第三話
「というわけで、名前を書く許可を出す代わりに、恋人役をお願いできますでしょうか」
仕事終わりのキースを中庭の陰へ連れ出し、深々と頭を下げる。
キースは短く息を吐くと、いつも通り特に感情が乗っていない表情で私を見下ろした。
「貴方にも事情ができた、というわけですね」
「ごめんなさい、あまりにもムカついて……カッとなって嘘をつくなんてどうかしてる」
「まぁ、私は助かりますが。では、行きましょう」
「どこに?」
「私の家です。指輪を渡しておかないと。この指輪はちゃんとペアリングとして買ってありますから、それを付けてください」
促されるまま王宮を出て、貴族街の端にあるキースの私邸へと向かった。
元々はキースのお父様が建てたタウンハウスに住んでいたけれど、兄のクロード様が当主になられた際に新たに自分用に家を建てたらしい。
クロード様は「王都に頻繁に行くわけではないから、キースが使用するといい」と仰っていたみたいだけど、本人としてはクラウゼル家を出るからというケジメがあったのだそうで。
そんなキースが建てた家は、貴族街の外れにこじんまりと佇んでいて、とても静かだ。
「狭いですが、どうぞ」
「お邪魔します」
「こちらで待っていてください」
促されて客間のソファで座って待つ。
壁掛けの絵や花瓶などの調度品も必要最小限で、落ち着いた色彩の部屋。この家の使用人は、執事とハウスボーイと警備の三人しかいないらしい。
こんなに質素に暮らすことはないだろうに。
実家のクラウゼル侯爵家は裕福だし、キース自身も国守騎士団の隊長という立場なら、一般の兵士や騎士に比べたら相当な報酬をもらっているはずだ。
「失礼致します」
「バレットさん」
「お久しぶりでございますね」
執事のバレットさんが入ってきて、紅茶の用意をしてくれる。
前回会ったのは、今年の初めに帰省した時だ。
クラウゼル侯爵領は、王都から馬車で六時間ほどかかる。そこから更に一時間進んだところが私の父が治める土地だ。
キースは時折帰っているらしいが、私は年に一度帰れたらいい方だった。理由は単純で、馬車を用意するにもお金がかかるからだ。
私の故郷は、男爵家の治める土地としては十分に広い。けれど、その大半が作物が育たない極寒の地で、全く裕福とは言えなかった。だから私は、王宮へ出稼ぎに来ている。
仕事をする前に、手っ取り早く裕福な貴族に嫁ぐ、という案もあった。というか、そちらが正攻法なのだろう。領地はいずれ兄が継ぐ。私自身は、満足な持参金も用意できない男爵令嬢だ。取り柄といえば、領地でノルゼスタイトが採れることくらい。
しかし、そのノルゼスタイトの鉱山を狙って縁談を持ち込まれたことも多々あった。
結婚すればノルゼストを援助する。その代わりに、鉱山の採掘許可を出せ。
そう要求する家が多かったのも事実だ。
何よりも、そんな条件を出す家に嫁いで私が幸せに暮らせるのか、と両親は不安に思っていたようで、縁談はなかなか進まなかった。
私はといえば、結婚を急いで鉱山を危険に晒すよりは、自分も働けば少しは家のためになるだろうと考えて、王宮で働き始めた、というわけだ。
そんなわけで、帰るための馬車さえも簡単に用意が出来ない。
王都からクラウゼル領までなら乗合馬車も出ているけれど、そこから先――私の家までの交通手段がないのだ。帰省する時はいつもクラウゼル領まで迎えに来てもらっているけど、それも簡単なことではない。
片道一時間と聞けば近く感じるけど、なにせ時には雪も降る山道を通らなければならないのだ。乗合馬車が遅れて夜になれば、滑りやすい山道を戻ることができずに一晩クラウゼル領で過ごす。そうすれば宿代はかかるし、貴重な馬と人手を待機させることになる。
他にも、王都から馬車を借りてノルゼストまで行く、という方法もあるけど――勿論高すぎて頼んだことはない。
だから、気軽に帰省はできなかった。
しばらくは手紙を送るのみで帰っていなかったけど、その話をキースにしたら、「年始は兄へ挨拶に行くので」と、帰省ついでにクラウゼル家の馬車に乗せてもらえることになった。
その時、クラウゼル家のお屋敷へそのままお邪魔した。馬車に乗り合わせてもらったお礼もしなければと、クラウゼル侯爵――キースのお兄様・クロード様に挨拶をした。クロード様は顔立ちだけじゃなくて、雰囲気も少しキースに似ている。兄弟揃って真面目で厳格で、けれど優しい。
下級貴族の私は、社交界でも侯爵家が参加するようなパーティーへ行くこと自体が少なく、参加したとて侯爵子息と話をするなんてとてもじゃないけどできないような遠い存在だった。
近隣だからという理由で、時折、侯爵家に招待してもらうこともあったけど、形式的な挨拶を交わすだけで、ちゃんと話をしたことはなかった。
それが王都に来て、王宮でキースと知り合い、話をするようになって、今年はちゃっかり帰省の馬車に乗せてもらうような関係になったのだ。人生とは不思議だ。
そんなことを思い出していると、キースが小さなベルベットの箱を持って戻ってきた。
「こちらがペアリングの片割れです」
「ありがとう」
渡された指輪を左手の小指にはめてみる。驚いたことに、緩くもきつくもなく、吸い付くようにぴったりと収まった。
「ミラクルフィット……」
「それなら良かったです」
「むしろピッタリすぎて怖いまである……しばらく借りるね。返すのは多分……色々落ち着いてからになると思うけど」
「その件も含めて、今後について少し話をしましょう」
キースは長い足を組んで、カップを持ち上げて優雅に紅茶を飲む。この姿を見るために王宮内の女性はわざわざ士官食堂を覗き見するという。まぁ、そこには他にも絶世の美形の騎士が他にもいるから、そっちを狙っている可能性もあるけど。
とにかく、紅茶を飲む仕草だけでも女性を虜にしてしまうキースは、平凡な貧乏男爵令嬢の私とは本当に不釣り合いだ。
「まずは明日ですね。朝から例の男が来るんでしょう?」
「えぇ」
「では、その前に国境管理室へ向かいます。話をして、一旦様子見を。どのような反応をするのか……相手の出方を見て決めましょう。不確定なことが多く、心配ではありますが、対策を立てるにも相手の情報が不足しています」
「そうね。わかった」
「そして、私は調査書に婚約者または婚約を予定する者の欄へ貴方の名前を書きます」
「はい」
「それから……」
自分の左手小指にはまった指輪と私の小指を見比べると、満足そうに目を細めた。そして、いつもより少し低く囁くように話す。
「二人きりの時は『アスティ』と呼んでも?」
「えっ?」
「仮にも婚約者になるのですから。呼び方も少し変えておいた方が、周囲に追及された時に自然でしょう?」
家族にしかそう呼ばれたことはなかった。
だから、キースの口から聞いた瞬間、心臓が跳ね上がるようにドクンと強く脈打った。
今まで呼び捨てされることには慣れていたのに、これでは、まるで本当に愛されている恋人のようでは――。
「まぁ……キースが良いなら、それで」
「ええ。よろしく頼みますね、アスティ」
試すように私の顔を見つめながら、キースはごく自然にその名を口にした。
頬が緩むのを抑えられない。顔も熱くなっているし、きっと酷い顔をしている。それを隠すように、私は冷めかけた紅茶を一気に飲み干した。




