第1話 享楽
幽霊育成ch。
七月上旬に発足してからわずか三か月で二百万人以上のチャンネル登録者を抱え、YouTubeのみならずお茶の間までも賑わせていたそのコンテンツは、九月末の撮影者が呪い殺される動画を最後に更新されなくなった。
はじめは誰もが演出だと思っていた。しかし、メディアでの撮影者の死亡報道、撮影者と関わっていた人たちが死去を嘆く動画、極めつけは動画が二カ月更新されなくなったため、ほとんどの人があれは演出ではなかったのだと考えを改めた。それでもなお撮影者生存説を提唱する人がいたが、月日が流れるに連れて彼らの興味は薄れていった。
季節は淡雪が静かに降り積もる十二月下旬。クリスマスイブ。
ホワイトクリスマス、イルミネーション、クリぼっち、といった、如何にもクリスマスといったキーワードがXのトレンドを満たす中、ひとつだけ異質なものがあった。
『幽霊育成ch復活』
その急上昇ワードを目にするなり、彼らのファンは嬉々としてYouTubeを開いた。
そして、首を傾げた。
幽霊育成chの動画は更新されていなかったからだ。
◇ ◆ ◇
その日、阿久井怜太は酒とたばこに溺れていた。
気づけばとっぷりと日が暮れていた。床に乱雑に転がる大量の空き缶。灰皿に小山を築くたばこの吸い殻。部屋に充満するアルコールとタールの溶け合った匂いに不快感を覚えつつも、怜太は窓を開けることなく缶ビールを呷る。その不快感が今は心地良い。
喉が焼けるように痛む。味覚は麻痺していて味はほとんど感じない。
それでも酒を呷り続け、しかし思考の輪郭は一向に溶け落ちない。はじめて鯨飲したが、どうやら自分はとことんアルコールに強い性質のようだ。おかげで酔いたいのに酔えない。
「まあ、そこまで色々重なったら自暴自棄になるのも無理はないけど……」
スピーカーモードのスマホから声が運ばれてくる。友人である樋口悠の声だ。怜太が大学に通う三年間の中で唯一作った学外でも交流のある相手。もっとも大学は今日付けで中退したのだが。
「命がなくなったら全部おしまいだよ?」
「わかってる」
おざなりに答えて、たばこに火をつける。
今日まで死にもの狂いで生きてきた。借金は五千万円まで膨れ上がり、多額のローン返済のためにバイトは掛け持ち。週六日はバイトに忙殺されて、睡眠時間は三時間確保できれば幸運という生きているのか死んでいるかもわからない毎日。
それでも生きることを諦めずにいられたのは、テレビ業界に映像ディレクターとして就職し、闘病中の母を救うという大きな目標があったからだ。
その目標が、今日なくなった。
母の訃報が届いたのは明け方のことだった。その数時間後に、面接を受けていた会社から採用見送りのメールが届いた。さらにその数分後に、一週間後にキャッシュカードを停止するという警告の連絡が届いた。
もう疲れた。
投げ出してからは早かった。バイトも学校も辞めた。相手が電話の向こうでなにか言っていたが、話を聞き入れるつもりはなかった。着信音がうるさかったのでどちらもブロックした。キャッシュカードの親会社もついでにブロックした。もういっそ全部ブロックしてしまおうかと思った。その中で唯一残ったのが悠の連絡先だった。
「おめでとう樋口。死ぬ前にこれだけ言いたかった」
怜太が受けた企業の面接を悠も受けており、悠には採用の通知が届いていた。春から怜太も知っている敏腕映像ディレクターの元に師事することが決まっている。
「……おかしいよ」
沈黙を挟み、悠は弱々しい声で言う。
「僕よりまちがいなく怜太のほうが才能に恵まれてる。なのにどうして……」
「世の中実力だけじゃない。運、人間性。そういったものを相対的に評価した結果、俺は不必要とされておまえは必要とされたんだ。妥当な判断だろう。不満はないさ。それに――」
