第一話
※作中の世界観や制度などは独自解釈による創作です。
細かな部分は架空の設定として大目に見ていただき、物語として楽しんでいただければ幸いです。
「そういうわけで、貴方の名前を書いて提出してもいいですか?」
優雅に珈琲を飲みながら、まるで天気の話でもするような軽いテンションで話をする男――国守騎士団の隊長キース・クラウゼルは、相変わらずの仏頂面のまま恐ろしい提案を口にした。
事の発端は数日前のこと。
メルバンス公爵家が、娘の婿を国中から探すという大イベントを発表した。
『子爵以上の爵位を持つ独身男性は全員、書類選考の対象とする』
今、このエルスヴァルド王国で最も熱い話題だ。
何せ、政治や経済、王族にも影響力を持つ公爵家との縁談が、当のメルバンス家との繋がりがなくても出来るのだ。多くの家が次男、三男を婿養子として立候補している。
逆に、選考から外れるには、調査書に必要事項を記入して提出する必要がある。
すでに婚約者や特定の恋人がいる場合は、相手の氏名と家柄を明記して提出すれば選考から外す、ということらしい。
もちろん、選ばれたからといって、必ず令嬢と婚約しなければならないわけではない。けれど、王家と縁の深い公爵家からの申し出を断るのは、軋轢を生みかねない。互いのためにも、すでに婚約を予定している者は、先んじて調査書に婚約者の名前を書いて提出するようにというお達しがあったようだ。
キースは、格式あるクラウゼル侯爵家の出身だ。先代のクラウゼル侯爵が亡くなられた後、兄のクロード様が家を継ぎ、弟であるキースは家を出た。とはいえ、伯爵位を継いでいるので、キースは騎士でありながら貴族だ。当然、選考の対象となる。
その選考から外れるために、私の名前を婚約者欄に書くと言い出したのだ。
「いいわけないでしょう? 逆になんでいいと思ったの?」
私が即座に眉をひそめて返すと、キースは困ったように、けれどどこか涼しげな表情で答える。
「この指輪の真実を知る人は少ない……事情を理解している貴方に頼むのが筋でしょう」
そう言って、左手の小指に嵌めた細身の白金の指輪を見せるように手を持ち上げる。
エルスヴァルド王国において、左手薬指の指輪は既婚者の証。そして左手小指の指輪は『交際中、あるいは婚約者がいる』という主張を意味する。
目の前に座るキースは、生真面目で冷静沈着、仕事は完璧だが少し愛想が足りない男だ。
そもそも、彼は元々財務室で働く文官だった。この国で文官から騎士に転身する人は滅多にいない。数年前、キースが突然騎士団の入団試験を受けると言い出した時は、王宮内でもかなり大きな話題になっていた。
元々クラウゼル家で剣の腕を鍛えていたこともあり、彼は難なく入団してから、瞬く間に階級を上げて隊長にまでなっている。
端正な顔立ちのわりに無愛想なこともあり、騎士団トップの派手な美形の陰に隠れてそれほど目立つ存在ではなかった。
キースが話題になったのは、ある式典で護衛をしていたことがきっかけだった。馬車から足を踏み外した令嬢を咄嗟に助け、足を捻ったという彼女を軽々とお姫様抱っこして椅子に座らせるという対応を見せたことで、評価が一変した。
真面目で愛想のない男が自分だけに優しくしてくれる――そんな年頃の令嬢たちの妄想を掻き立てるには十分すぎる出来事だった。
以来、王宮と貴族社会の間でキースの噂は一気に広まり、異性からの接触が増えた。
仕事以外の揉め事を心底嫌うキースは困り果て、女性避けのために小指に指輪をし、「故郷に婚約者がいる」と言ってあらゆる誘いを断るようになった。
……という経緯を、私は知っている。というか、その偽装工作を提案したのは他ならぬ私だ。
「別に、書類選考くらい受ければいいのに。公爵家に婿入りするチャンスだよ」
「興味がありません。権力争いに巻き込まれるのは御免です。それに、今のところは、騎士団を辞めるつもりはありませんので」
「そっか……でも、相手の情報を提出しなきゃいけないんでしょう? いくら情報の秘匿が約束されていると言ったって、噂話が大好きな貴族を信用できる?」
「できませんね」
「そうだよね……少なくとも公爵家やその選考の関係者には、私の名前が知られてしまうのはまずいし……」
「ですが、職場内での異性交友を禁止する規則はありませんし、貴方も男爵家ですから家柄としては問題ないでしょう」
「だいぶ不釣り合いだけどね。……というか、今まで『故郷に婚約者がいる』って嘘ついてたことがバレるよ?」
「貴方の故郷とは隣接していますし、広義では同郷と呼んでも差し支えないはずです」
「そう、かな……? うーん……」
私の実家であるノルゼスト男爵領は、作物が育たない極寒の地で、自然豊かなクラウゼル伯爵領からさらに馬車で一時間進んだ場所にある。確かに領地は隣同士だから、同郷と言われたら、大きな括りではそう……なのかな?
