で忙しい子だ。
成長はしているものの面影のある顔立ち。あの頃と変わらない人となり。
まちがいない。彼女は怜太の知っている佐藤彩子だ。であれば、彼女が言っていた阿久井さんも怜太はよく知っている。誰よりも知っている。
なぜ彼女が幽霊になっているのか。
彩子は復讐したい相手がいると言った。であれば、他殺されたとみるのが妥当だろう。
聞けば、彩子はすべて話してくれるだろう。
けれど、それでは面白くないなと思った。エンターテイメントに欠けるなと思った。
だから怜太は、これまで通り阿久井怜太を殺して言った。
「一人前の幽霊とやらになったら俺を殺せ」
「え……」
「それだけ約束してくれのるなら俺はおまえを育てよう」
しばし黙考した後、彩子は首を縦に振った。
「わかったわ」
「契約成立だ」
こうして、怜太は幽霊を育てることになった。




