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1000回振られても君が好き  作者: 千子


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48/58

大会数日前

大会まで数日。

早く跳びたい。戦いたい。

なのに、練習の時の滑走路はいつもより長く感じた。

そうは思っても、大会まではまだ少し時間がある。

スパイクの裏に、砂が妙に絡みつく。

それが待ち遠しい。

大会が待ち遠しいなんて、昔の俺からは考えられなかった。

でも、今の俺ならきっと榊を追い抜ける。

漠然としたそんな自信があった。

校舎に貼られる垂れ幕も今度こそ一位で書いてもらいたい。

そんなことを考えていたのだけれど、聡子の機嫌が悪い。

朝、迎えに行った時から「私機嫌が悪いですアピール」が止まらない。

多分、あれだ。

高塚と二人っきりで話していたのが気に食わないんだろう。

「なんでもないんだって」

言葉を尽くしても里子の機嫌は治らず、校舎まで沈黙が支配していた。

下駄箱に着くと、ぽつりと里子が言った。

「飯田くんの彼女は、私なんだからね」

「そりゃ当然だろ」

言ってから、ああまた不安にさせていたのかと理解した。

俺は付き合ってから里子に不安な思いをさせてばかりだ。

「大丈夫だ。この間の高塚の話は、ちょっと相談を受けていただけだって」

「榊くんが勝ったら高塚さんと付き合う話?」

「そう。勢いで言っちゃったけど、やっぱり嫌だから俺に勝ってほしいんだと」

「そっか……」

「機嫌治ったか?」

「ううん。それとこれとは別」

まだか。俺が項垂れると里子は楽しそうだ。

「慎太郎くんが金メダルを取ったらね〜」

そう言って教室まで向かうと、高塚が静かに本を読んでいた。

「おはよう、高塚さん」

「おはよ」

「おはよう、新井さんに飯田くん」

普段通り淡々としている。

昨日、本音を話してくれたと思えた距離がなくなったかのようだ。

「なんかあったか?」

「なんでもないわよ」

ちょっとツンとした感じは、絶対何かある。

でも里子の手前踏み込んでもいいのか悩んでいたら里子が切り出した。

「嘘だよ。いつもの高塚さんなら、嫌味を言うか飯田くんに軽くアプローチのひとつもしていたじゃない」

「もうやめたのよ、そういうのは」

俺と里子は顔を見合わせた。

高塚は視線を本から上げないまま、ページをめくる音だけを立てている。

まるで昨日の会話なんて、最初からなかったみたいだ。

「……それってさ」

里子が一歩前に出る。

「榊くんのこと、諦めたって意味?」

高塚の指が、ぴたりと止まった。

「諦めた、って言い方は好きじゃないわ」

静かな声だった。

怒ってもいないし、拗ねてもいない。

ただ、線を引くみたいな声音。

「私はただ、他に居場所を見つけただけ。報われない場所に立ち続けるのをやめただけ」

その言葉に、胸の奥が少し痛んだ。

俺が感じる資格はないはずなのに。

「……大人だな」

思わず零れた俺の呟きに、高塚はちらりとこちらを見た。

「大人なんかじゃないわよ」

苦笑して、本を閉じる。

「未練があるから、距離を取るだけ。これ以上、みっともなくなりたくないの」

里子が小さく息を吸った。

「じゃあ、この間言ってた賭けは?」

「なし」

即答だった。

「榊くんが勝っても、負けても関係ない。勝負は勝負、恋は恋。それを混ぜると、どっちも歪むってやっと分かったの。ごめんなさいね、飯田くんの負担を大きくしてしまって」

その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているみたいだった。

チャイムが鳴る。

俺たちが慌てて席へ行こうとすると、高塚が俺を見て言った。

「飯田くん」

「ん?」

「勝って」

短い一言。

「誰かのためじゃなくて、自分のために。あなたはそういう跳び方をする人でしょ」

そう言って、本を閉じて一限の準備をし始めた。

残された俺と里子は、しばらく無言だった。

「……なんかさ」

里子がぽつりと言う。

「みんな、大会前になると本音出るよね」

「出るな」

俺は苦笑した。

「逃げられないからな」

放課後。

校庭に出ると、冬の空気が肺に刺さる。

スタートラインに立つと、不思議と雑音が消えた。

高塚の言葉、里子の不安、榊の背中。

全部、胸の奥に沈んでいく。

「慎太郎くん」

里子が近くに立っていた。

「調子どう?」

「悪くない」

「そっか」

短い返答の後に、少し俯いて謝ってきた。

「朝はやきもち焼いてごめんね」

「可愛いもんだよ」

二人の目線が交わって笑い合う。

「それじゃあ、頑張ってね」

それだけ言って、里子は自分の位置に戻る。

昔なら、ここで焦っていた。

追い抜かれる恐怖に、勝てない未来に。

でも今は違う。

俺は跳ぶ前に、一度だけ空を見上げた。

青い。

大会の日も、きっとこんな空だ。

誰かに勝つためじゃない。

誰かに認められるためでもない。

俺は、俺が積み重ねてきた時間を信じたい。

走って、跳んで、踏み切る。

身体が宙に浮く。

一瞬、世界が静止する。

ああ。

この感覚を、俺はずっと待っていた。

着地。

砂の音がやけに大きく聞こえた。

記録は悪くない。

でも、満足もしない。

まだだ。

本番は、まだ先にある。

大会まで、あと数日。

短いようで、長い。

でもきっと、この時間があるから俺は跳べる。

校舎に貼られる垂れ幕の一位に、自分の名前を書くために。

俺は、もう一度スタートラインに立った。

榊を超えるためじゃない。

でも、並ぶことからは逃げない。

そのために立ちたい。

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