落ちた蝋の羽
「あれ?里子は?」
今日も一緒に帰るつもりでいたら、急な家の事情で早く帰宅したらしい。
「そっか」
「さすがは体育祭で校内認定カップルになった二人だな」
なんて揶揄われながら一人で帰る道は寂しい。
とぼとぼと歩いていくと、後ろから高塚が近付いてきた。
「飯田くん、ちょっと待って」
そう言って、腕を組んでくる。
押し付けられた胸にどきりとして振り払おうとしても、ぎゅっと握られて、きつく拒絶しないと離せそうにはなかった。
そして高塚はそっと耳元に唇を近付けた。
「今夜、両親が家にいないんだ」
「お前、何を言っているんだ!?」
あんなに躊躇われた手を強引に離した。
「事実しか言っていないよ。何を期待しているの?」
少し嘲るような高塚に、少しムッとして、歩みを進める。
「揶揄っているなら先に帰るぞ」
「待ってよ。今日は新井さんもいないんでしょう?なら、チャンスじゃない?」
「チャンス?」
高塚がにこりと微笑んだ。
「中学時代の続きをするのに、さ」
それからは記憶がなかった。
チリチリ、いつもの雑音がノイズのように俺の耳で鳴り響いていた。
「中学時代に応えられなかった気持ちを今更に返そうっていっても、新井さんがいるのは分かっている。でも、私が飯田くんを好きなのは事実なの。信じて」
そう言われて、涙目で見られて、里子が重なった。
俺は、高塚と里子。どちらを愛しているんだろう。
気付くと高塚の家に入り込んでいた。
高塚が作った飯を食べて、風呂に入って、その夜を過ごした。
初めての割には高塚がリードしてくれたのが功をなして、お互いに快感を拾えた、と思いたい。
とにかく、すごく気持ちよかった。
聡子の顔が浮かんでは消えて、蝋が解ける音だけが響いていた。
初めては、高塚に捧げてしまった。
終わってからの後悔が半端なかった。
里子にも、高塚にも最低な行為だったと思う。
それでも、肉欲は旺盛で、誘われたら高塚の体に溺れた。
最低で最高な夜だった。
それから度々誘われては高塚の家の前で立ち尽くす。
「中学時代の続きをしよう」
その言葉が、胸の奥で何度も反響する。
帰るべき場所があるのに、足は動かなかった。
高塚が差し出した手は、熱を持っていて、
その熱が指先から心臓まで届いた瞬間、
理性は焼け落ちた。
――気付いた時には、もうすべてが過ぎ去っていた。
灯りの落ちた部屋で、彼女の横顔を見つめながら、
罪の重さが静かに降り積もっていく。
胸の奥で、蝋が溶けるような音がした。
「慎太郎くん、なにかおかしくない?」
「えっ、なにが?」
「最近、一人で先に帰るしさ」
里子がむくれる。
そんな姿を可愛く思う。
やっぱり、高塚との関係はやめよう。
俺には里子が大切なんだ。
そう思って、交換していた高塚の連絡先に「もうああいうのはやめる」
とだけメッセージを送った。
「慎太郎くん?」
「なんでもない」
俺からのメッセージを見て、高塚が悲しげな表情をしていたのを目尻に見て、俺はこれでよかったんだと自分を納得させた。
けど、世の中そうはいかなかった。
「慎太郎くん、これは何?」
里子が阿呆面で寝こけている俺の写真を見せてきた。
「なんだ。これ」
「高塚さんと、そういう仲になったんだ」
里子が泣いた。
「違う、あれは過ちで……!」
「過ちなんてひどいわ、飯田くん。あんなに何度も愛し合ったのに」
高塚が嘲笑する。
「高塚……!」
「ねぇ、新井さんより私の方が良かったでしょう?新井さんとはまだしたこともなかったもんね」
「それは、里子を大切にしたくて」
「なら、私を抱いたのは何?結局飯田くんは、愛してくれる人なら誰でもいいのよ」
聡子の目が泣き腫らして赤い。
そんな顔をしたくなかったのに。
「里子……」
「やめて!」
伸ばした手はぱしりと叩かれた。
「もう、慎太郎くんとは別れる」
「そんな」
「高塚さんとお幸せに」
里子が去っていく。
「可哀想な飯田くん。大丈夫。私は愛しているから」
そう言って、高塚は俺にキスをした。
何度交わしたかも分からない高塚とのキス。
それでも、ここまで冷たいキスは初めてだった。




