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Seven Days to Say Goodbye~七日後に彼女を忘れる僕が、彼女を自由にするまでの話~  作者: 三交代制コーヒーライター


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第2話 本屋で再会した彼女は、恋愛小説を事件扱いした

診察が終わると、僕はたいてい本屋へ行く。


 病院から駅へ向かう途中に、小さくも大きくもない本屋がある。

 品揃えはほどほどで、通路は少し狭い。

 大きな書店ほど何でもあるわけではない。

 けれど、何でもありすぎないところがいい。


 選択肢が多すぎると、人間は迷う。

 さっき売店でブラックコーヒーひとつ選べなかった僕が言うのだから、かなり信頼できる証言だ。


 自動ドアを抜けると、紙とインクの匂いがした。


 入口すぐの平台には、児童書フェアのポップが並んでいる。

 丸みのある字で、はじめての読書に、はじめての一冊を、と書かれていた。


「あっ、微糖の人」


 人を缶コーヒーの分類で呼ぶ声に、僕は顔を上げた。


 児童書棚の前に、月島澪がいた。

 片手に色鉛筆、もう片方の手に小さなポップを持っている。


「……月島さん」


「はい。先ほどお会いした売店ソムリエです」


「肩書き、まだ有効なんですか」


「微糖を選ばせた実績がありますので」


「国家資格みたいに言わないでください」


「では、実績解除ということで」


「急にゲームみたいになりましたね」


 彼女は嬉しそうに笑った。


 病院で見た笑顔と同じようで、少し違う。

 ここでは、彼女の方が場所に馴染んでいた。


「ここで働いてるんですか?」


「働いてる、というほどではないです。ここの店員さんと知り合いで、児童書フェアを少し手伝っています」


「ポップ」


「本を売るための、小さな犯行声明です」


「いきなり物騒になりましたね」


「読者を誘惑するんです。この本を手に取れ、って」


「本屋の棚が犯罪現場に見えてきました」


「相沢さん、ミステリー好きそうですもんね」


「なぜそう思ったんですか」


「さっきから新刊平台より、文庫棚の奥を見てます」


 言われて、僕は視線を戻した。

 たしかに、入口の新刊より、奥のミステリー棚を見ていた。


「観察力が高いですね」


「本屋にいる人は、だいたい目線で目的地がわかります」


「本屋ソムリエですか」


「売店ソムリエの上位職です」


「しおりが二枚もらえそうですね」


「非公式ですけど」


 彼女は、文庫棚へ歩き出した。

 迷いがなかった。


 入口からまっすぐ右奥へ。

 新刊平台を抜け、雑誌棚を横目に見て、文庫棚の角を曲がる。


 そこには、僕がいつも見るミステリー棚がある。


「案内が自然すぎませんか」


「本屋ソムリエなので」


「便利な肩書きですね」


「文化的です」


 棚の前で、僕は一冊の文庫を手に取った。

 久坂冬真の新刊。

 最近は事件より人間関係や恋愛の比重が増えている作家だ。


「好きですか?」


「好きです」


「即答」


「ここで間を置くと、作家に失礼な気がして」


「作家本人、たぶん聞いてません」


「本には魂があります」


「急に本屋っぽいこと言いましたね」


 帯には、恋愛ミステリーの新境地、と書かれていた。


「恋愛ミステリー」


 月島さんが帯を覗き込む。


「恋愛小説って、だいたい事件ですよね」


「たしかに。出会った時点で第一事件です」


「告白は犯行声明」


「付き合うのは、容疑を認めた状態ですね」


「別れ話は?」


「判決です」


「重いです」


「最初に事件って言った人が言いますか」


 月島さんは口元を押さえて笑った。

 本屋だからか、声は少しだけ抑えられている。


 その控えめな笑い方が、妙に近く感じた。


「でも、忘れるのも事件ですよね」


 ふいに、彼女が言った。


 僕は返事に迷った。


 忘れる。


 今日の診察で、何度か聞いた言葉だった。

 先生はもっと正確で、もっと柔らかい表現をしていたけれど、結局はそこに戻る。


「……未解決事件ですかね」


 僕は答えた。


「犯人がわからないまま、現場だけ残る」


 月島さんは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

 すぐに笑う。


「相沢さん、たまにちゃんと暗いこと言いますね」


「本好きなので」


「便利な言い訳です」


 会話は戻った。

 けれど、忘れるという言葉だけが棚の隙間に引っかかったままのように感じた。


 会計を済ませ、店を出る。

 昼の光が少しまぶしかった。


「このあと、五分だけ歩きませんか」


 月島さんが言った。


「どこへ?」


「近くの公園です」


「また案内が自然ですね」


「散歩にも経験値があります」


 断る理由を探す気になれなかった。


 公園は、本屋から三分もかからない場所にあった。

 古いブランコが二つ。低い滑り台。半分ほど草に侵略された砂場。


 どこにでもある公園。


 けれど、月島さんはそこへ入るとき、ほんの少しだけ歩く速度を落とした。


「ここ、落ち着くんです」


 ベンチに座ると、彼女は砂場を見ながら言った。


「よく来るんですか」


「たまに」


「月島さんの“たまに”は信用していい範囲ですか」


「信じる者は救われます」


「宗教になりましたね」


「公園教です。主な教義は、ベンチに座ることです」


 彼女は笑った。

 でも、その笑いのあと、少しだけ声を落とした。


「この町にいる間に、少しでも形にしたいことがあって」


「形にしたいこと」


「子ども向けの読書イベントとか、図書館の企画とか。大きなことじゃなくていいんですけど」


「いいですね」


「相沢さんの“いいですね”は、判決みたいです」


「また裁判官にされました」


「恋愛小説の件で実績があります」


 笑いながら、彼女は遠くを見た。


「いずれ、別のところに行くかもしれないので」


 その言い方は軽かった。

 でも、目は笑っていなかった。


 僕はそれ以上聞かなかった。


 初対面に近い相手へ向ける質問としては、深すぎる。

 僕は失言回収業ではあるが、深掘り業ではない。


「公園には効能があります」


「効能」


「ベンチ、ブランコ、砂場。三種の神器です」


「用法用量は?」


「ブランコの過剰摂取に注意してください。目が回ります」


「普通の注意でした」


 月島さんは笑った。

 さっきより少しだけ楽そうな笑い方だった。


 公園を出るころ、彼女は僕の紙袋を見た。


「読み終わったら、感想聞かせてください」


「読書感想文ですか」


「雑談です」


「それなら少し気が楽です」


「このまま解散すると、読書感想文の圧だけ残りますね」


「提出期限のない課題ほど怖いものはありません」


「では、少しだけコーヒーでも飲みますか。雑談の予行演習です」


「また飲み物で誘導されている気がします」


「売店ソムリエですので」


「肩書きが戻りましたね」


 彼女は笑って、駅前の方を指さした。


 僕は少し考えてから、紙袋を持ち直す。


「少しだけなら」


「はい。少しだけ」


 公園から駅前へ戻る道で、僕は紙袋の中の本よりも、月島澪の言葉を何度も思い返していた。


 いずれ、別のところに行くかもしれない。


 その一文だけが、妙に具体的な重さを持っていた。

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