第14話 帰宅
万感の思いが込められた千代の告白を受け、怜太は深く息をついた。
「なら、今この瞬間から俺の直属アイドルになれと言ったら聞き入れてくれるのか」
「っ! そ、それは……」
「私にできることならなんでもする、と言っただろう」
「したい……ですけど、いきなりはちょっと……」
ちらちらと、なにかを訴えかけるように怜太を見上げてくる。
もう充分だろう。彼女は正真正銘、純真な性格。表と裏の顔を使い分けることはできない。万一裏切られそうになったとしても、ここで隠し撮りした動画を公開すると脅せばいい。ここにきてようやく怜太は千代を疑うことをやめた。
「ひとつ問いたい。千代は殺したいほど雄策を恨んでいるか」
「え、急に呼び捨て」
これから結託していくのに、名字呼びを続けるのはおかしいだろう。千代はしばらく黙った後、ぽつりと呟いた。
「……できることならしたいですよ」
「そうか」
その言葉が聞けて安心した。
「なら殺そう」
「えっ」
言ってすぐ、情報を出す順番を間違えたなと後悔する。怜太が雄策とどのような関係にあるのか。真の目的はなんなのか。先にその情報を明かさなければ、怜太はただのサイコ野郎だ。
ところが、二の句を継ぐことはできなかった。
身体が突然浮かび上がり、壁に勢いよく叩きつけられたからだ。
「えっ、えっ……?」
「私だけじゃなく、私の友だちまで傷つける気?」
動揺する千代の声と、強い苛立ちに駆られた懐かしい声。
続けて、グシャッとなにかが潰れる音がした。目の前になにか転がってくる。楕円状になり原型を留めていないが、おそらくはキッチンに仕込んでいた隠しカメラだろう。
(かかってくれたか)
彼女は優しすぎるから、怜太がかつての友人を傷つける様を見逃すはずがないと思っていた。
「とっくに門限過ぎてるぞ」
顔をあげると、歯を噛み締めて怜太を睨みつける彩子がいた。
艶のある濡羽色の髪も、白のブラウスと薄茶のフレアスカートも、怜太の記憶にある通り。一週間前から重かった胸が軽くなった。
「門限なんて始めから設定されていないわ」
「おかえり彩子」
彩子は頻りに瞬きをする。
「ただいま。それで、千代になにをさせようとしていたの」
彩子の顔が近づき、離れて、後頭部と背中に鈍い痛みが走る。手前に引き寄せられて、奥に吹き飛ばされたようだ。
「なにって、復讐だが」
「千代に人殺しをさせようとしていたの」
こんな状況だというのに頬が緩んでしまいそうになる。
彩子と会話している。一週間前までの日常が、今ではとても尊いものに思える。
「あぁ。ついこの間、使い勝手のいい道具を無くしたから代替品にはちょうどいいと思ったんだ」
「……そ」
彩子が淡白に答えると同時、キッチンからなにか飛んできて彩子の肩上で停止した。
――包丁だ。
「チャンスをあげる。千代を解放しなさい」
「ち、違うんです彩子。阿久井さんは私の頼みを聞いて……」
「彩子。自分がしていることがおかしいという自覚はあるか」
おそらく彩子は、怜太と千代のやり取りを途中から聞いていたのだろう。そして、怜太が無理やり千代に殺人を強いているのだと勘違いしている。
千代に仲介してもらえば誤解は解けるだろうが、それではもったいない。彼女の言葉で、決定づけなくてはならないことがある。
「おかしい? おかしいのはあなたのほうでしょう。人を道具みたいに扱って……あの人と変わらない人でなしよ、あなたは」
「っ!」
蔑みの目で見られて、危うく感情が飛び出しそうになった。深呼吸して言葉を紡ぐ。
「そこに千代がいるのはわかっているよな」
「おかしなことを言うのね。仮に千代が見えていないのなら、きっと今頃あなたの本質を見誤って和解してしまっていたわ」
つまり、もう怜太と和解する気はないらしい。虚勢を張っているだけなんだろうが。
「気づいていないのか」
「なにがよ!」
彩子が声を荒げる。
「あなたはいっつもそう! 口数が少ないのよ! 今だってそう。千代に人殺しをさせようとしているのはなにか理由があってのことなんでしょう。だったら説明しなさいよ。言ってくれないと、わからないわよ。……私だって、怜太を傷つけたくないの」
彩子の顔が苦悶に歪む。