けれど、二人して職場や王宮に嘘をついていたみたいになるのはどうなのだろう。
やっぱりキースには恋人はいないと素直に言ってもらうか、あるいは本当に故郷の誰かに名義を貸してもらった方が安全では?
いくらプライバシーは守るなんて言ったって、所詮は人間。人を疑うのはよくないけど、情報は漏れるものと考えた方がいいだろう。
そうなった時、私は彼の婚約者という立場になってしまう……それはかなりリスキーなのでは?
いくら仲が良くても断るべきかと考えたところで、キースは胸元から一つの箱を取り出した。
「何これ」
「開けてみてください」
促されるまま箱の蓋を開けた瞬間、思わず息を呑んだ。
漆黒のビロードの上には、透明なティアドロップ型の石がセットされたネックレスが置かれていた。角度によって七色に光を反射している。
「大地の涙……!?」
「欲しいと言っていたでしょう? 迷惑料です。受け取ってください」
「受け取れるわけないでしょう! これ、いくらするの!?」
ノルゼスト領の地下深く、凍てついた岩盤の底からノルゼスタイトという鉱石が採れる。加工が非常に難しく、宝石として仕上げるには、十分な大きさの原石が必要になる。しかし、宝石として加工ができるほど大きな原石は、数十年に一度採れるかどうか、と言われている。
大地の涙とは、そのノルゼスタイトの大粒の原石からティアドロップ形に加工した宝石のことで、その美しさ、希少さから王侯貴族の間ではとても人気だ。特産地出身の私でさえ、そう何度も見たことがない。
ノルゼスト領がかつてクラウゼル領から独立したという経緯もあり、大地の涙の流通には古くからクラウゼル家が関わっている。大地の涙といえばクラウゼル侯爵家、と言われるほどだ。
確かに以前、軽い気持ちで「欲しい」と口にした気はするけど……いくらなんでも“迷惑料”でポンと手渡されていい代物ではない。
慌てて箱を突き返そうとするが、キースの大きな手が私の手ごと箱を包み込み、ゆっくりと押し返された。彼の体温が直に伝わってきて、ドクンと胸が高鳴る。
「査定に出したことはないので価格は分かりませんが……これは父が私に残したものです。公爵令嬢の婿選びを穏便に回避し、同時に貴方が“クラウゼル家と関係がある”と示すには、これ以上のものはないでしょう」
「色んな意味で重い……手に持ってるだけでも胃が痛くなる……」
「いくら公爵家が情報を秘匿すると言っても、いずれどこかから漏れる可能性はあります。そうなった場合、貴方に考えられる被害は三つ。私との関係を聞かれて仕事の時間を取られること。異性からの誘いがなくなること。そして、妬みから何かしらの妨害をされること」
「良いことが一つもないんだけど……」
「えぇ。ですが、二つ目と三つ目は私が対策を考えます」
「ひとつ目もどうにかしてほしいんだけど!」
「大変なのは最初の数日だけですから、そこは我慢してもらうしかありませんね」
「巻き込んでおいて、そんなぁ……」
突き返せない圧力と、彼の理路整然とした、けれど強引な言い分に、私は頭を抱えた。
「明後日までに返事をお願いします。アストリッドなら、私を助けてくれると信じていますよ」
「……プレッシャーかけないでよ」
私の小さな溜め息を、キースは目を細めるだけで何も返さなかった。
全10話、完結まで毎日更新いたしますので、お付き合いいただけますと嬉しいです。




