第23話 傀儡
はじまりは、あいつが母さんを見殺しにしたことだった。
俺の母親は女優だった。阿久井美香。小雪美華って芸名で活動してたんだが……まぁわかるよな。
そう久留実……失礼。久留実ちゃんの言う通り、公開から二十年が経った今でも地上波放送されている映画で主演を務めていた女優だ。その年の主演女優賞にも抜擢されている。
あの映画の製作には若き日の雄策も携わっていた。ふたりは現場で出逢い、恋をし、そして俺を産んだ。その時期はちょうど小雪美華が芸能界を電撃引退した時期と合致する。母さんは世間がイメージする純白な小雪美華を穢さないために、結婚報告も出産報告もせずに芸能界から身を退くことを選んだんだ。だから、小雪美華のひとり息子である俺の存在は公になっていない。
母さんはねんごろに俺の子育てをしてくれた。雄策も俺が幼い頃は理想の父親でいた。
幸せな家庭だった。父が不在の日が多かったが、それほど違和感を覚えることはなかった。
転機が訪れたのは中学二年生の夏だ。
母さんが病床に伏した。
癌だった。
聞けば、母さんの家系は癌が発病しやすいのだという。幸いなのは、末期癌には至っていなかったことだ。多額の治療費こそかかるものの、手術で取り除けば助かる段階にあった。
俺は安堵していた。母さんには女優時代に稼いだ莫大な富があると知っていたからだ。
ところが、母さんの口座からは綺麗さっぱり貯金が消え失せていた。
雄策に連絡しても応答はない。母さんは焦り両親に頼ることを選んだ。しかしできなかった。同時期に不慮の事故で両親共に他界していたからだ。
雄策が応じない焦燥。突然両親が他界したという悲しみ。
複雑な心境で在りながらも、母さんは決して弱さをみせることはなかった。
母さんは莫大な借金をすることで癌の手術を受けた。結果は成功に終わった。
それからしばらくは、裕福とは言いがたいが不自由ない生活を母さんとふたりで送った。
一年間、雄策が帰ってくることは一度もなかった。
◇ ◆ ◇
中学三年生の春から借金の取り立てが押しかけるようになった。
身に覚えのない請求に母さんは困惑していた。連中は容赦なく母さんをなじった。やがて連中は俺に暴行を加えようとし、それを止めるため、母さんは金を払うことを選んだ。
生活はどんどんひっ迫していった。
腹いっぱい食事をできず、服が汚れても、靴に穴が空いても、買い換えることのできない日々。
そんな暮らしの中で、俺たちの希望になっていたのはDREAMERSだった。
どうしてそこまで熱中しているのかと母さんに訊ねたら、DREAMERSは父さんが発足させたアイドルグループであるということ、そしてメンバーのひとりが母さんの教え子であると言われて驚いたことを今でも覚えている。
母さんは、煌びやかなステージで笑顔を振りまく少女の裏事情を教えてくれた。
あの子は何度も悔しい思いをした。だけど必死に努力して、今ではたくさんの人に幸せを届けている。
母さんがその子を褒めるたび、俺の中でその子を尊敬する気持ちは膨らんだ。同い年なのにすごいな。芸能業界に行けばあの子に会えるのかな。俺が好奇心のままに言えば「あの子が怜太の演出で輝いたら最高ね」と母さんは目を輝かせていた。その時、俺は演出業に興味を持ったんだ。
怜太、女の子を悲しみで泣かせるような男には絶対なっては駄目よ。幸せをたくさん注いで泣かせる男になりなさい。
あの頃、母さんが口癖のように言ってたなぁ。……すまない。余計な話だな。
DREAMERSという小さな希望があるとはいえ、大部分を占めるのは身に覚えのない借金取りが押しかける恐怖と、貯金が尽きていつ生活が破綻するかわからないという焦りだった。
いつか母さんに聞いたことがある。どうして警察に連絡しないのかと。
しかし、それは俺の勘違いだった。母さんは何度も警察や司法事務所を頼っていた。けれども、誰も母さんに手を貸してくれなかったんだ。父さんも仕事が忙しいから、と家に帰ってくることはなかった。
DREAMERSをテレビで目にする回数は日に日に増えていった。