この子はどこまで優しいのだろう。この期に及んで怜太を恨み切ることができないというのか。
「千代に彩子の姿は視えているぞ」
「え?」
彩子が千代を振り返る。ふたりの視線がようやく交わった。
「……私が、視えているの?」
千代は頷く。瞳を涙で潤ませて、面映ゆそうな笑みを浮かべた。
「ひさしぶり、彩子」
彩子はわなわなと唇を震わせて千代に抱きつく。が、幽霊である彼女は千代に触れることができない。自分の身体を彩子がすり抜けた光景を目の当たりにして、千代はあんぐりと口を開けていた。
「はは、そういえば私死んでるんだったわ。……けど、どうして千代に私の姿が視えるの? 声も聞こえているのよね?」
「はい、つつがなくコミュニケーションが取れています。不思議です……」
「復讐したい相手だからだよ」
ふたりの疑問に怜太が答える。
「いつだったかに彩子は言った。先輩は復讐相手を殺して成仏した。そしてその姿は鮮明に視えていた、と。その状況は、今彩子が置かれている状況に酷似している。彩子の姿も、YouTubeの反応を見る限り俺と千代、後は久留実と奈子以外にはぼんやりとしか視えていないんだ」
奈子はYouTubeで彩子の姿を見たと言い、撮影日は彩子がいないと断言までしていたので、彼女がはったりを言っているということはないだろう。
「だから彩子の行動はおかしいんだ」
「なにがおかしいんですか?」
千代が首を傾げる。
本気で言っているのだろうか。彩子と千代が感動の再会を果たす。それは本来、起こりえないシチュエーションだというのに……。
千代を見つめて告げる。
「君は彩子の姿が鮮明に視えている。それは彩子が君を殺したいと思っている証なんだよ」
「あ……」
復讐したい相手。
そのひとりが自分であると千代はようやく気づいたらしい。怜太は彩子に水を向ける。
「白窪雄策、西宮千代、平澤久留実、仁羽奈子、そして阿久井怜太。この五人を呪い殺し、復讐を遂げることでこのコンテンツは完結する。ひとつ勘違いしないでほしいのは、復讐したいと懇願してきたのは彩子のほうだ。これは俺じゃなくおまえが始めた物語だ」
「なにが言いたいの」
「ここで千代を殺せ」
視界の端で、千代が身体を委縮させる。一方、対面する彩子の顔は険しさを増した。
「嫌よ」
「そうか。なら千代に雄策の命を奪ってもらう」
「させないわ。敢行するというのなら私はあなたを呪い殺す」
「あぁ、そうしてくれ」
殺さないでくれ、と普通ならそうするであろう命乞いをすることなく、怜太は彩子の前で悠然とあぐらをかく。
「刺殺とか撲殺とかつまらない殺し方はするなよ。なにがなんでも呪い殺せ。それだけは約束しろ」
「どうしてそこまで命を絶ちたがるの」
「エンターテイメントの完成度をあげるためだ」
と、淡々と返すが、それとは別にもうひとつ理由がある。
(幸いにも本人は気づいていないみたいだしな)
計画が途中で頓挫してしまうのは心残りだが、やむを得ない。優先すべきは、怜太の私情よりも彩子の幸福だ。怜太の犠牲で彩子が幸せになるのなら願ったり叶ったりである。
「どうした。呪わないのか」
釘を刺すが、彩子は動じない。怜太をじっと見つめている。
「私ね、家出している間、ずっと寂しかったの」
強張っていた顔が弛緩する。そこから、恨みや憎しみといったものは感じられなかった。
「いつもあなたが寄り添ってくれたからよ。あなたと出逢うまではひとりでも平気だったのに、平気なふりをできていたのに、今ではすっかり孤独に怯えてしまうようになったわ」
「これからは千代がいる。彩子が孤独になることはないよ」
「ほら、やっぱり怜太は優しいじゃないの」
くすくすと笑っている。
なにをもって優しいと言っているのだろう。これまで怜太は何度も彩子を傷つけてきた。突き放してきた。優しさとは真逆の行為だ。優しい、という言葉の意味を彩子は理解していないのではないだろうか。
「ねぇ怜太、私ね、アイドルになりたいの」
藪から棒に彩子は言う。が、怜太に驚きはなかった。
「無茶を言うな。彩子はもう死んでいるんだぞ」
「けど、声は届けられる。心と心を触れ合わせて、私はここにいるんだって証明することはできる」
これには驚きを隠せなかった。何故なら怜太の知らない情報だったから。
(声が届くだって?)
