第20話 怪物
「ほんとうになにも異常がないのか?」
「はい! むしろ健康なくらいですっ!」
全然盛り上がっていない二の腕の力こぶを叩き、どうですかと言わんばかりの顔をする千代。天然っぷりを遺憾なく発揮する様子や血色のいい顔色を見るに、言葉に嘘はないとみえる。
「そうか」
「え、それだけ?」
不服だと言わんばかりの反応をする。
「もっとなにかないんですか。こ~『よくやった』『がんばったな』みたいなの」
「よくやった。がんばったな」
「いや感情はどこに行ったんですか」
「注文の多いやつだな」
不満を込めたまなざしをぶつけるが、千代はぷくりと剥れたままだ。出逢ったばかりの頃は委縮し恭順だったのに、いつからここまで聞き分けが悪くなってしまったのか。
怜太がため息をつくと、千代は得意げに鼻を鳴らした。子どもかこいつは。
昨夜までの約一週間、彩子には千代に憑依してもらい、DREAMERSを活動休止に追い込むため画策してもらっていた。
彩子が憑依という力を会得していたこと、そして千代がそれを快く承諾してくれたことが、計画成功の大きな要因だろう。
その結末に至るまでをこっそり撮影することは千代にはできなかっただろうし、千代に憑依して久留実と奈子の腐敗を目にしなければ、彩子は彼女たちに呪いをかけることはできなかったはずだ。もっとも、彩子が本当に呪いをかけたのかは定かでないが。
「ただいま……」
玄関から弱った声がした。
少しして彩子が姿をみせる。見るからにしょんぼりしている。憑依を解いて幽体に戻ってからというもの、彩子は詳細な報告は後まわしにし、街をほっつき歩いていた。
「おかえり。改めてになるがよくやった。がんばったな」
「私との温度差すごすぎません?」
千代がよくわからない言い分をつけてくるが無視する。
力なく微笑んで応じた彩子は、やはり気落ちしている。気落ちしているということは有言実行して久留実と奈子に呪いをかけたのだろう。彩子は感情に正直だから、確認せずともわかる。
「久留実さんに泣きながら謝られたわ。奈子さんには一生恨んでやるって言われた」
誰も聞いていないのに彩子は懺悔する。これは彩子のいい部分だと怜太は思っている。うれしいことはうれしい。嫌なことは嫌。気持ちを隠さず前面に押し出してくれるから、怜太も千代も、彩子とどう接すればいいのかわかる。
「大丈夫です。彩子が呪われるときは私と阿久井さんも道連れです」
「生霊、あるいはストーカー。……悪くないが、彩子に呪い殺されるにはインパクトで負けるな」
「いい加減死にたがるのやめましょうよ」
千代が窘めてくる。
彩子が千代に憑依するようになってから、千代は怜太の家を生活拠点にしている。おかげでふたりそろって怜太の野望を阻止しようとしてくるため、面倒なことこの上ない。
いつも通り頷きも否定もせず、パソコンの画面に目をやる。表示されているのは、先日千代に憑依した彩子が久留実と奈子と衝突している場面だ。いや、正確には衝突しているのは奈子だけか。
「今回の動画も上々だ」
「どれどれ……えっ、ひゃ、百万再生!? まだ半日しか経っていませんよね?」
「チャンネル登録者もまもなく二百万人の大台だ」
YouTubeで五千万円稼ぐ。
彩子が怜太の借金を返済するために掲げたその目標は、着々と実現に向かっていた。というか、既に達成されているかもしれない。
先日、先月分の給料が振り込まれていたが、その時点で一千万円を超えていた。 YouTubeの収益化審査を通過し、四週目から広告収入がつきはじめて、それだけの収益があったのだ。
スポンサーがつき、YouTubeが推している広告をつけたことで一再生あたりの単価が十倍以上になり、かつチャンネル登録数は伸びつづけているという今はきっと……。
「約束、しっかり守りなさいよね」
いつの間にか隣にやってきていた彩子が笑いかけてくる。
右には彩子。左には千代。
広すぎた部屋が、今ではとても窮屈に思える。
静けさに満ちていた部屋は、今となっては沈黙が顔を出す瞬間のほうが少ない。
