第17話 高揚
秋晴れの下、DREAMERSは砂浜で新曲MVを撮影していた。
「なんて言うのかな……純粋に楽しんでるんじゃなくて、学校をサボるのはいけないと思いつつも、好奇心に負けて仕方なく……って感じがほしいんだよね。なーちゃんは委員長キャラっていうのがファンの解釈だからさ。どうできそう?」
「はーい、やってみまーす」
委員長なんてやったことないからわかんねぇよ、と笑顔の裏で毒づきつつも、奈子は注文された通りの演技をする。
「それそれ! うん、すごくいいよ!」
演出がお気に召す演技ができたようだ。「ありがとうございます」と上辺だけの感謝を告げる。すかすかの謝礼を受け、演出は照れ臭そうに後頭部をさすった。気持ちわりぃ。
今は奈子のソロパートの撮影中だ。久留実は既に済んでいて、千代はこの次。それが終わったら、メンバーが集合しての撮影となる。
「んーちょっと作った感が出過ぎなんだよねぇ。お尻を突き出して、フリルをふりふり揺らして。で、しばらくしてから自分の体勢に気づいて赤面するの。わ、やっちゃった! ……みたいな」
「なるほどー。わかりましたー」
要するにもっとエロさが欲しいということだろう。んなの全部尻軽女にやらせればいいだろ。
砂浜を歩くカニに目を輝かせ、四つん這いになって触れるというシーン。
その体勢を取れば、図らずもフリルのついたパンツが鼠径部に強く密着する。撮影するアングルによっては、胸元を大きく晒すことになるだろう。いずれにせよ、視聴者の情欲を刺激し、疚しい目で見られることは避けられない。
しかし、そのことに奈子はなにも感じなかった。
演じる。演じる。演じる。演じる――。
演じてばかりの日々を繰り返すうちに、いつしか仁羽奈子という少女は死んでいた。
「お疲れ様。次の撮影までゆっくり休んでね」
「ありがとうございまーす」
演出にぺこりと頭を下げて、テントの下の休憩所に戻る。休憩所には、顔にタオルをかけて横たわる久留実と、体操座りしてスマホをいじる千代がいた。
「ちよちー、次だよ」
「あ、はい!」
勢いよく立ち上がり、千代は撮影所に向かう。こけろと願うも、千代が砂浜に足を取られて転ぶことはなかった。ちっ、鈍くさいから盛大にこけると思ったんだけどなぁ。
「く~るみ」
なにはともあれ、邪魔者は消えた。猫撫で声をつくり、寝転がって久留実の左腕に抱きつく。右腕でタオルをどかし、生ぬるい瞳が奈子を捉えた。
「暑苦しい」
「九月二週目って、一年で一番暑い時期だと思うんだよね~」
「一理あるな。昼飯、あそこに置いてあるから食えよ」
「もう食べてるよー。久留実の汗と体臭とむちむち素肌」
「え、マジ。アタシ太ってる?」
「ツッコむ場所そこかよー。嘘だよーん」
「んだよ焦らせやがって。……どうした。なにかあったのか」
それは奈子の台詞だ。
「んー、なんも。ただ久留実にくっつきたくなっただけ」
「そうかよ。ま、好きにすればいい」
「じゃあ遠慮なく。おやすみ~」
「寝る前に飯食わねぇとここからの撮影に響くぞ」
「あ~ん」
「……ったくしょうがねぇヤツだな」
渋々といった様子ながらも、久留実は弁当を持ってきて奈子にあ~んしてくれる。あざとくねだったら膝枕のオプションもついた。
「ねー、久留実」
「なんだ」
「私は久留実が一番だと思ってるよ」
弁当箱の上をさまよう箸の動きが止まる。頭上から向けられたまなざしは、普段睥睨してばかりいるとは到底思えない優しさに満ちていた。
「そっか。ありがとな」
弁当を脇に置いて、奈子の頭をぽんぽんと撫でてくる。それが心地良くて、奈子はうっとりと目を細めてしまう。太ももに頬を擦り寄せてしまう。
久留実の気分と態度は比例する。悔しいときは八つ当たりしてくるし、悲しいときは誰かが寄り添ってくれることを期待する。もっとも矜持が邪魔をするため、本音がこぼれることはないが。
しかし、言葉がなくとも奈子にはわかる。それほどの関わりを育んできた。
芸能界に長年身を置いたことで、感情が廃れ腐敗し、自分さえも見失ってしまった奈子ではあるが、そんな彼女にもひとつだけ、叶えたい願いがある。
