第七話
社交界は、いつぶりだろうか。
まだ王宮に来る前に参加したのが最後だったような気がする。
会場の扉を前にすると、思ったよりも心臓がバクバクとうるさく鳴り始めた。
平常心。落ち着いて、私。
深呼吸をすると、キースの左腕に絡めた私の右手にキースの右手が重なった。
「貴方は私の隣にいるだけで大丈夫です。無理に話をする必要はありません」
そう優しく声をかけてくれた。
眩いほどの装飾と華やかな管弦楽の音色に出迎えられる。壁面の絵画、天井の装飾、シャンデリアの造形。準備された食事どころか、使用人の衣装までも質の良さが一目で見て取れる。さすがは公爵家と言うべきか、惜しみなく贅を尽くした邸宅は豪華絢爛という言葉を表しているようだ。
今夜は特に多くの貴族が招かれているらしく、大広間の人の多さに圧倒される。それに、この国ではあまり見かけないような色鮮やかな衣装の、他国からの来賓も多く見受けられる。間違いなく今まで参加したどの夜会よりも豪華で、規模が大きい。
喧騒の中を進むと、私たちに周囲の視線が向けられているのが嫌でもわかる。
「キース様……! 本当に女性をお連れになっているわ」
「あれが、大地の涙ね。とても神秘的」
「どこのご令嬢か存じ上げませんわね。よほど田舎から来たのかしら?」
「まぁ。よくお隣に立てますこと」
好奇心、それから嫉妬と羨望。
わかっていたけど、好意的な視線はほとんどない。
私の味方はキースだけなのかもしれない。
縋るように礼服の袖を掴むと、キースは歩むスピードを緩めた。
大広間の階段に現れた本日の主役たちが婚約を発表すると、大広間は温かな拍手に包まれた。
彼らがこのまま順調に結婚すれば、もうキースが婿に指名される懸念はなくなる。つまり、私の偽りの婚約者役も必要なくなる。まぁ、カルロスのせいで、キースにはもう少し付き合ってもらうつもりだけど。
大々的な発表を終えて、大広間はまた歓談へと戻った。私たちはといえば、メルバンス公爵令嬢とその婚約者への挨拶を終えた後、好奇心から声をかける人々の対応をして、そろそろ愛想笑いに疲れてきた頃だった。
「おおお! 大地の涙! ここで本物が見られるとは……!」
恰幅のいい男性が、突然、私の目の前に身を乗り出す。
思わず一歩下がると、キースは私を守るように前に立ち塞がる。
「失礼。つい興奮してしまい……私は、ヴァランタン・ボワッシュと申します。オルデン公国で宝石商を営んでおります」
「ボワッシュ殿、エストヴァルド王国、国守騎士団隊長のキース・クラウゼルと申します」
「アストリッド・ノルゼストです」
「なんと! クラウゼル家とノルゼスト家の方でしたか! 大地の涙に縁のある方にお会いできるなんて!」
キースの影から顔を出すと、興奮した様子のボワッシュ様が、若干引き気味のキースの手をブンブンと振って握手していた。それから、こちらにも手を差し出した後、すぐに「ご令嬢に握手を求めるのは失礼ですな」と引っ込めた。
勢いがすごいおじさんだけど、悪い人ではないのかも。
キースも同じように思ったのか、私の手を取り、隣に並んだ。
「ノルゼストをご存じなのですか?」
「えぇ、私も宝石商の端くれですので。大地の涙は、エストヴァルド王国から我が国の王妃へ贈られたことで、国内でもとても有名で人気の宝石なのです。我が国の貴族も大地の涙を手にしたいと、何度も依頼があったもので……」
「なるほど」
「……それで、我々に大地の涙を売って欲しいと?」
突然、核心をつくような言葉を言うキースに「ちょっと!」と嗜めると、ボワッシュ様は穏やかに笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「いいえ。私は今、確信しました。大地の涙は、欲して手にいれる物ではないと……人が宝石を選ぶのではなく、宝石が人を選ぶ。そういうタイプの物に見えます。宝石とは無機質に思われがちですが、私は宝石にも意思があると思っています。結晶の核が生まれてから何百年と生きた鉱物の最後の形——それが宝石です。貴方の大地の涙は、貴方の首に居ることを受け入れているように見えます」
「受け入れている……?」
「えぇ。宝石が不満に思っていると、本来の輝きよりも鈍く見えるのです。ですが、貴方の大地の涙は、動じていない。裏表がなく、必要以上に飾らず、本来の輝きを放っている……まぁ、私は何千と宝石を見てきたせいで、そう考えてしまうだけかもしれませんが」
「はあ」