「けど、採用の合否の八割は提出作品の出来次第だって……そう説明されたじゃないか!」
「俺より樋口の作品のほうがエンターテイメントとして完成度が高かった。それだけの話だ」
悠は怜太の提出した作品を非常に高く評価しているが、それは悠の物差しにすぎない。クリエイター側に属する悠にとっては傑作でも、世間からみれば凡作ということは多々ある。怜太の作品はその例に当てはまるものだったのだろう。そう自己完結している。
「夢が潰えた。おまけに金もない。だから自殺してやり直す。理に適っているだろう」
「だとしても認められない」
「感情的だな。演出家たるもの、いつ如何なるときも感情を露わにしないのが鉄則だぞ。なんて負けた側にいる俺が言えた義理じゃないが」
「親友が自殺しようとしてるのに冷静でいられるわけあるか!」
キーンと耳鳴りがする。その声は、スピーカー越しにでも怜太の鼓膜を激しく震わせた。
「考え直そうよ。僕の家で暮らしてもいい。知ってるでしょ。母さん、僕ひとりじゃ食べきれないくらいたくさん食材を送って来るんだ。おかげで肥えちゃった」
つやつやでハリのある頬が柔和にほころんでいる表情をありありと脳裏に描くことができた。
「これ以上肥えたくないんだ。食材の消化をこれからも手伝ってよ」
これまで悠は、怜太の味気ない食事を見かねて何度も食材を恵んでくれた。その数は一度や二度ではない。樋口悠はこういう人間だ。情に厚く、誰かのために涙を流すことができる。義理人情の男。怜太とは真逆の人間。だからこそ、関わろうと思えたのだろう。
「今までありがとう」
彼は興味深い人間だった。
それだけだった。
激情に駆られた声に平坦な感謝を告げ、通話を終了する。続けて悠の連絡先をブロックする。
胸は少しも痛まなかった。
◇ ◆ ◇
さて、どう死んだものか。
この世に一切未練がないわけではない。しかし、唯一やり残したことは、第一志望であった会社に入社しなければほぼ叶えることができないことだ。
つまり、もう叶えられない。それは未練がないことと同義といえた。だから怜太はすんなり死のうと思えたのだろう。
死には前々から興味があった。飛び降り自殺、交通事故、オーバードーズ……。一概に自殺といってもそこに至るまでの手段はごまんとある。その中からひとつしか選べないというのが残念だ。命が複数あればすべて体験することができるのに。
パソコンを立ち上げ、YouTubeで『自殺方法』と検索してみる。すると『ひとりで悩まないで』というメッセージが浮かび上がった。
「へぇ」
こんなシステムがあるとは。
検索マークをクリック。同じ文字が浮かぶ。検索マークをクリック。浮かぶのはやはり、『ひとりで悩まないで』というAIが人に寄り添おうとする淡白な文。
呆れて笑ってしまう。
「じゃあおまえが俺の悩みを解消してくれるのか」
五千万円の借金を返済し、亡くなった母親を生き返らせ、不採用を採用に変える。
誰にもできるはずがなかった。
さっきまで悠と話していたからか、やけに無音が気にかかる。音楽でも流そうかとYouTubeをホーム画面に戻し、そこで怜太はぴたと手を止めた。
怜太の意識はLive配信されている一本の動画に吸い寄せられていた。同時接続数は十に満たない一般人が投稿しているであろう動画。タイトルは『廃墟に行ってみた』。なんの捻りもない。
しかし、怜太の食指は強く動かされていた。
サムネイルをクリックする。
「ちょ、すごくないすごくない?」
金髪ブロンドの女が、不自然に激しく揺れ動く木の葉を指差して言う。
廃墟を既に探索し終えた後なのか、女がいるのは鬱蒼と草木が茂る森の中だった。
