第4話 でっち上げの接待
大帝国・隋の首都、大興城。
その壮麗な城門を背に、小野妹子は深く、深くため息をついた。
「おい、倭国の使節よ。私の荷物はまだ積み終わらんのか? まったく、これだから野蛮な辺境の民は手際が悪い」
不機嫌極まりない声で妹子を見下ろしているのは、隋の皇帝・煬帝から直々に派遣された視察官、裴世清である。
最高級の絹の衣に身を包み、神経質そうに吊り上がった細い目、そして常に何かを小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる、絵に描いたような中華エリート官僚だ。
「ははっ、ただいま急ぎ手配しておりますゆえ、今しばらくお待ちを。裴世清様の貴重なお荷物に、決して傷などつけぬよう慎重に運ばせております」
妹子は、顔の筋肉を引き攣らせながら、愛想笑いを浮かべた。
(……なんだあの荷物の量は。ちょっとした引っ越し業者でもあんなに運ばねえぞ)
裴世清が持参した荷物は、優に牛車五台分はあった。
自分専用の高級寝具、高級茶葉、陶磁器の食器セット、さらには「蛮族の国の水など飲めるか」と大量の飲料水まで積み込ませている。
ただでさえ狭い倭国の船の積載量を、圧迫していた。
「大使……あいつ、めちゃくちゃウザいんですけど……」
「しっ! 玄理、口を慎め。あいつは煬帝の代理人だぞ。少しでも機嫌を損ねて『倭国はやはり無礼な野蛮国でした』なんて報告されたら、今度こそ大艦隊が押し寄せてきて日本が火の海になるんだからな」
妹子は小声で留学生の高向玄理を嗜めつつ、胃の辺りを無意識にさすった。
皇帝の怒りを回避し、命を繋いだところまでは良かった。だが、この超絶クレーマー気質の視察官を無事に日本まで送り届け、さらに「立派な文化国」だと思い込ませて満足して帰らせるという、超難度のミッションが追加されてしまったのである。
こうして、小野妹子の胃壁を削る「地獄の接待航海ツアー」が幕を開けた。
***
港に着き、倭国の船を目の当たりにした瞬間、裴世清の細い目が見開かれた。
「…………なんだ、これは」
「はっ、我が国が誇る最新鋭の外洋船にございます!」
「馬鹿を言え! こんなものは、我が国では子供が池に浮かべて遊ぶ玩具にすぎん! 木をくり抜いただけの箱ではないか!」
裴世清は、信じられないものを見るような目でポンコツ船を指差した。
「こんな沈みかけの棺桶に乗れと言うのか!? 私の命をなんだと思っている! 私は大隋の高級官僚ぞ!!」
「め、滅相もございません! 見た目は質素ですが、これが波風に強くてですね! 我が国の伝統的な工法でして……」
「意味がわからん! ありえん、私は帰る!」
くるりと踵を返そうとする裴世清の足首に、妹子はダイビングキャッチを決めた。
「お待ちくださいぃぃぃっ!!」
「離せ、汚らわしい!」
「ここでお帰りになられたら、皇帝陛下のご命令に背くことになりますよ! 『倭国の船がボロかったから帰ってきました』なんて言い訳、あの暴君……もとい、偉大なる皇帝陛下が許すとお思いですか!?」
その言葉に、裴世清の顔色が変わった。
煬帝の恐ろしさは、官僚である彼が一番よく知っている。命じられた任務を放り出せば、一族郎党皆殺しの刑が待っている。
「う、うぐぐ……っ」
「さあ、ご安心ください! 裴世清様には、最高級の特別室をご用意しておりますから!」
「と、特別室……? まあ、そこまで言うなら見てやらんでもないが……」
妹子が案内した「特別室」とは、船のちょうど中央部分に、急ごしらえの布を張って作っただけの薄暗いスペースだった。
もちろん、波の揺れはダイレクトに伝わる。
「……薄暗くて狭いな」
「い、いえ! これは我が国における『奥ゆかしさ』を表現した空間デザインでして! 光を遮ることで、精神の安寧をもたらすという高度な哲学が込められているのです!」
妹子の口から、次々とハッタリが飛び出す。
悪徳不動産屋も裸足で逃げ出すレベルの営業トークである。
「なるほど……哲学か。我が国の老荘思想にも通じるものがあるやもしれん」
