蝋の羽は溶けないと信じて
俺達は、というか俺と新井は意図せず校内の注目の的になった。
あの日の朝を境に、高塚さんは俺への好意を隠さなくなった。
弁当も本当に作ってきた。
なんで中学時代に俺に振り向いてくれなかったんだ!
そう叫びたかった。
三人で食べていると、教室内は静まり返る。
みんなが俺達の動向に注目していた。
そんなある日、日直が休みで一人ずれて高塚と一緒になってしまった。
「今日はよろしくね」
楽しそうな高塚に不安そうな新井。
俺は新井を連れ出して、人気がいないところでそっとキスをして言い聞かせた。
「絶対に高塚とは何もないから」
「うん……」
それでも、新井は高塚を中学三年間ずっと一途に好きだった俺を好きになったんだ。
不安もあるだろう。
抱き締めた体は震えていた。
「絶対、大丈夫だから」
「……信じているからね」
「ああ。任せておけ」
そう会話をして、教室に手を繋いで戻った。
その日は高塚からのアプローチを徹底的に避けた。
「俺には新井がいるから」
「新井が好きだから」
「高塚を好きになることはない」
そう繰り返す度に、高塚は傷付いた表情をする。
中学でも高校でも高塚は孤独だ。
特に、男子に高嶺の花として遠巻きに崇められていたのに最近では彼女持ちの男子にもちょっかいを掛けるとして女子生徒からも敬遠されていた。
日直で部活に遅れた道のりで、並んで歩いた高塚がぽつりと呟いた。
「あの頃、私を好きでいてくれた飯田くんがいなくなった。だから取り戻したい」
「あの頃はあの頃だ。失ったものは戻らない」
「それでも、私は……」
「なぁ、高塚。それはお前に執着していた男が他に好きな女の子が出来たからもったいなくてそう思っているだけだ」
「分かっている。でも、私は新井さんを好きな飯田くんを見て、初めて『自分は誰かに必要とされていた』ことに気づいたの」
陸上部への渡り廊下での話は、人に見られる可能性がある。
それに、これ以上部活に遅れたら鹿谷部長と清水マネージャーになんて言われるか。
「とにかく、早く行こう」
「うん」
するりとまた腕を絡めてきて慌てて剥がす。
「高塚、やめてくれ!」
「ちょっとしたスキンシップじゃない」
少し寂しそうに高塚が笑う。
その姿が新井に見えた。
「ねぇ、中学の頃にこの気持ちに気付けたら、もっと違う関係になれたのかな?」
「高塚……」
「ねぇ、もうすぐ夏休みだね。陸上部も合宿あるんだよ。楽しみだね」
「なんでお前が楽しみなんだよ」
「調べたらね、その近くに有名な恋愛成就の神社があるんだって。今の私は神頼みをしてでも飯田くんが欲しい」
そこまで思い詰めている高塚に、中学時代の俺が叫ぶ。
でも、その思いに蓋をして、新井を思い浮かべる。
やっぱり俺は新井が好きだ。
新井里子が俺を変えてくれた。
「神様とかそんなの関係ない。俺が好きなのは新井だけだ」
「……中学はずっと私のことを追い掛けていたのに」
「中学は中学だ」
そう言うと、部室に行って着替えた。
高塚も女子更衣室で着替えているだろう。
グラウンドに行くと、新井が待っていた。
「飯田くん!」
「お待たせ、新井」
「待たせたのはマネージャーの新井じゃなくて陸上部の部活動だろう」
鹿谷部長が間に入る。
「……お前達が厄介な噂の的になっているのは分かっているが、部活動に持ち込むなよ」
「はい」
「すみません」
頭を下げる俺達に、清水マネージャーが近付いてきた。
「まぁまぁ、今回は不可抗力……ていうか、高塚さんの暴走みたいなもんだし、許してやってよ」
思わぬ援護射撃に、俺達は感謝した。
「ありがとうございます、清水先輩」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「いいのよ。問題は彼女だし」
ジャージに着替えた高塚がやってきた。
「どうかしましたか?」
「どうかしましたか?じゃないわよ、高塚さん。飯田くんが好きでも、部活動に持ち込まないでね」
「はい」
いや!そこは学校内外全般で迷惑を掛けないように言ってくれ!
俺達の願いも虚しく、清水マネージャーは高塚の返答に満足してタイムを計りにまた戻っていった。
「今日も頑張ろうね、飯田くん」
「ああ……」
「ちょっと、飯田くんに気安くしないで!」
新井が牽制する。
そんな新井が愛おしくて、好きだと思う感情が深くなる。
「高塚、清水先輩の手伝いをしてくれないか?清水先輩一人だと大変だろう」
「あら?それなら新井さんも一緒じゃなきゃ。行きましょう。新井さん」
にこりと高塚が微笑んで、新井を誘う。
新井は困惑して俺の方を見るが、俺は頷いて新井を抱き締めた。
「大丈夫だ」
何が大丈夫か、自分でも分からないけれど、俺は新井の不安を鎮められただろうか。
「そこ、いちゃつくなー!」
鹿谷部長に怒られて、名残惜しげに離れる。
「それじゃあ、また」
「うん」
そう言って、新井と高塚は清水先輩の元へ、俺は高跳びの練習に打ち込んだ。
高い空を跳ぶ。
太陽が近付いても、もう蝋でできた羽は溶けないと信じてあの輝く太陽に向かって跳んでいった。




