第27話 破滅
お母さんの薦めで子役事務所に入ったものの、私はてんで演技ができなかった。
ほかに取り立てて長所があるわけでもなくて、名前も佐藤彩子と至って凡庸。強いて言えば容姿が少しだけ秀でていた。同期の子が次々に業界に足を踏み入れていく中、私に仕事の誘いがかかることはなく、知らず芽生えていた劣等感は、やがて辞めたいという気持ちに凝縮した。
私のその意思を両親は尊重してくれた。つらい思いをさせてごめんね、とお母さんが謝ってきたときは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
だけど、ひとりだけ、私が子役事務所から身を退くことを惜しむ人がいた。
小雪美華。本名、阿久井美香。週に二回、講師として足を運んでいた元大女優だ。
彼女は、私からは強いスター性を感じる、と言って個別に指導してくれた。それでも演技は全然上達しなかったけど、歌やダンスはメキメキ上達していった。
DREAMERSの一般枠オーディションに参加できたのは、美香さんの推薦があったからだった。そこで私は枠を勝ち取り、DREAMERSとして活動することになった。
美香さんはよくがんばったね、と涙を流しながら私を褒めてくれた。お母さんとお父さんも喜んでくれた。私は幸せものだな、と幼いながらに感じたことを今でも覚えている。
DREAMERSに入ってからは順風満帆だった。
背が伸び、顔立ちが大人びて、超絶美少女なんて小見出しがついたときは恥ずかしくて死にそうになった。そんな私を、千代は超絶美少女彩子ちゃんと呼んで茶化してきた。久留実さんは私にライバル意識を燃やし、奈子さんはよくスイーツをくれた。私は三人が大好きだった。
もっと歌いたい。もっとたくさんの人に笑顔を届けたい。
ライブ会場の規模が大きくなるにつれて、私の夢はどんどん膨らんでいった。
そんな絶好の最中にある中学三年の頃に、その瞬間は訪れた。
◇ ◆ ◇
警察官であるお父さんが亡くなった。
死因は心筋梗塞だった。そう聞いていたけど、お葬式でお父さんの上司だったというおじさんが「絶対仇を打ってやるからな!」と泣きながら口にしていて違和感を覚えた。
もしかしてお父さんは誰かに殺害されたのではないか、と。
お父さんが亡くなってから、お母さんは目に見えて憔悴していった。それでも私の前では気丈に振る舞っていた。その努力に応えるためにも、私はつらい気持ちを隠してよりアイドル活動に熱を入れた。私がアイドルとして輝くことが、お母さんがなによりも喜んでくれることだった。
ある日を境に、お母さんは以前までのように明るくなった。ようやくお母さんが帰ってきたと、私は喜んだ。お母さんは心配かけてごめんね、と私を抱き締めてくれた。
しかし、それは束の間の幸福にすぎなかった。
お母さんは、私に暴力を働くようになった。
何度も殴られて、何度も蹴られた。私を痛めつけた後に、お母さんは必ず写真を撮っていた。
ターゲットになるのは、服で隠れて見えなくなる部位だった。青紫色の痣を晒すわけにはいかないので、真夏でも欠かさず厚いストッキングを穿いていた。
告発しよう、とはじめは思っていた。けど、お母さんがいなくなったら私はひとりぼっちになる。
一度ストーカーに遭ってから私はひとりの時間を恐れていた。知らない男の人が後をつけてきて、家のドアノブをガチャガチャとまわしてくる。あの時、もしもお隣さんが通報してくれなかったらどうなっていたのだろう。あの一件以来、お母さんは仕事を早上がりするようになった。
だから、ひとりぼっちになるか、痛い思いをするかだったら、私は迷わず後者を選んだ。
暴行に遭うのは決まって水曜日と日曜日で、残りの五日は優しいお母さんだった。二日間だけ、お母さんはなにかに取り憑かれている。私はお母さんに取り憑くなにかを強く憎んだ。
暴行はエスカレートしていった。
その影響は日常生活にまで及び、日に日に弱っていく私をメンバーの三人は憂えてくれた。
事情を話せるはずがなかった。
どうして私なんだろう。誰かが代わりになればいいのに。
そう一瞬だけ思ってしまった自分を酷く嫌悪した。
◇ ◆ ◇
お母さんの暴行で腕が折れた。
しかしその事実を公にするわけにもいかず、私は階段から落ちたと社長に嘘をついた。すると、「正直に話しなさい」と社長は私を抱き締めてくれた。「俺は君の味方だから」と。たびたび悪い噂も耳にする社長が、その瞬間は暗闇に差し込んだ一筋の希望のように思えた。
私は、ひと月前から母親から暴行を受けていることをはじめて明かした。
社長は真摯に私の話を聞き、「周期性四肢麻痺」が発症したとして一時的に私をメンバーから脱退させる処置を取ることを提案してきた。この病はアイドルが頻繁に発症するものであり、急に発病しても違和感はないのだという。
「俺が母親との問題を解決する。それまでゆっくり休んで待っていなさい」
社長に微笑みかけられて私は安堵の涙を流した。涙を拭ってくれた社長の顔はお父さんみたいに優しかった。