「ひと目だけでもお目に掛かれて大変光栄でした。キース様、アストリッド様、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
「そうそう、我が国では最近、宝石ブームでして。新たな加工機の開発で、硬くて割れやすい鉱石も加工出来るようになったのですよ。おかげで宝石にできる石が増えました。新しい宝石をお求めの時はぜひ、お声がけください」
そう言って、一枚のカードを渡される。
「では、ごきげんよう」
ボワッシュ様は踵を返すと、足取り軽く、大広間の人混みに消えていった。
「個性的な人……ただ宝石が好きなだけ、なのかな……?」
「何にしろ、警戒は怠らないことが大事です。貴方の首の、その大地の涙が狙われる可能性もありますから」
「そういうこと……!?」
思わずペンダントトップを隠すように首に手を当てる。
「恐れ入ります。キース隊長、少々よろしいですか」
会場の警護には国守騎士団も駆り出されていたようで、騎士の一人が青ざめた様子で駆け寄ってきた。キースはわずかに眉をひそめ、私の手を優しく握り直してから問いかけた。
「何か問題でも?」
「控室で火災が発生したとの報告がありました。現在、消火にあたっておりますが、火の回り方によっては避難が必要となる可能性があります。恐れ入りますが、その際にはキース隊長には避難誘導のご協力をお願いしたく」
「……わかりました。私も現場を確認しましょう。案内をお願いできますか?」
「しかし、隊長……」
騎士はちらりと私に視線を送ると、キースは私に向き直り、手を取り直した。言いたいことはわかる。だから、先手を打つように口を開いた。
「大丈夫、行ってきて」
「貴方を一人にしてしまい、申し訳ないですが……」
「ならば、私が代わりに、アストリッド嬢をエスコートしよう」
突然後ろから聞き覚えのある声がして、慌てて振り向くと、そこにはキースと同じく淡い月光のような髪色の精悍な男性が立っていた。
「兄上……よろしく頼みます」
名残惜しそうに私の手を解くと、キースは騎士と一緒に早足で大広間を出て行った。
「クロード様、お久しぶりです」
「あぁ。弟が世話になっている」
形式的な挨拶をして、クロード様に向かい合う。キースと同じく、厳格で芯が通っていて、あまり笑わない。けれど、優しい人だ。
好奇の目に晒されながら一人で壁の花にならずに済んだのはありがたいけど、キースのお兄様と二人きりで何を話せばいいのか、少し困ってしまう。
「それは……」
クロード様が少し驚いたように声を出す。視線の先は、私の胸元を見ていた。
「大地の涙……なるほど、貴方の元へ行ったのか」
「も、申し訳ありません! 訳あって、私が今、お預かりしておりまして……」
クラウゼル侯爵家に伝わる貴重な品を、私みたいな者が着けているなど、きっと当主として思うことがあるのだろう。咎められると思い、慌てて弁明しようと言葉を並べ立てていると、クロード様は優しく手で制した。
「それはキースが父より受け継いだ物だ。ノルゼストから生まれた宝石……かの地の出身である貴方によく似合っている」
「ありがとうございます」
「フッ……、しかし、箱を開けるのは自分が結婚する時だけだと豪語していたというのに……貴方へ託したということは、弟は本気なのだろう」
「えっ!?」
最初からずっと色んな意味で重い代物だと思っていたけど、キースの考えまで乗ってきたらもう……私の首に下げていいものじゃない。
「アストリッド嬢、不器用な弟だが、末長くよろしく頼む」
侯爵様に軽く会釈までされてしまっては、「こちらこそ……!」と返事をするしかない。
末長くなんて、叶えられないのに。
元々、公爵家の婚約騒動に巻き込まれて婚約者のフリをしていただけ。
まぁ、私の方も問題が出来たから、お互い利用しているようなものだけど……。
それが全て落ち着いたら、この大地の涙も返して、私たちの関係は解消される。
本当に婚約すると信じているクロード様には申し訳ないけど、今、真実を伝えることはできない。
罪悪感と、何故だか胸の奥底から湧いてくる切なさに押し潰されそうになりながら、それを隠すように笑顔を作り、何度も頷く。
「アスティ」
呼び声に弾かれるように振り向くと、急いで戻ってきたであろうキースがこちらへ近づいてきた。
「大丈夫だった?」
「えぇ。ただのボヤです。カーテンと壁紙の一部が燃えましたが、消火済みです。兄上、ありがとうございました。本日、侯爵夫人は?」
「彼女なら、久方ぶりの王都で友に会うのだとサロンへ向かった」
「そうですか。では、後ほど、お会いした折には挨拶を」