◇ ◆ ◇
春から夏に移ろい、母さんの目の隈はより酷く、頬は骨格が見えるほどにこけ、かつての美貌は見る影もないほどに憔悴した顔つきになっていた。
ついには髪も抜けはじめ、俺は母さんにもう働かないでほしいと頼んだ。高校にはいかず、中学卒業と同時に就職する。だから休もうと。
しかし母さんは聞き入れなかった。学費の心配はしなくていいから、と。
違うんだよ。俺はこれ以上壊れる母さんを見たくないんだよ。
そう言い返すと、「怜太は優しい子だね、私の宝物よ」と抱き締めてくれた。
俺はただ、涙を流すことしかできなかった。
無力な自分が、ただただ情けなかった。
中学卒業を目前にして、母さんの癌が再発した。前回よりも多額の治療費が必要とされた。
母さんは死を受け入れていた。けど、俺は受け入れることができなかった。
入院していても借金取りはやってきた。ふざけるなと思って殴ると、連中は寄ってたかって俺を殴り蹴り反抗できないように痛めつけてきた。
そのときはじめて母さんは涙を流した。お願いだからやめて。そう懇願しても連中は暴力を振るう手を止めない。
母さんの鳴き声がフェードアウトしていく中、連中の口角が歪んでいたことをよく覚えている。
◇ ◆ ◇
目が覚めると、そこは変わらず病室だった。身動きが取れないよう椅子に全身が縛り付けられ、口には猿ぐつわがつけられていた。
ぐすぐすと泣く声に目をやれば、母さんが目を腫らして泣いていた。
頬が紫色に変色していた。
「ひさしぶりだな」
そう正面から平然と声を掛けてきたのは父さんだった。
理解できなかった。
どうして父さんがここにいるんだろう。仕事はどうしたんだろう。
戸惑って呆然としていると、父さんが母さんの頬を平手打ちした。
「おかしいな。今頃殺したいほど俺を恨んでいるはずなんだが」
理解できなかった。
父さんが母さんを叩いた。どうして?
母さんも困惑した顔をしていた。
「約束したじゃない。お金を払えば、私と怜太の生活には干渉しないって」
「言ったね。そして君は文句を言わずに借金取りにお金を払い続けた。――つまらない女だ」
父さんが俺を見やる。
ゾッとした。父さんは笑っていたのだ。
「よく聞け怜太」
「やめて!」
「おまえの母親から金を盗み取ったのも、借金取りを送ったのも、全部俺が主犯だ」
父さんは笑っていた。
理解できなかった。
声を荒らげて涙を流す母さんが、父さんの胸倉を掴んでなにか言っている。殴られた。
「おまえが俺を満足させないから息子にしわ寄せが来たんだ。用済みだからとっととくたばってくれ」
その瞬間、全身から殺意が噴き上がった。
――殺す。そう思って全身に力を込めるが、マンガのように縄が千切れはしない。
父さんは――雄策は賞賛するように手を叩いた。
「それだよ俺が見たかったのは」
鷹揚に立ち上がり、雄策は母さんの髪を引っ張り上げる。
「ごめんね、怜太……」
理解できなかった。
どうして母さんが謝っているのだろう。悪いのは全部このクズなのに。
「お願いします。なんでもするから怜太だけは見逃してください」
「ん、聞くわけないだろう?」
笑って答え、雄策は母さんを殴った。
「――ッ!」
「ふふ、いい顔だ」
雄策に猿ぐつわを外されるなり、俺は大声で叫んだ。
「殺す! 絶対殺してやる! このクソ野郎が!!」
「汚い言葉遣いだなぁ。教育がなってない」
雄策が母さんを打つ。
「てめぇ……!」
「てめぇじゃない。お父さんだよ」
また母さんが打たれる。
「やめろ!」
そこで気づいた。母さんの瞳が虚ろになり、全身に力が入っていないことに。
「……母さん?」
「ん、あー、大丈夫大丈夫。死んではいないよ。ちょっと意識が飛んでるだけ」
へらへらしながら言う姿を見て全身が総毛立った。
「まったくつくづく使えないなぁこの女は」
気絶している母さんを粗雑にベッドに突き飛ばす。
俺にはヤツが人間に擬態した怪物に見えた。
「さて、そろそろ俺の目的を明かしておかないとね」