これまでYouTubeに届いたコメントは、良いものも悪いものの欠かさず目を通しているが、彩子の声が聞こえたというコメントは一度も見たことがなかった。
「だからね怜太」
と、彩子は胸に手を添えて。
まっすぐで眩しい、在りし日のシュガーちゃんを彷彿とさせる瞳で怜太を射抜く。
「私をもう一度、一人前のアイドルにするためにプロデュースして頂戴」
「……はは」
笑うしかなかった。
幽霊育成ch。
このコンテンツのゴールは、彩子が復讐を果たし、怜太も殺して、成仏すること。
それで誰もが幸せになれるはずだった。怜太と彩子はもちろんのこと、千代に久留実に奈子に、そして視聴者までもが高い充足感を得ることができる。そのエンディングに向けて、彩子が優しすぎるという誤算がありながらも、ほぼ計画通りに物語を進めてきた。
なのに、いきなり、アイドルになりたい、と。
幽霊なのに、アイドルになりたい、と。
「どうかしら? 幽霊を育てて復讐する、に負けず劣らずの提案だと思うのだけど」
得意げに胸を張る彩子は、自信に満ち満ちしている。
怜太の優先順位がなにをもって覆されるのか、彩子はよく理解している。もっとも、怜太の中の優先順位が入れ替わることはないのだが。
「あぁ面白いよ。すぐに採用したいくらいだ」
「じゃあ!」
「だが、即刻採用とはいかない」
キラキラとした面持ちを一転、彩子はどんよりと淀んだ顔をする。
「俺たちはもう、個人の範疇では収まり切らない場所にまで影響を及ぼしてしまった。雄策に制裁を下すと約束して片桐さんから裏情報をもらったし、千代も今の状況から救うと約束してしまった」
「あの」
怜太の言葉を遮って千代が手を挙げる。相好を崩して言った。
「無理そうならいいですよ、私は」
「同調に逃げるな。虫唾が走る」
平坦なトーンで言い、千代が怯えた顔をすると同時、パンっと乾いた音が響いた。丸まった雑誌が、空中で一回転して怜太の頭頂部を捉えた音だった。音の割に少しも痛くなかった。
「千代を虐めないでって言っているでしょう」
「虐めていない。今後のためにアドバイスをしただけだ」
やりたくないことに軽々しく頷くのは、いかなる理由があっても避けるべきだ。避けないから、千代も千代の母親も、ひとりでは抱えきれない不幸を背負ってしまったのだ。背負ってから自身の軽率な判断を嘆くのでは遅い。
千代に視線を流す。ビクッと肩を跳ね上げたのは、怜太に対する恐怖が完全に拭いきれていないからだろう。
「さっき聞いたな。俺と雄策がどんな関係にあるのかと」
「あ、はい。……なにかあるんですか」
「あぁ。俺はあいつの息子だ」
えっ、と息を呑む気配がふたつあった。
「隠し子だから公にはなっていないんだけどな。俺はあいつに復讐するために生きてきた」
雄策との関係は、できれば彩子が私怨で彼を呪い殺すまで明かしたくなかった。
理由はふたつ。
ひとつは、彩子が自分のためではなく怜太のために雄策を呪い殺し、エンターテイメントとして一貫性に欠けたものになってしまうから。
もうひとつは、怜太が自分の復讐のために彩子を利用していたと知られたくなかったから。
「長い話になるが聞いてほしい」
それでも明かそうと決意したのは、彩子を利用したくなかったから。
もう二度と、優先順位を間違えるわけにはいかない。




