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第17話 リリアは、視線に慣れている

リリア・セレストは、入室した瞬間に視線を集める人物だった。


王宮の小さな慈善茶会の小広間で、扉番が名を告げた時、若い令嬢たちの会話が一拍だけ途切れた。


燭台の光を受けた淡い金色の髪が揺れ、桃色の扇が持ち慣れた角度で開く。


その場の空気より少し明るい微笑みが置かれると、夫人方の声も自然に細くなった。


リリアが意図しているわけではない。ただ、見られることを、呼吸の一つとしてきた人だった。


エレナは、寄付品目録と控え椅子の位置を確認するために壁際に立ち、その入室を見ていた。リリアの隣にはディオンがいる。彼は、リリアと並んで入ることを自然なことだと思っている顔で、小広間の中央へ視線を向けた。


エレナは二人を一秒だけ見た。一秒で足りた。


問題は、二人を見る人々の方だ。




小広間は、本来、二つの輪を保つはずだった。


窓に近い側では、年長の夫人方が寄付先の孤児院や刺繍品の販売について話している。反対側では、若い令嬢たちが菓子や楽団の話に笑っていた。


その間には、細い通り道が残されている。疲れた来賓が椅子へ移り、給仕が菓子皿を胸の高さに保ったまま通るための幅だった。


リリアは、若い令嬢たちの輪へ入った。


菓子の話をしていた令嬢が、明るく笑った。別の令嬢が桃色の扇を褒め、リリアが少しだけ肩を傾けて礼を返す。その柔らかな声につられるように、年長の夫人方のうち二人が言葉を切り、寄付品の刺繍見本からリリアの方へ目を向けた。


若い令嬢たちが半歩ずつ寄り、夫人方も、聞き取ろうとする分だけ近づく。二つに分かれていた円が、一つの大きな輪のように寄っていく。


その端にいたユーゼット夫人が、一歩だけ後ろへ下がった。


夫人の背後には、花器と銀の燭台を置いた飾り棚が迫っている。前へ戻れば、若い令嬢たちの笑いに割り込む形になる。控え椅子は近くにあったが、寄ってきた夫人方に前を塞がれ、そこへ近づけない。夫人は淡い青の刺繍が入った手巾を持ったまま、輪の外縁で立ち止まった。


給仕が菓子皿を持って近づきかけ、夫人の後ろに道がないことに気づいて足を止める。


小さな停滞。


けれど、その停滞を見物する目は、すでに別の場所へ動きかけていた。襟元に金色の小さな羽根飾りをつけた若手貴族が、エレナとリリアの距離を面白がるように見比べている。


「グランベル嬢も、あちらへ行かれては」


からかいを含んでいた。


笑いに混ぜたせいで、失礼としては咎めにくい。それでも、その一言で、何人かの視線がエレナへ向く。婚約を破棄された令嬢と、その隣に立つようになった令嬢が同じ輪に入るところを、彼らは見たがっている。


エレナが反応すれば、視線はさらに集まる。


リリアが、エレナの方へ視線を向けた。扇の縁が、そこでほんの少しだけ止まる。


勝ち誇ったという感じはない。むしろ、自分へ向けられた明るさの中にエレナも入るのだと、疑っていないような柔らかな微笑み。


胸の奥に、小さな熱が立った。


怒りと呼べるものかもしれない。けれど、仕草で返せば、その熱は会場の中心へ移る。言葉で返せば、待っていた者に、待っていたものを渡すことになる。


エレナは、その視線に応えなかった。


代わりに、ユーゼット夫人の方へ一歩動いた。


夫人の手元には、淡い青の刺繍が入った手巾がある。北方の水紋を写した意匠で、今回の寄付品目録にも同じ模様の小物が載っていた。孤児院の子どもたちが糸を選んだ、と記録の端に細い字で添えられていたものだ。


