第二話
「明後日までに返事を」というキースの言葉が頭から離れないまま迎えた翌日、国境管理室の静けさは一瞬で壊された。
「王宮と聞いて期待していたが、華がないな」
部屋に足を踏み入れるなり、人を舐めるように見渡して不躾な言葉を吐き捨てたのは、異国からの留学から戻ったばかりだという商家の息子――カルロス・グラナートだった。
近隣国との武器取引を取り仕切るグラナート商会の次男坊で、他国との交渉術などの知識を共有する名目で外交室や国境管理室に招かれた男だ。
いくら爵位を持っている貴族とはいえ、部外者の商人を事務室に入れるものではないと思うのだけど、武器供給はこの国の安全保障上の生命線でもあるから、上層部も強く出られなかったようだ。
室内を勝手気ままに歩き回り、鍵のかかっていないファイル棚を開けたり、デスクに積んであった書類を無造作に拾い上げたりしている。
いや、さすがにダメでしょ。室長、注意してよ。
「おい、最新版の外交使節団リストは? それと、外交免税証の白紙原本があるなら見せろ。事前に書式を確認しておきたい」
「えっ、あ、いや……そういった公文書や未発行の証明書は厳重に保管庫で管理しておりまして、お見せすることは……」
「チッ、使えない奴だな。予備の一枚くらい融通しろよ」
オドオドと答える室長を無視し、カルロスは重ねられた書類の束を失礼な手つきでパラパラとめくっている。
みんなこの男を警戒しているようで、こっそりと鍵のかかる引き出しに書類を仕舞っている。
それにしても、いくら出入りを許されているとはいえ、外交使節団のリストや免税証のフォーマットが見たいなんて、何かあるのだろうか。
傍若無人な客人を自分で注意する勇気などなく、一生懸命に引きつった愛想笑いを浮かべていると、カルロスと目が合ってしまった。
品定めをするように目を細めてから、ニヤリと笑みを浮かべる。
「お前はまだマシな方だな。……よし、お前にする」
「……何がでしょうか」
「王宮にいる間の俺の世話係だ。光栄に思え」
この人は何を言ってるのだろう。傲慢な人間はたくさん見てきたけど、その中でも上位に食い込む。反射的に文句を言おうとして、慌てて口を閉じた。隣で室長が「ヒッ」と短い悲鳴を上げているのが聞こえたけど、こういう時こそしっかりして欲しい。
「あいにくですが、私にも業務がございますので」
「どうせ大した仕事じゃないだろ。その辺の奴にやらせておけばいい」
「締め切りが迫っている重要な書類もありますので、そういうわけには……」
「お前の仕事より、グラナート商会の俺の方が大事だろ? 昼も夜も世話をさせてやるって言ってるんだ」
あからさまなセクハラと侮辱に、私の中で一応愛想良くしておこうという気持ちが崩れ去った。頭に血が昇っていくのがわかる。
「お断りいたします」
「強がるなよ。ちょっと遊んでやるって言ってるんだ。どうせお前みたいな地味な女、恋人もいたことないだろう?」
「なっ……! 恋人くらい、いますので!」
叫んだ瞬間、やってしまったと後悔したがもう遅い。カルロスは眉をひそめ、私の手元をジロジロと見た。
「ハッ、強がりを言うな。指輪はどうした?」
「……仕事中は外しているだけです」
「へえ。なら明日見せてみろよ。本当に男がいるなら世話係は免除してやる。せいぜい安物の指輪でも用意しておくんだな」
ニヤニヤと嫌味な捨て台詞を残し、部屋を出ていくカルロス。嵐が去った後、管理室には重苦しい沈黙と、同僚たちからの同情の視線が満ちていた。
「何、アイツ!?」
「アストリッドさん、大丈夫?」
「さすがにアレはちょっと……室長も止めてくださいよ」
「今、報告書作ってるんですけど、これってどこに提出すればいいですか? 国王?」
「直訴はやめて……」
か細い声を出す室長に、同僚が詰め寄っている。頼もしい限りだけど、それでも私の気持ちは全然晴れない。散々侮辱されて機嫌は最悪だ。
「どうする? シメる?」
「とはいえ、管理室の一存でグラナート商会を敵に回すのはまずいでしょ」
「やっぱりアストリッドさんの恋人に明日来てもらった方が安心な気がするけど」
「うっ……今日の明日なので……一応、連絡してみます……」
「そうね、それがいいわ」
「でも、アストリッドさんに彼氏がいるなんて知らなかったよ!」
「わざわざ職場で言う必要もないでしょ」
「そうだけどさぁ」
大変なことになってしまった。
なんで嘘なんてついてしまったんだろう。いや、でもあんなに馬鹿にされたら反論しないわけにもいかなかったし。
頭を抱えた私は、終業のベルが鳴るまで碌に仕事が進まなかった。