それは、久留実の願いを叶えることだ。
「久留実は一番人気のアイドルになれるよ」
「あぁ、絶対なるさ。一番人気の千代も二番人気の奈子も追い越して、最後はアタシが一番になる」
人気投票では、常に最下位。何度も悔し涙を流す姿を目にしてきた。
それでも久留実の瞳は自信と希望に満ちている。
(ほんと久留実は見てて飽きないなぁ)
奈子は身体を起こして久留実の左頬を撫で、右頬に口づけを落とした。少し遅れて、久留実の顔がか~っと赤面する。
「ちょ、おまっ……!」
「久留実の夢、私が絶対叶えるよ」
久留実のなにがここまで奈子を惹くのか。長い付き合いだけれど未だにわからない。
ただひとつだけ明確なのは、久留実だけが奈子に生きている実感をくれているということだった。
◇ ◆ ◇
奈子は幼い頃からなんでも器用にこなせた。テストは満点。スポーツも上々。はじめての仕事も、子役事務所に所属してから一か月で舞い込んできた。
褒められて、崇められて。はじめのうちは優越感に満たされていたが、やがてそれを感じなくなり、代わりに虚無感を覚えるようになった。
なんだこんなものか。
奈子がペシミズムに浸り始めたのは、まだ幼い小学六年生の頃だった。
優等生という存在は、往々にして普通から排斥されるものだ。学校では常に孤独、子役事務所でも話すのは講師だけ。ついには両親までもが、出来すぎる奈子を気味悪がって距離を置きはじめた。
つまらない人生だ。
もういっそ死んでしまおうか、とも考えた。
生まれながらにすべてを持ち、なにひとつ欠陥していなかったという不幸。人は足りないものを補う中で幸福を得るのだと奈子は思う。
だから理解できなかった。
「てめぇ馬鹿にしてんのか!」
奈子の胸倉を掴み上げて睨み据えるその少女は、同じ事務所に所属する、同い年だけど一年先輩の生徒だった。もっと言うなら一番の落ちこぼれ。最優に位置する奈子と、成績だけ見れば一番隔たりのある相手だった。
「なんのこと」
「しらばっくれんな! ドラマのエキストラ出演、どうして辞退してアタシに譲ったんだよ。おまえよりずっと所属歴が長いのに鳴かず飛ばずのアタシが哀れだからか、そうなんだろ!」
「いや、偶然なんだけど」
嘘は言っていない。しかし、少女はヒートアップする。
「ぜってぇいつかてめぇを追い抜いてやる! この悔しさをおまえにも味合わせてやるよ!」
「どうやってあなたが私に復讐するの。実力を客観視したほうがいいんじゃない」
「るせぇ! そうやって余裕かましてられんのも今のうちだからな!」
感情のままに吐き捨て、奈子を突き飛ばす。怒り肩で去っていく少女を尻餅をついたまま見つめながら、奈子はそっと胸に手を当てた。
「……はは」
胸が高鳴っていた。
いつ以来だろう。いやはじめてかもしれない。
奈子は高揚していた。
「ねー、名前はなんていうのー!?」
大きな声を絞り出して訊ねると、少女は不服そうにしながらも律儀に答えてくれた。
「平澤久留実。同じレッスン受けてるんだから名前ぐらい憶えろよ、奈子」
とくん、と胸が跳ねた。両親は久留実ちゃんと呼ぶ。学校の子は、仁羽さんと呼ぶ。事務所の講師たちも、仁羽さんか奈子ちゃんと呼ぶ。
奈子、と呼び捨てで、友だちのようにその名を呼んでくれたのは彼女がはじめてだった。
「……久留実」
「なんだよ?」
誰かの名前を敬称なく口にするのもはじめてだった。
「……えへへ、呼んだだけ」
「呼んだだけって……おまえ、変なやつだな」
「変なやつに絡む久留実も変なやつだけどねー」
「絡んできたのおまえのほうだろうが……」
呆れたように久留実はため息をつく。しかし、奈子から距離を置こうとはしない。
その日、奈子は久留実の練習に付き添い、いっしょにジュースを飲み、手を振って別れた。
あの日からずっと、奈子は胸の鼓動を聞くために久留実の側にいる。これからもずっと、久留実の側にいたいと――いや、なにを犠牲にしてでもそうすると決めている。




