第11話 微温
撮影から数日後、あの動画はお蔵入りさせるという連絡が届いた。
編集中に何人ものスタッフが高熱に侵されるだの、機材トラブルが発生するだので、そうせざるを得なくなったそうだ。
「隠蔽したいなら素直にそう言えばいいのに」
こんな事態に備えていくつかストックがあるのだろう。『話題のあのヒト』は、放映当日になるまで誰が司会を務めるのか、誰がゲストなのかわからない。よくできた仕組みだ。
「ふと思ったんだが、さては彩子、透明になる力を会得したんじゃないか」
キーボードを叩きながら虚空に話しかける。
「もう一週間だ。そろそろ許してくれてもいい頃合いなんじゃないか」
部屋に響くのは、キーが沈むカタカタという無機質な音だけ。
「……そんな都合のいいことはないか」
姿を確認したわけではないが、スタジオで怜太は彩子に助けられた。彩子が助けてくれなければ、怜太のこれまでの動画はやらせだったと世に拡散されていただろう。不都合をひた隠しにするテレビ業界だが、業界の外側の人間が損害を被ることは厭わないのだ。
「ありがとう彩子。おかげで助かったよ」
一段落ついたところで、グッと背中の筋肉をほぐして深呼吸する。
お馴染みのお面とボイスチェンジャーを装着し、怜太はマウスをクリックした。
「こんにちは。幽霊育成chのお時間です」
◇ ◆ ◇
これまでこのチャンネルでは、佐藤彩子という幽霊の成長にフォーカスをあててきた。
しかし、この動画の到達点は彩子が一人前の幽霊になることではない。彼女が一人前の幽霊になってかつ復讐を遂げる。それがこのコンテンツの到達点だ。
その下準備は既に整いつつある。彩子は既に人を殺めるほどの力を得ているし、復讐相手である四人のうち三人とはコンタクトがとれる状況にある。最後のひとりも、怜太の見立てでは近日中に視野に収めることができるようになるだろう。
彩子は一人前の幽霊となって復讐したいと思っている。そして復讐を遂げた。
仮に怜太がアクションを起こさなければ、このコンテンツの構造はこのようなものになる。
これで納得してしまったら、演出プロデューサー失格だ。
人が興味をそそられるのは、結末ではなく過程や動機である。
彩子はどうして復讐したいと思ったのか。そもそも彼女は何者なのか。
このコンテンツでは、その情報がまだ明かされていない。
そう、意図して明かさないでいた。
「俺がずっと彩子と呼んでいた彼女のフルネームは、佐藤彩子と言います。佐藤彩子。この名前を聞いてとある人物が頭をチラつきませんか」
もっとも磨かれた瞬間に、その刃を鞘から引き抜くために。
「シュガーちゃん。元DREAMERのリーダーであり、五年前に不自然な脱退をした彼女を、皆さんは覚えていますか」
覚えていないはずがない。当時シュガーちゃんは国民的アイドルだった。今忘れているとしても、その名前を聞けば誰もが彼女のことを思い出すだろう。
「彼女はこれまで幽霊として僕の側にいました。幽霊として。つまり命を落としているということです。命を落としていて、復讐したいと思っている。彼女はこれまで自分がどうして命を落としたのか明かしてくれませんでした。明かそうとしませんでした。ですが、このふたつの情報を結びつければ必然的にひとつの可能性に至ります。
――彼女は殺害されたのです」
佐藤彩子の人物像の深掘り。
これが怜太の計画したこのコンテンツの第二フェーズである。
第一フェーズで、視聴者に幽霊である彩子に興味をもってもらう。第二フェーズで、シュガーちゃんだった頃の佐藤彩子に興味をもってもらう。そして、第三フェーズで復讐を遂げる。
このように段階を踏めば、結末を見て視聴者がより感情移入することができる。
「今日の動画はここまでにします。シュガーちゃんに関してなにか知っていることがありましたら、是非コメントで教えてください。それではさようなら」
マウスをクリックして動画撮影を終了する。お面を外し、怜太はつぶやいた。
「キャラクターを演じるのは難しいな」
◇ ◆ ◇
彩子は、夥しい人が行き交う夜の街を歩いていた。
ネオンの光に満ちる夜の街。笑い声に、揉め合う声に、注意する声。
ここはいつだって騒がしい。孤独でいることを忘れさせてくれる。
道を折れると、目の前に通行人が現れた。
「あっ、すいません!」
ビクッと仰け反る彩子だが、通行人は彼女の挙動にはまるで気づかない。スマホに視線を落としたまま、彩子の身体をすーとすり抜ける。彩子は乾いた笑みを漏らした。