プライドの高い中華エリートは「高度な哲学」という言葉に弱かった。裴世清は渋々ながらも、その布張りのスペースに収まった。
出航の銅鑼が鳴り、船は再び東シナ海の荒波へと漕ぎ出した。
***
出港から三日目。
裴世清は、特別室の中で死にかけていた。
「オエェェェェェェッ!!」
「裴世清様! お気を確かに! 桶です、桶をお使いください!」
妹子は、自分自身の船酔いを強靭な精神力でねじ伏せ、裴世清の背中をさすり続けていた。
エリート官僚である彼は、これまでの人生で荒波に揺られる経験など皆無である。平底船の強烈なローリングとピッチングは、彼の三半規管を無慈悲に蹂躙していた。
「ううっ……死ぬ……こんな揺れる船、やはりおかしい……お前たち、わざと私を苦しめているのだろう……!」
「とんでもない! 本日の波は、これでも非常に穏やかな方でございます! むしろ、海神が裴世清様を歓迎して、優しく揺りかごのように揺らしてくれているのです!」
「これが揺りかごなら、赤子は全身の骨が砕けているわァァァオロロロォォォ!」
再び桶に顔を突っ込む裴世清。
妹子は、汚物にまみれることも厭わず、彼の汚れた衣服を丁寧に拭き取った。
「さあ、裴世清様。吐いた後は水分補給が必要です。我が国特製の、胃腸を整える霊薬をお持ちしました」
妹子が差し出したのは、ただの白湯に、飛鳥から持参した薬草(という名のその辺の葉っぱ)を浮かべただけの怪しい液体だった。
「こんな泥水が飲めるか……っ!」
「これを飲めば、たちどころに胸のムカつきが治まります。倭国の神々が加護を与えた特別な水なのです。さあ、一気に!」
「う、うぐぐ……不味い! 土の味がする!」
「それが効いている証拠でございます!」
プラシーボ効果もあったのか、それとも単に水分を摂ったことで落ち着いたのか、裴世清の顔色が少しだけマシになった。
「ふう……まったく。こんな未開の地への航海など、私の経歴の汚点だ……」
「滅相もございません。裴世清様のような優秀な御方が、我が国のような辺境の事情まで視察される。これぞまさに、大帝国の度量の深さを示す壮挙ではありませんか。歴史書にも『裴世清、東夷を教化す』とデカデカと載ること間違いなしです!」
「む……? 歴史書に、私の名が……?」
「ええ! 後世の学者たちは、こぞって裴世清様の偉業を讃えるでしょう! 『あの荒波を越え、野蛮な猿どもに文明の光をもたらした偉大なる官僚』として!」
妹子の怒涛のヨイショに、裴世清の吊り上がった目が、少しだけデレた。
「ほ、ほう……まあ、そういう見方もあるか。私も皇帝陛下の名代として、辛酸を舐める覚悟はできている。少し揺れが激しいのも、試練と思えば……オェェェッ!」
「ああっ! 裴世清様! 歴史に名を刻む前に胃液が尽きてしまいます! お水! お水を!」
***
航海も中盤に差し掛かった頃、食事の問題が勃発した。
嵐は過ぎ去ったものの、船の揺れは相変わらずである。
「なんだ、この豚の餌みたいな飯は!!」
裴世清が、配られた食事の入った椀を床に叩きつけた。
中に入っていたのは、カチカチに乾燥した糒(干し飯)を水で戻し、申し訳程度の塩で味付けしたものだった。当時の航海における標準的な保存食である。
「大隋の官僚である私に、こんな砂利のようなものを食わせる気か! 新鮮な肉はないのか! 温かい羹を出せ!」
「も、申し訳ございません! ですが、船上では火を使うことが厳しく制限されておりまして……!」
「知らん! こんなものを食べるくらいなら餓死してやる! お前たち倭人は、普段からこんな土塊を食っているから野蛮なのだ!」
喚き散らす裴世清。
周囲の留学生たちも、「また始まったよ」とウンザリした顔をしている。
妹子は、冷や汗を流しながら必死に脳細胞をフル回転させた。
ここで「これしかないんです」と事実を伝えれば、彼の機嫌は急降下し、倭国に対する評価は「飯もまともに出せないド貧困国」に固定されてしまう。
どうする。何か、何か言い訳は……!