奇妙な光景だった。女が示す葉だけが動いている。少し先にある葉はじっとしているのに。
「ほかにはなんかできねぇの?」
からかうような男の声。撮影しているためその顔は見えない。
女は「幽霊相手にマウント取る人はじめて見た~」とけらけら笑っている。怪現象が起きているというのに、ふたりは少しも恐怖していなかった。
「馬鹿にしないで」
不意に声がした。凛とした女の声だった。画面外にまだ誰かいるのだろうか。
「先に仕掛けてきたのはそっちなんだから」
澄んだ声が続く。しかしその声にカップルが気づいた気配はなく、変わらず幽霊を小馬鹿にしている。男との会話の途中で、女がぶるりと身体を震わせた。
「ねぇ寒くない?」
腕を摩って言う。季節は七月上旬。まもなく梅雨明けという時期。今現在の気温は二十六度あり、氷水でもかぶらない限り寒さなど感じないであろう熱帯夜だ。
「ん。全然寒くねぇけど」
「えー、うっそだぁ。……あのさ、この心霊スポットって幽霊がポルターガイストしてきて、次の日に風邪を引くまでがお約束らしいんだよね。風邪っていっても微熱らしいんだけど」
「知ってるよ。昨日いっしょに調べたから。それがどうかしたのか」
「うん。……なんかね、後ろのほうに気配を感じるんだ。……なんかいない?」
その緊迫した声からは偽りのない恐怖心を感じられた。
男がカメラをズームして早々と動かす。視聴者に対する配慮が欠けた雑な所作だ。
幽霊と思しき不可思議なものが紛れ込むことはなかった。
「なんもいねぇよ。昼からぶっ続けで動いてたから疲労が溜まっちまったんじゃねぇの」
「う~ん、そうなのかなぁ。……感じるんだけどなぁ、視線」
「じゃあこの辺で帰るか。――以上、廃墟に行ってみた、でした! まったね~!」
「あはは、みんなもここに来るときは風邪引かないように気をつけてね。――くちゅん!」
そこで動画は終わりを迎えた。
背後に見切れて映っていた〝長い黒髪の女性〟には一切触れずに……。
動画が終了するなり、怜太は勢いよく家を飛び出した。そしてすぐに戻って来た。
「もう使うことはないと思ってたんだけどな」
ハンディカメラを片手に、再び家を後にする。
その廃墟が近所にあるから、というのが動画を視聴しようと思ったきっかけだった。本当に幽霊が出ようものなら面白い。これっぽっちも期待していなかったといえば嘘になるが、期待が現実となる確率は宝くじで一等を引くことと変わらない期待値であると思っていた。
仮に撮影者がプロの演出家だったり、ベテランYouTuberであったのならば、あの終わり方でも納得がいく。後味を悪くするのも一種の演出技法であるからだ。
しかし彼らは一般人だった。YouTubeのチャンネル登録者数は二桁。撮影は視聴者への配慮が欠けた独りよがりなもの。
そんな彼らに、演出のノウハウが身についているとは考えにくい。ましてやLive配信だ。プロであっても違和感なく人為的な演出を溶け込ませることは難しいだろう。
では、あの声はなんだったのだろうか。
最後に見切れて映っていた〝長い黒髪の女性〟はなんだったのだろうか。
つまるところ、あれは紛うことなき心霊動画ではないかと怜太は推察していた。
荒唐無稽な帰結だ。現実味が著しく欠けた愚想だ。けれど、胸は弾んでいた。実は自覚していないだけで酔っているのかもしれない。
衝動に駆られるがまま家を飛び出した。
今の彼の最優先事項にあるのは、先ほど動画に映っていた幽霊と出逢うこと。次いで自殺の方法を考えること。もっとも、今は自殺のことなんてすっぽり頭から抜け落ちているが……。
阿久井怜太はそういう人間だった。
彼の中で、エンターテイメントはすべてに優先する。