その日、家に帰るとお母さんはいなかった。
ひとりで夕飯を食べていると電話が鳴った。病院からだった。
精神疾患の完治のため、お母さんがしばらく隔離されることになるという連絡だった。
初日こそなんとか堪えられたものの、二日目からは孤独に耐えきれなくなった。
まず祖父母に電話した。――いつまでもコール音が鳴り響いた。
次に美香さんを頼った。――出なかった。
焦りながら千代に連絡しようとした。――LINEのトークルームには誰もいなかった。
久留実さんも、奈子さんも、連絡がつかなくなっていた。
静寂の暴行は、母の暴行よりも私を苦しめた。
これからずっとひとりで生きていくのだろうか。もしもまたストーカーに遭ったら、誰が私を助けてくれるのだろうか。……為すがままにされるのだろうか。
家の外に出るのがこわくて、その日一日、私は家に引きこもっていた。
夕方、家のインターフォンが鳴った。社長だった。
私は失礼だと思いながらも、社長の胸に飛び込んでしまった。社長は赤子のように泣きわめく私の頭を「大丈夫だよ」と囁きながら撫でてくれた。
それから社長は、ひとりぼっちになることを恐れる私のために、お母さんが帰ってくるまで私の家を生活拠点にしてくれた。寂しさに耐えかねて日中に電話しても、社長はいつも応じてくれた。
◇ ◆ ◇
傷も癒えてきた一か月後。日中。
前触れもなくお母さんが帰ってきた。
突然の出来事に戸惑ってしまったけれど、それ以上に大好きなお母さんが帰ってきたという喜びのほうが強く、私は「おかえりお母さん!」と涙を堪えて駆け出していた。
お母さんのほころんだ優しい顔が、胸に飛びつく直前で揺らいだ。直後、喉に圧迫感を覚えた。
「薬、薬……」
私に馬乗りになったお母さんが両手で首を絞めている。
三日月型になった口の端からだらだらと涎を垂らし、荒々しい吐息をもらすお母さん。
「おか……さん?」
現実味のない光景。だけど、朦朧としていく意識がこれが現実であることを告げていた。
首を圧迫する力が強まる。
私はじたばたもがくけれど、子どもの力では到底大人に太刀打ちできるはずもなく……。
次に目が覚めたとき、私は私を見下ろしていた。
右眼が飛び出していた。泡を吹いていた。びくびくと痙攣していた。失禁していた。
そんな私の前で、お母さんは正座していた。
喉に包丁を突き立てていた。
「弱いお母さんでごめんね」
鮮血が咲いた。
お母さんが真紅の海に溺れた。
「……はは」
悪い夢だと思った。
そもそもこの状況はなんだ。私は命を落として幽霊になり、自分が死んだ後の世界に留まり続けているとでもいうのか。
夢だ。夢に決まっている。
そう自分に言い聞かせて現実から逃避していると玄関の扉が開いた。
社長だった。
「……これは」
月明かりが照らす私とお母さんの死体。唖然としていた社長が次にみせた表情を見て、私はこれは夢だと確信した。
「つまらない末路を迎えやがって」
社長は舌打ちしたのだ。
「佐藤を始末したときは名案だと思ったんだけどなぁ。夫を失った未亡人の妻が、娘の前で気丈に振る舞うために違法薬物に頼る。やがてDVに発展。未亡人の妻と娘の殺し合いになり、生き残ったほうに真相を告げ、俺を殺すよう仕向ける。途中まで完璧だったのに、おまえが罪悪感に駆られたせいですべて台無しじゃないか」
お母さんの腹部を蹴り上げる。お母さんはぴくりとも動かない。
私は硬直したまま、この悪夢から早く目覚めることを願っていた。
「うまくいかないもんだねぇ。今回はかなり入念に準備したつもりなんだが……少々焦りすぎたか。後は怜太とあの警察官だが……不安だから芽を増やしておこう。千代か、久留実か、奈子か……」
呟きながら、社長は家を後にする。
「……嘘だ」
全部嘘だと言ってほしかった。
「だって、そんなのって……」
どうか夢であってほしい。夢であってくれないと困る。
もしもこれが現実だというのなら、私は社長とDREAMERSのメンバーを殺してしまう。
私の家族を破滅させた社長が。
不自然に私との関係を断絶させた三人が。
社長と関与していないと考えるには無理のある三人が。
憎くて憎くて。
復讐したくて堪らなくて……。
「……私の家族を壊滅させたあの男には、同じ苦しみを味合わせてやる。私の殺人に加担しておきながらのうのうと活動するあの女たちにも天罰を下してやる」
醜い感情が私を支配していく。殺人衝動が膨らみつづける。
「……夢なら早く覚めてよ」
そんな祈りも虚しく、私はこの日から幽霊として生きることになる。
◇ ◆ ◇
この出来事を教訓に、私はもう誰も信じないと固く誓った。
しかし、人はそう簡単には変われないもので、私のすぐに誰かを信じてしまう癖は、死してなお改善される気配がない。自分のために誰かを傷つける勇気も持てなかった。
だからきっと、私はいつか誰かを信じて痛い目をみる。
そう理解していながらも、私は信じることを諦めない。
信じてよかったと心から思える日がやって来ることを、私はずっと待ち望んでいる。