「……義姉と呼ばねば、また機嫌を損ねる。気をつけてくれ」
クロード様は少し眉を顰めて、そう言うと、キースも眉間に小さな皺を寄せて口を閉じた。
年始に伺った時も侯爵夫人はご実家に帰られていてご不在だったから、まだお会いしたことがないのだけど……どんな方なのだろう。
「キースも戻ったことだ。私も社交の場へ戻るとしよう。アストリッド嬢、そう遠くないうちにまた我が家へ顔を見せに来て欲しい」
「は、はい……!」
「キース、お前からの正式な報告を待っているぞ」
「……はい」
そう言ってクロード様は歓談の輪へと戻って行った。
隣にいるキースを見上げると、まだまっすぐ前を向いてクロード様の背中を見つめていた。
唇を固く引き締めて、いかにも堅物そうな横顔。
この人が、結婚相手に渡すような大切な品を私に預けているということを考えただけで、首に掛かったものがずっしりと重みを増したような気がした。
私が見上げていることに気づいたキースが、わずかに眉を顰める。
「顔色が優れませんね? そろそろ帰りましょうか」
「大丈夫。……でも、少しだけ、風に当たってきてもいいかな?」
「勿論。では、私は水をもらってきます。一人で大丈夫ですか?」
「はい……」
キースが配膳の給仕を探しに行ってくれる間に、バルコニーに向かって歩く。
久しぶりの社交界で緊張したのもあるのかもしれない。それに、妙に視線を受けるというか、話しかけるわけでもないのに見られている、という妙な雰囲気のせいもあるだろう。
少し休めば大丈夫だろう、と歓談する人の波を歩いている時、聞き覚えのある声が耳を掠めた。
「……ええ、あれほど大きな原石は滅多にございません。クラウゼル家は昔からこの国で大地の涙を扱っておりますので、あれは特別です。……ですが皆様、こちらをご覧ください」
柱の影になってフロアからは見えにくい位置から聞こえるのは、カルロス・グラナートの声だ。思わず息を殺し、柱の陰からそっと向こう側を覗き込む。
カルロスは貴族たちを囲み、小さなベルベットの箱を開けてみせている。そこには、小さなノルゼスタイトの原石が乗せられていた。
「これは、大地の涙の原石です。我が国では、小さな原石では加工に耐えられず、宝石として仕上げるのは難しいとされています。しかし、貴国では昨今、割れやすい鉱石も加工できる技術が開発されましたね? その技術があれば、この小さな原石もあの大地の涙のような輝きが出せるはずです。我が商会であれば、このような原石を継続的にご用意できますよ」
「これがあのように七色に輝くというのか」
「えぇ。小ぶりにはなりますが、むしろ日常でお使いいただくには向いているかと」
「実に興味深い。詳しく話を聞かせていただこう」
「では、ご相談の日程は改めて……」
原石を継続的に用意する……?
そもそもノルゼスタイトはノルゼスト領でのみ採れる鉱石。
父が鉱山の管理をしていて、小さなノルゼスタイトは領外にはほとんど出回らない。
小さな原石のうちに採掘を繰り返せば、鉱物は成長しない。それではいずれ、大きな原石が採れなくなり、大地の涙が作れなくなってしまうため、小さな原石は基本的に採掘しないが、大きな原石を採ろうとして小さく欠けたものは無数に出る。
つまり、今は売り物にならない小さなノルゼスタイトを売るために、グラナート商会と取引を……?
いや、大地の涙でなくとも、ノルゼスタイトをクラウゼル家に断りなく他へ流すとも考えにくいし、伝えたところでクラウゼル家も了承すると思えない。
それなら、どうして……。
「どうかしましたか?」
背後から声を掛けられて、思わず肩が震えた。グラスを手にしたキースを押しやりながら、場所を移動する。
「少し気になることがあって」
「グラナート商会、ですね」
先ほどの一瞬で、キースにも奥の様子が見えたのだろう。キースは周りに聞こえないようにか、腰をかがめて囁くように話す。
「私も、調べていて気になる点がありました。通常、北の関所は輸送貨物が大きい、または多い場合には使用しない。ですが、彼らは貿易品——絨毯などの嵩張るものを、北の関所を経由して輸送していました」
「北の関所って、ノルゼストの山道にあるところだよね? ……あれ? そもそもグラナート商会が新規で申請したルートって、隣国から東街道を通るルートじゃなかった?」
「東街道? では、ノルゼスト領にはそもそも寄りませんね」
「申請したルートと違う場所を通ってる……? ちょっと頭が絡まってきた……とにかく怪しいってことね」
「えぇ、ですから、調査を行います。彼らに気づかれる前に」