雄策が近づいてくる。俺の身体は硬直したままだった。
「俺は人生をエンターテイメントにしたい」
「……なんだよそれ」
「シナリオはこうだ」
雄策は指を折り畳みながら語った。
「一、人生の絶頂にある情に厚い女と結婚する。二、子どもを産む。三、しばらくは父親を演じ、徐々にフェードアウトしていく。四、頼れるものがなくなって不安に駆られる中で、大切なものを奪い精神的に追い詰めていく。五、その過程を最前席で見た子どもが俺に憎悪を抱いて殺しにやってくる。以上、ファイブステップ。どうだい。面白いシナリオだろう?」
「……狂ってる。そんなくだらない計画のために、母さんをこんな酷い目に遭わせたっていうのか」
「くだらないとは失礼な。彼女の両親を殺し、借金取りを送り、警察や司法事務所に圧力をかけてまで成功させようとしている壮大な計画だぞ」
鵜呑みにするには無理のある話だった。けど、母さんの両親は不慮の事故で亡くなったし、警察や司法事務所は雄策の名前を聞いた途端に対処を諦めた。筋は通っていた。
「すべて明かしてもこの女は殺意を滾らせなかった。けど怜太、おまえは違うだろう?」
「あぁ。おまえを殺したくて殺したくてどうにかなりそうだ」
「ははっ、いいねいいね! 俺を司法で裁くことはできない。かといって武力で俺を制圧することも難しいだろう」
アロハシャツを隔ててもわかる筋骨隆々な身体つきを見れば、俺が真正面からの殴り合いで勝てないことは明白だった。
「そんな条件の中、おまえはどうやって俺を殺す?」
「俺は……」
言葉は続かなかった。雄策を屈服させるビジョンを脳裏に描くことができなかった。
ふぅと浅く息をつき、雄策は言った。
「芸能業界を目指せ。俺に近づく最短ルートだ」
雄策がアイドルプロデューサーでありながら大企業の社長を務めていることは、それからしばらくしてから知った。
「俺を殺せたなら美香も救ってやる。期待しているぞ怜太」
身を翻して去ろうとする雄策に俺は声をかけた。
「待てよ! 俺が芸能業界に入るって何年後の話だよ? 母さんは今すぐ治療費が必要なんだ!」
「なら今すぐ俺を殺せ」
「……」
人を殺す。母さんを救うためという大義名分があるとはいえ、俺は命を奪うことに強い抵抗を覚えた。
「まぁそうなるよな。今はいいさそれで。近い未来で実れば」
「正気か? おまえは母さんを見殺しにするっていうのか? 一時は愛した女性だろう?」
「愛なんてはじめからなかったさ」
雄策は足を止めてこちらを振り返った。
続けてあいつが言った言葉を、俺は今でもよく覚えている。
「死にかけの蛾に投資するか、元気旺盛な蝶に投資するか。どちらが有意義な選択かは明白だろう?」
それから程なくして、DREAMERSの全国ツアーが発表された。
◇ ◆ ◇
俺は、あいつに復讐するために演出家を育成する専門学校に入学した。
特待生枠を勝ち取って学費を免除してもらい、週六でバイトして母さんの治療費とよくわからない借金費用を稼いだ。借金取りに、色をつけるから母さんのところには行かないようにと頼んだら素直に聞き入れてくれた。裏社会の奴は、結局は信頼よりも金なんだと学んだ。
演出ディレクターを目指したのは、雄策に抱く復讐心とは別に、エンターテイメントを作りたいという思いがあったからだ。
母さんは、絶望する毎日にありながらDREAMERSという存在に生きる気力をもらっていた。そんな誰かを支えるエンターテイメントを、俺はつくりたいと思ったんだ。
あれから五年が経ち、俺は万全の状態で入社面接を受けた。結果は落選だった。同日に、闘病生活を送っていた母さんが亡くなったという訃報が届いた。
自殺を決意した。もう生きていてもしょうがないと思った。雄策に復讐したいという思いよりも、母さんが亡くなり、夢が潰えた喪失感のほうが勝っていた。
そんな中で、彩子と出逢った。
母さんが指導し、俺が密かに尊敬し、雄策が母さんの治療費用よりも優先したアイドルグループのリーダーと出逢った。
そして、今に至るというわけだ。