「ああ。善処するよ」
彩子はうれしそうに笑った。
◇ ◆ ◇
「はい、ご迷惑をお掛けします。……はい、失礼いたします」
通話を終了し、元弥は浅い息をついた。
「残り三社か」
西宮千代の担当マネージャーである彼は、彼女のスケジュール管理の役目を受け持っている。
先日からDREAMERSが出演する、あるいはした番組は幽霊に呪われる、という非現実的な話が業界を駆けまわり、しかし実際どの番組も放映できずにお蔵入りしたため、DREAMERSの活動は現在休止の状態にある。ただ、それは芸能界に限るため、他の業界には元弥のほうから連絡を入れなければならなかった。
「その、DREAMERSが幽霊に呪われておりまして……あ、動画のほうを拝見されたのですね。話が早くて助かります」
怜太の動画のおかげで、三社中二社は最低限の会話で済ませることができた。残りの一社は怜太の動画を眉唾物だと否定する側だったため了承を得るのにやや苦戦した。
「ふう。感情的な相手はやりやすいな」
それが一般論であるが、例外も存在する。
たとえば、元弥が次に話をしにいく相手がそれだ。
ガラス張りの長いエレベーターを登り、最上階にたどりつく。
例の男は、微笑を携えて大画面を眺めていた。画面に映るのは幽霊育成chの動画だ。
「おはようございます白窪社長」
「あぁ元弥くんか。おはよう。ひさしぶりだね」
白窪雄策。
元弥の所属する会社の社長であり、DREAMERSを筆頭に若手アイドルを育成する業界では知らない人のいない敏腕プロデューサー。またの名を〝日本エンタメ業界裏の番長〟。
アロハシャツにハーフパンツと、雄策は今日もラフな格好をしている。この男が格式ばった服を纏っている姿を、元弥は一度として見た記憶がない。はち切れそうなほど盛り上がった前腕にはタトゥーが入っており、ガタイのいい身体つきや肉食獣めいた視線も相俟って、その姿はまるで裏社会側の人間のようだ。……いや、ようなではないのか。
「お久しぶりです社長。朝早くに申し訳ありません。早急にお伝えしたいことがあって参りました」
「どうしたんだい」
「社長は、今現在DREAMERSが活動休止している件についてはご存じですか」
「あぁ今知ったよ。この動画を見てね」
画面を見たまま言う。画面の中で、奈子が千代に罵詈雑言を浴びせていた。
「俺がバカンスを満喫している間にこんなエキサイティングなことが起きているなんてね。ネットで検索をかけたらびっくり。俺がシュガーちゃんを殺した、なんて記事があがっているじゃないか」
雄策が元弥に目をやる。元弥は息を呑んだ。
「いいねぇ。最高にエンターテイメントだ」
笑っていた。
自身の安寧が危うくなる情報が拡散されているというのに、この男はこの状況を楽しんでいる。
「元弥くんは、このチャンネルの開設者と面識があるかい?」
「はい、あります。『話題のあのヒト』の撮影の際に一度だけ」
もっといえば協力者である。下手に隠しすぎると墓穴を掘りそうなので、伝えても問題ないことは包み隠さず明かすことにする。
「動画通りの少年だったかい」
「はい。エンターテイメントに魂を売ったような、人間味の乏しい機械めいた少年でした」
「なるほど。それで君はどうして俺の息子に協力しようと思ったんだい」
「仰る意味がわかりません」
何故わかったのだろう。
動画だけを見てチャンネル開設者を怜太だと見抜くのは不可能に近い。何故なら、怜太は動画に自身が出演するときは必ずひょっとこのお面をつけ、音声加工までしている。雄策という名前を出しているから、という理由だけで怜太だと断定するのはやや無理がある。
「はは、別に怒らないのに。大事だよ動機は。動機が見えているか見えていないかで動画の印象は大きく変わる」
元弥に真実を白状させようとはせず、雄策は身振り手振りを交えながら語る。
「怜太は一貫して俺に対する復讐心、彩子くんははじめ怜太の自殺を止めたいという思いが動機になっていたが、なにかきっかけがあって俺に復讐したいという思いに変わったね。千代くんは怜太と同じで復讐心だ。で、元弥くんも彼らと同じく復讐心」
