蝋の羽がなくても
太陽を追わなくなってから調子がいい。
それは自身だけではなく周りからもそう思われたみたいだ。
「慎太郎くん、最近調子いいね」
いつもの帰り道、里子を送る道で話をしているとそんなことを言われた。
「そうか?……そうだな」
「なにかあった?」
高塚の叱咤激励が原因とも言えず、曖昧に笑う。
「太陽を追いかけるのをやめただけだよ」
「またそれ!前も言っていたよね?高塚さんが蝋の羽は太陽に近付き過ぎると焼かれてしまうのよって」
「ああ、そうだったな」
「あれってイカロスだっけ?」
里子が首を傾げる。
「そうだ。慢心したイカロスが太陽に近付き過ぎて太陽に蝋の羽を焼かれて落ちるんだ」
「……慎太郎くんは、イカロスじゃないよ」
「え?」
だって、ちゃんと頑張って跳んでいるんだもん。偽物の羽じゃなくて。もちろん、榊くんも実力で跳んでいるんだけど」
里子が一生懸命に力説する。
「とにかく、慎太郎くんはイカロスじゃないよ。例え太陽を追っていても、その努力の羽が焼かれることはないよ」
そう言っていつもみたいに笑った。
俺は、人に恵まれ過ぎている。
「里子、ありがとな」
「ううん。事実だもん」
二人で笑って帰る道に、夕焼けが沈みかけていた。
もうすぐ冬だ。
陽が落ちる時間が早くなってきた。
寒さも足音を立ててやってくる。
もうすぐ冬が来る。
鹿谷先輩達は、もう部活に来ない。
来ない、というのは語弊があるか。
部員として来るんじゃなくて、勉強の合間に様子を見に来るようになっていた。
「飯田。怪我の具合はどうだ?」
「はい!大丈夫です!」
そう言ってその場で軽く上下に飛んでみせた。
「そうか。だが、2度やったところは注意が必要だ。くれぐれも気をつけろよ」
「分かりました!」
怪我が怖くないと言ったら嘘になる。
けれど、今の俺は跳びたいんだ。
榊の夏の記録までは届いた。
秋の記録にはまだ届かない。
もっと高く。
上を見ると、どこまでも澄んだ空が広がっていた。
俺は、太陽ばかり追い求めて太陽があるこの空を見ていなかったのかもしれない。
「大丈夫ですよ、鹿谷先輩!慎太郎くんには私がついてますから!」
清水先輩も部活にあまり顔を出せなくなって、高塚と二人で部を支えている里子が胸を張って言った。
「そうですよ。私もいますし」
するりと気配もなく高塚までやってきた。
里子と高塚の間に火花が散る。
「慎太郎くんのことは気にしなくて大丈夫です。彼女の、彼女の!私が!いるから!」
「あら?今は彼女なだけでしょう?」
正直怖い。
後退る俺に鹿谷先輩が言った。
「怪我も怖いけど女関係にも気を付けろよ」
「……はい」
俺は、自分が蒔いた種に後悔しながら頷くしかなかった。
それでも練習の日々は続く。
目指すは榊の出した記録以上の成績。
高い目標だけれど、枷が外れてからは良く跳べるようになった気がする。
少しずつ、バーが高くなっていく。
跳ぶ前に、深呼吸をするのがルーティンだ。
今日もそれを崩さず前に向かって走り跳ぶ。
また一段高く飛べた。
「よし!」
小さくガッツポーズをする。
もう少しで榊の記録に追いつく。
焦りより喜びの方が大きかった。
高塚と里子の言葉を思い出す。
俺は、イカロスなんかじゃない。
俺は俺の跳びたいように跳べばいい。
蝋の羽なんてないんだ。
俺は単なる人間だから。
「もう一回跳んでみてから上げるか」
呟いて、スタート地点まで歩く俺を高塚と里子が見ていた。
「慎太郎くん、順調そうだね」
「そうね」
「……ありがとうね。多分、高塚さんが影響していると思う」
「あら?ライバルにそんなこと言っていいの?」
「慎太郎くんが跳べたんだもん!いいの!」
里子は、いつも泣き顔を見せずに笑っている。
高塚もそれはわかっているのだろう。
「あなたも難儀ね」
「お互い様だね!」
そう言って、小さく笑い合う姿を俺は知らなかった。
ただ、前に向かって走って、跳んでいる。
それが最高に楽しかった。




