第31話 「海でも見に行かないかい?」
(とある少女視点の話)
「……それじゃあ、なんの意味もないじゃあないか。なんのために、佐奈は女の子になったっていうんだ!」
彼女が女の子になっても、彼女がその淡い思いを忘れてしまっているというなら、なんの意味もない。
「…………それは……」
めずらしく語気を強めたわたしに、父はたじろぐ。そんな父に追い打ちをかけるように、わたしはいった。
「決めた。わたしは男の子になる」
「な、なにをいっているんだ」
父は驚愕の表情を浮かべる。当然だろう。彼女のケースでは、たまたま生活に関わる記憶を損傷することはなかったが、運が悪ければいままで培ってきた記憶をすべて失ってしまっていたかもしれないのだ。そんな危険なことを、自分の娘がしようとしている。それを父としてとがめるというのは、なにも不自然なことではない。
しかし、
「じゃないと、彼女にひどいことをしてしまいそうだから」
彼女が彼のことを好きでなくなったいま、わたしはこの思いを抑えられそうにはなかった。彼女は彼を好きだったという感情を失っているから、わたしが彼とつきあうなんていうことになっても、祝福してくれるだろう。しかし、それは、つらいことだ。
結局彼女のことを思ってなんていっているが、すべて自分のためでしかないのだ。
わたしは懇願するような視線を向ける。
しかし、
「だめだ」
「どうして!? こんなにつらい思いをするぐらいなら、なにもかも忘れてしまった方が楽なのに!」
「おまえは、彼女の思いが失われてしまったことによって、どう感じたんだ?」
父は静かにそういった。それだけで、父がなにをいいたいのかを察する。
「たしかに……わたしの記憶がなくなったりしたら、パパは悲しい思いをすることになるよね」
「そうだ。大切な人が、自分と過ごした時間を忘れるなんて、到底耐えられるようなことではないだろう」
「でも」
「強くなりなさい。おまえは、強くならないとだめだ」
正直、そうならなければならないという自覚はあった。
「…………わかったよ。でもそのかわり、彼女の記憶を取り戻すために、全力を尽くしたい。パパにも、その協力をしてほしい」
「わかった。じゃあこうしよう。おまえは会社のために貢献する。お金を稼ぎ出す。そしてそのお金を、おまえ個人が、彼女を救うために使う。もちろん、研究スタッフは自由に使ってもいい。企画立案も、通りやすいように便宜を図ってやろう。でも、これが限界だ」
「……十分だよ。ありがとう。パパ」
そしてわたしは、徹底的に働くことにした。さすがに小学生の間はなにができるということもなかったが、中学高校では、学生としての本分も全うしつつも投資や事業展開などに携わって利益を生み出し続けた。
ただ、体力の限界というのは誰にでもあるもので、運悪くテスト中にその限界が来てしまうなんていうことも、何度かあった。いやそれ学業全うできてなくね? いや、j値雨緑テストは問題ないから全うできてる。そんないいわけを時折交えながらも学業を全うした。
その甲斐あって、比較的早い段階で神経麻痺から回復させる薬を開発させることに成功した。
おかげでぼくの高校一年一学期の成績が犠牲になったが。
ただ、それは自分で選び取ったことだ。
後悔はない。
あのときの後悔をぬぐい去るために、わたしは……いや、ぼくはなんでもやってやる。
*
(とあるイケメン視点の話)
彼女の提案により、ガラス細工を見に行くことになった俺たちは、手近なところにあるショップに入っていった。おしゃれな港町という雰囲気に包まれたその店は、学生で溢れていた。うちの学校の生徒も何人かいる。その生徒たちは怪訝な視線をこちらに向けているが、俺が見つめ返すと目をそらす。そりゃまあ、こんなかわいい女の子といっしょにいれば、好奇の視線に晒されるというのも無理ないだろう。
「なかなかきれいだねえ」
彼女はそういって目を輝かせる。いつもと違った、女の子らしいほくほくした表情に、思わずにやにやしてしまう。
「そうだな」
「なんだい。そのほほえましい目は」
「いや、そんな顔もするんだななんて思ってさ」
「ぼくにときめいてしまったっていうのかい? 乗り換え特典になにかつけようか?」
彼女はそういって悪魔的なほほえみを向ける。
「さすがにそれは……」
「冗談だよ。佐奈の思いを無碍にするようなことはしないさ。彼女は昔から君のことが好きだったんだ。その年月に勝るものなんてないさ」
彼女はそういって、ガラス細工のほうに目を向け直す。
「年月か。それをいうなら、おまえと佐奈のほうが、昔からの付き合いっていうことになるんじゃないか?」
俺がそういうと彼女は一瞬悲しそうな目を向け、
「あのあと、彼女とは疎遠になってしまったからね。ブランクがある」
「……そうか」
このまま気まずい雰囲気になってしまうかとも思ったが、彼女は気丈そうに振るまい、その後しばらく店の中を見て回った。二階にある木彫りの熊を愛でたり、一階脇にあるおみやげコーナーでいくつか買い物をすると、俺たちは店を出た。
「修学旅行の自由時間というのは、短すぎる。そうは思わないかい?」
そういわれて腕時計をみやる。たしかに、なにをしていたというわけでもないのに、残り時間はあと一時間強といったところだ。
俺はうなずくと、
「海でも見に行かないかい?」
彼女は唐突にそんなことを言い出した。
「なんでまた、こんなところにきてまで海なんて」
俺がそういうと、
「冬の海を見つめるなんて、感傷的な気分に浸れるじゃないか。そういう気分じゃないと、話せないようなことも、あるだろう?」
そういって悩ましげな瞳をこちらに向ける。その切なさがこっちにまで伝わってきてしまうそうで、思わずどきっとしてしまう。
「わかった」
俺は短くそういった。