「ユーゼット夫人」


夫人が、少し驚いたように顔を上げる。


「本日お持ちの手巾の刺繍が、大変美しゅうございます」


エレナは、声を少しだけ通す。


「差し支えなければ、皆様にも少しだけご説明いただけますか。模様の由来を、ぜひ伺いたく存じます」




ユーゼット夫人が手巾を広げると、淡い青の糸が燭台の光を受ける。


「これは、北方の水紋を写したものでして」


最初の声は小さい。けれど、手巾の端を指で押さえながら説明を始めると、年長の夫人方の顔がそちらへ戻っていく。


「まあ、ユーゼット夫人のお手で」


「販売品にも同じ模様がございますの」


「孤児院の子どもたちが糸を選んだと伺いました」


刺繍の話題に、場の流れが寄付品の卓へ戻る。夫人方の声が少し厚みを取り戻し、若い令嬢の何人かも、手巾が見える位置へ回り込む。


寄りすぎていた輪の端がゆるみ、ユーゼット夫人の隣の控え椅子の前まで、一歩分の道が空く。


輪が、自然に二つへ分かれた。


リリアの周囲には、まだ笑いが残っている。ただ、集まりすぎていた視線の半分が、淡い青の刺繍へ流れた。


その一瞬だけ、扇の向こうの微笑みが、どちらへ返せばよいのか探すように薄くなった。けれど、次の声が彼女を呼ぶと、リリアはまた自然に笑った。


エレナは、控え椅子を示した。


「こちらへ、どうぞ」


ユーゼット夫人は、ほっとしたように腰を下ろした。近くを通り直した給仕の菓子皿から小さな焼き菓子を一つ取り、奥側の令嬢へ「こちらも」と勧める。令嬢が一歩前へ出ると、止まっていた給仕の通り道が戻った。


ハルトレイ家の若手貴族は、エレナとリリアの距離を縮める機会を失い、何事もなかったように隣の青年へ別の話題を振る。


小広間には、二つの会話の輪が戻っていた。


リリアは輪の中心で変わらず微笑んでいる。彼女の周囲から明るさが消えたわけではない。


ただ、その外側で詰まっていた背中が一つ、控え椅子に収まっただけだった。




茶会が終わり、来賓が退出した後で、ルシアンが短く言った。


「言い返すこともできたはずです」


エレナは、閉じられた扉の方を見たまま答えた。


「はい」


「だが言い返せば、皆の視線はあなたとリリア嬢に集まりました」


「……集まると、その後が詰まります」


「だから流した」


「はい」


ルシアンは少しだけ黙った。


「あなたは、怒り方まで場に合わせるのですね」


エレナは、すぐには答えられなかった。


場に合わせた、という言い方は正確だった。ただ、場に合わせる前に、胸の奥で固まったものがあった。仕草で返さず、言葉でも返さず、別の人の手巾へ視線を移しただけで、その熱が消えたわけではない。


「ユーゼット夫人が、飾り棚の前で困っていました」


「はい」


「あの夫人が動けたのは、あなたが話題を出したためですね」


「夫人が刺繍をなさることは、準備資料で知っていました」


ルシアンは答えなかった。


配置図の端を押さえた指が、一度だけ止まる。短くエレナへ視線を向け、それから小広間の椅子の位置へ目を戻した。


その視線が、一秒だけ、いつもより長かった。




退出する廊下で、リリアはディオンに微笑んだ。


「今日も、楽しかったですね」


「そうだな」


「エレナ様は、変わらず真面目でいらっしゃいますね」


リリアの声は明るかった。けれど、言葉は置きどころを探すように少し平らだった。


「……ああ」


ディオンは答えながら、茶会の小広間を思い返した。


リリアが入った瞬間、場が華やいだ。それは確かだ。若い令嬢たちは笑い、夫人方も目を向けた。人が彼女を見る。近づく。声が明るくなる。


分かりやすい魅力だった。


しかし、その後、輪がどこへ動いたのかを、ディオンは思い出せなかった。ユーゼット夫人が飾り棚の前にいた気がする。給仕の足が一度、止まった気もする。


その後、夫人がいつ椅子に座ったのか。給仕の通り道がいつ戻ったのか。


思い出せなかった。


「リリア」


「はい」


「来賓の様子は、どうだった」


リリアは、少し首をかしげた。


「皆様、楽しそうでしたよ」


答えるまでに、ほんの一拍だけ間があった。リリアは扇の縁を小さく撫でる。問いの置き場所を探す仕草にも見えたが、すぐにいつもの微笑みに戻った。


「寄付品のお話も、盛り上がっておられました」


付け足された言葉は、間違ってはいない。だが、その手前で道を作った誰かは、含まれていなかった。


「……そうか」


ディオンは、それ以上を聞かなかった。


楽しそうだった。間違いではない。リリアの周囲にいた者たちは、確かに笑っていた。


ただ、それだけでは足りない気がした。以前なら、そんな細かいことを気にしなかった。なぜ今日は気になるのか、ディオンには分からなかった。


リリアはディオンの横顔を一度見た。


いつもの角度で笑い直す。けれど、ディオンの視線は廊下の先ではなく、先ほどまでいた小広間の方へ戻っていた。


リリアの扇が閉じきらないまま、手の中で止まった。


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