「裴世清様! 誤解でございます!」
妹子は、床に散らばった糒を拾い集めながら、大袈裟なジェスチャーで天を仰いだ。
「これは、ただの保存食ではございません! 我が国で古来より伝わる、神聖なる『修行食』なのです!」
「修行食……?」
「はい! 我が国では、本当に精神の位が高い者だけが、あえて粗食を摂ることで己の魂を研ぎ澄ますという文化がございます! これを『侘び寂び』と申しまして!」
数百年時代を先取りした謎の概念を、妹子は堂々と捏造した。
「つまり、この質素な食事は、我々が裴世清様を『最も精神性の高い、神にも等しい御方』として扱っているという最大の敬意の表れなのです! 大隋の皇帝陛下に次ぐ、いや、それにも匹敵する高潔な魂をお持ちの裴世清様であれば、この『侘び寂び』の境地をご理解いただけると思い……あえて、このような御食事をご用意いたしました!」
「なっ……私を、そこまで高く評価していると……?」
裴世清は、言葉を失った。
中華思想において、精神の修養や高潔さは非常に尊ばれる。
「粗食に文句を言う=精神の低い俗物」という巧妙なロジックを突きつけられ、エリートのプライドが刺激されたのだ。
「なるほど……お前たち辺境の民にしては、なかなか深い精神性を持っているようだな。よ、よかろう。そこまで言うならば、この裴世清、その『わびさび』とやらを体験してやろうではないか」
裴世清は、拾い集めた糒を口に放り込み、ボリボリと硬い音を立てて咀嚼し始めた。
「うむ。味はともかく……魂が洗われるようだ」
「さすがは裴世清様! その高潔な御心、感服いたしました!」
(チョロい……ッ!)
妹子は心の中でガッツポーズを決めつつ、顔には満面の笑みを貼り付けていた。
***
そんなこんなで、ご機嫌取りと接待の限りを尽くし、なんとか裴世清を宥めすかしながら航海は続いた。
裴世清も、徐々に船酔いに慣れてきたのか、甲板に出て妹子に語りかける余裕が出てきた。
「おい、妹子よ」
「ははっ、なんなりと」
「お前の国、倭国というのは、一体どのような所なのだ。どうせ土に穴を掘って住み、獣の皮を被ってウホウホと踊っているのだろう?」
「と、とんでもございません!」
妹子は、ここぞとばかりに見栄を張った。
「我が国の都、飛鳥は、それはそれは壮麗な大都会でございます! 天皇の宮殿は雲を突くほど高く、人々は皆、色鮮やかな絹の衣を纏い、街のあちこちでは高度な仏教の教えが説かれております! 道は平らに整備され、市場には各地の特産品が溢れ返る、まさに東の楽園とも呼べる場所なのです!」
「ほう……? この未開の海を越えた先に、それほどの都市が……。ふむ、少しは楽しみになってきたぞ。私がこの目で、その『大都会・飛鳥』とやらをしっかり査定してやろう」
裴世清は、満足そうに頷いた。
「我が大隋の長安には及ばぬだろうが、お前がそこまで豪語するのだ。期待させてもらうぞ」
「はい! どうぞご期待くださいませ!」
威勢よく答えた妹子だったが。
その直後、彼の脳裏に、残酷な現実がフラッシュバックした。
(待てよ……)
妹子が今しがた語った「大都会・飛鳥」。
それは、完全な大嘘、過大広告、1000%の盛りに盛ったファンタジーである。
実際の飛鳥は、確かに少しずつ整備は進んでいるものの、長安を見た後の裴世清からすれば、せいぜい「ちょっと家が多い田舎の村」レベルである。
雲を突くような宮殿などないし、道は土のままで雨が降れば泥だらけ。人々は絹どころか麻の粗末な服を着ている者も多い。
(ヤバい……)
妹子の顔面から、スゥーッと血の気が引いていった。
(このまま日本に着いて、あのボロい都を見られたら……『騙したな! やはりただの野蛮国ではないか!』って激怒されるに決まってる……!!)
船は、確実に日本へと近づいていた。
海神の試練を乗り越え、暴君の処刑を回避し、クレーマー官僚の接待をこなしてきた小野妹子。
しかし、帰国というゴールテープの直前に、「見栄を張りすぎたせいで自国がショボいのがバレる」という、最悪の爆弾を抱え込んでしまったのである。
「あ、大使! 見てください! 九州の島影が見えてきましたよ! ようやく日本に帰れますね!」
「おお、あれが倭国か。どれ、私がいち早くその文化レベルを見定めてやろう」
目を輝かせる留学生たちと、腕を組んで値踏みするように海を見つめる裴世清。
その背後で、小野妹子はただ一人。
日本が近づくことに恐怖し、その場にうずくまって猛烈に胃腸薬を咀嚼し始めるのだった。
「……誰か、飛鳥にデカい宮殿を建てといてくれぇぇぇ……っ」
中間管理職の悲鳴は、潮騒の音にかき消されて消えていった。