「どうして謝ってるんだか」
これまで何人もの人とすれ違った。しかし、誰ひとりとして彩子を視ることはできなかった。ぼんやりと見えて恐怖している人はいたが、コミュニケーションを取ることはできなかった。
(……帰りたいな)
そう思うのもこれで何度目だろう。
五年間、ほとんどの時間をひとりで過ごしてきた。先輩と過ごした時間を除けば、常にひとりぼっち。脅しても誰も気づかないし、罪悪感に駆られつつ庭にこっそり入っても誰にも咎められない。
彩子は幽霊だから、誰にも触れることはできない。
温もりを感じることも、共有することもできない。
わかっている。
だけど、それでも――。
せめて心と心くらいは、誰かと触れ合いたかった。
かくしてその願いは、時を経て叶えられた。
怜太と何度も心を重ねた。
笑った。怒った。悲しくなった。
生きているかのようだった。
死に損ないで生き損ないの彩子に、生きているんだって実感を与えてくれた。命をくれた。
そうやって触れ合ううちに、彼の心根のあたたかさに気づいた。
だから、彩子が嫌がることを強いるときはなにか理由があるのだろうとわかっていた。言われずともわかった。
だって怜太は、彩子が拒絶の意思をみせると表情に罪悪感を滲ませるから。
彼は、自分が思っている以上に演技が下手くそなのだ。
あの日もそうだった。
彼が私を道具のように扱っているのは理由があってのこと。
そう理解していたけど、エンターテイメントのために利用されたという現実が嫌な思い出を蘇らせて。逆上してしまって。
怜太と出逢えたことに感謝しているのに、出逢わなければよかったなんて、一時の感情のままに酷い言葉を吐き捨ててしまった。
つまるところ、彩子の帰れない理由は気まずさだった。
今更ではあるが、収録の手助けをしたときに謝罪しておけばよかったのだ。
あれだけ恐怖で拒絶していたテレビ局だけど、怜太のためだと思えば足を運べた。あの日一日は、怜太がエンタメの奴隷たちに酷い目に遭わされないか心配で遠巻きに見守っていた。彼が〝あの男〟に喧嘩を売るような真似をしていたから、その未来を避けるために機材を壊した。
それでも編集を続けるスタッフは、心を痛めながらも軽く呪った。何人も呪った。絶対に放送させたくなかった。彼に傷ついて欲しくなかった。
……その事実が、彩子がどれほど怜太を大切に想っているのかを物語っているのに。
雨の中、探し回ってくれたときもそうだ。上空から彼が奔走する様を見て、いい気味だと思っていた。風邪を引いて寝込めばいいと思っていた。
……本当はそこまでしてくれることが嬉しかったのに。
嬉しくて嬉しくて、泣いてしまったのに。
だけど、気持ちに素直になることがなんだか悔しくて。変な意地を張ってもう一日だけ……と好機を見逃してしまった。
その結果がこれだ。
今は、もう一日だけ、が何度も繰り返された未来。自業自得だろう。
そういえば怜太は、DREAMERの三人と距離を縮めようとしていた。
喧嘩をしたとき、怜太は彩子を突き放そうとしていた。さては彩子は用無しなのだろうか。
彼が変わらずYouTubeを更新しているのか、情報を得る手段のない彩子は知り得ない。
「……私が呪い殺さなきゃ完結しないって言っていたじゃないの」
毒づく声は、弱々しく震えていた。油断したら瞳から熱があふれてしまいそうだった。
街を一周して駅前に戻ってくると、駅前のビジョンにDREAMERの新曲MVが流れていた。今週のオリコンで三位を獲得したらしい。彼女たちの人気は今も健在だ。
「……いいなぁ」
無意識に呟いていた。
無いはずの心臓が弾んでいるような錯覚に囚われる。
胸が熱くて、ワクワクして。
彩子は生きた人間のように好奇心の虜になっていた。
「あの曲、結局発表できずに終わっちゃったなぁ」
息を吸い込み、記憶の糸を辿って口ずさむ。最後に歌ったのは五年前なのに、フレーズはつい昨日まで練習していたかのようにすらすらと流れ出た。
「シュガーちゃん?」
ビクッと肩を跳ね上げて振り返る。そこには一組のカップルがいた。
「急にどうしたの?」
「あ、いや、あの辺りからシュガーちゃんの声が聞こえた気がして……しなかった?」
「しないよ。……なに浮気? シュガーちゃんみたいな子がタイプなの?」
「違う違う! てかあの子、五年前に引退しているし――ちょ、機嫌損ねるなってぇ!」
ぷくりと剥れた彼女を、彼氏と思しき男性が追いかける。
「……」
その後ろ姿を、彩子は呆然と見つめていた。