確信をもった口調で元弥を指差してくる。
「君の部下を殺めた私を告発したいのだろう?」
「私は社長に従属できることに幸せを感じております」
「ふふ、まあいいさ。君も僕の蒔いた種のひとつだからね。……ところで元弥くんは、ストーリーにおいて大切なことはなんだと思うかね」
動画を止めて問いかけてくる。雄策がエンターテイメントよりも元弥に興味を持つのははじめてではないだろうか。
「わかりやすさかと。複雑難解なものは、得てして共感されにくいものです」
「うん、悪くない答えだ。しかし、俺の求めた答えじゃないね」
雄策の瞳が怪しく光る。瞬間、元弥の背筋に怖気が走った。
「一貫性だ。創造とは人為的なものだ。それ故に、私感が必ずどこかに紛れて体裁の整ったものになる。しかし、ドキュメンタリーの場合はそうはいかない。晒されるすべてが真実であり、そこに一切の偽りはない。それ故、たびたび矛盾する。人間というのは矛盾する生きものだからね」
「不躾ながら社長の仰りたいことがいまひとつ理解できません」
「ん、わからないかい」
雄策は鷹揚に微笑んだ。
「俺は完璧な部下を演じる片桐元弥よりも、復讐心のままに動く片桐元弥が見たいんだよ」
やはりこの男にはどう足掻いてもひとりでは勝てないな、と思わされる。
元弥が内部にいる敵だとわかった上で、この男は元弥を泳がせているのだ。
すべてはエンターテイメントを盛り上げるために。結末を劇的なものにするために。
「種を蒔いてもう五年だ。君はいつ発芽するんだい」
「……仰る意味がわかりません」
なにを言っても無駄かもしれない。この男はきっと元弥のすべてを把握している。
それでも元弥は理性を保つために無意味な抵抗をした。ありのままを晒し、感情的になったら、怜太の計画を漏らしかねない。それだけは避けなければならない。彼が唯一の希望だから。
雄策はこれ見よがしに息をつき、首を横に振った。
「つまらない。実につまらない。なんのために君を側近に置いたと思ってるんだ。もっと俺を楽しませろよ」
凄まれて呼吸が止まりそうになる。それでも白窪雄策の部下の片桐元弥を演じる。
「おまえはいつ俺を殺しに来るんだ。一生負け犬のままでいるつもりか。佐藤も報われないな」
「っ……!」
耐えろ耐えろ。
拳を強く握り、ぐつぐつと煮えたぎる激情を殺す。
「怜太が俺を満足させられなかったら次はおまえの番だ。……娘さん、中学二年生だったか」
「っ! 俺の家族に手を出したらわかってるだろうな!」
「そうだ。それが見たかったんだ」
ハッとして正気に戻る。元弥は雄策の胸倉を掴み上げていた。
慌てて手を離し、深々と頭を下げる。
「失礼いたしました!」
「その態度のほうが失礼だよ。ま、いいさ。楽しみが大いに越したことはないからね」
雄策の興味がテレビ画面に絞られる。嵐が去ったことに元弥は内心ほっとする。
「おまえなら必ず俺の元に辿りつくと信じていたよ」
雄策の興味は既に元弥から失せている。それでも、怜太のために彼と会話をつづける。
「DREAMERSはしばらく活動休止する見込みとなっています」
「そうか。じゃあ俺は動画を最初から見直すからその他もろもろは任せたよ」
幽霊育成chを開き、最初に投稿された動画を再生する。今では三千万回再生されている、怜太が彩子と出逢う動画だ。時間が経つに連れて彩子の姿が徐々に見えるようになる、という話題性も手伝って二周目、三周目とする人が続出し、今でも再生回数は伸びつづけている。元弥にもぼんやりと輪郭が見えはじめていた。
「西宮千代は心身ともに健康ですが、平澤久留実と仁羽奈子は原因不明の病に侵されています。社長としてお見舞いに行くべきではないのですか」
「それよりも今はこちらが優先だ。どちらに油が乗っているのか一目瞭然だろう」
「……そうですね」
白窪雄策。日本エンタメ業界裏の番長。
この男はきっと、とうの昔に人の心を捨てている。




