第22話 黄金粉飾
天平勝宝元年(七四九年)。
若草山の麓に広がる巨大な建設現場に、地鳴りのような歓声が響き渡っていた。
「終わった……。ついに、ついに形になったぞォォォッ!!」
現場の総監督である国中公麻呂は、煤と泥にまみれた顔をくしゃくしゃにして、漢泣きに泣いていた。
彼の見上げる先には、高さ十六丈(約十五メートル)、使用した銅の総量およそ五百トンという、人類史上最大級の金属構造物がそびえ立っていた。
下から少しずつ型を作り、溶けた銅を流し込むという「八段継ぎ」の超絶綱渡り工法。
型が崩壊しそうになり、溶銅が溢れ出し、素人のボランティアが次々と熱中症で倒れるという、文字通りの『灼熱のデスマーチ』を数年にわたって耐え抜いた末の、奇跡の完成であった。
「見たか右大臣様! 俺たちはやったんだ! 不可能と言われた巨大銅像を、見事に一つの仏のお姿に組み上げたんだ!」
公麻呂は、隣に立つ橘諸兄の肩をバンバンと叩いた。
諸兄の顔色は、完成の喜びに沸く現場の空気とは裏腹に、土気色を通り越して「死人のそれ」になっていた。
「……うむ。見事だ、公麻呂殿。お前は天才だ。……だがな」
諸兄は、虚ろな瞳で、天を突く巨大な仏像を見上げた。
確かに、形は完璧である。行基が集めた数百万の民衆の汗と涙の結晶だ。
しかし、その色は。
「これ……どう見ても、ただの銅の塊ではないか?」
そう。
銅で鋳造されたばかりの大仏は、酸化して黒ずみ、赤茶けた鈍い光を放っているだけだった。
圧倒的な質量と威圧感はあるものの、およそ「神々しい」とか「ありがたい」といったオーラからは程遠い。
「バカ言っちゃいけねえ。今はただの銅の塊だが、こいつの表面に水銀と『黄金』を混ぜたもんを塗って焼き付けりゃ、ピッカピカの黄金の仏様になるんだよ! 仏の体は金色の光を放つって、経典にも書いてあるだろうが!」
公麻呂が誇らしげに胸を張った、まさにその時である。
「おお! 素晴らしい! ついに仏の御姿が現れたか!」
取り巻きの役人たちを引き連れて、このプロジェクトの絶対的ワンマン社長――聖武天皇が、現場の視察にやってきたのである。
帝は、巨大な大仏を見上げて目を輝かせた。
「なんと巨大で、なんと力強い! 諸兄よ、公麻呂よ、大儀であった!」
「ははァッ! 帝の御威光があればこそ、我ら下々の者も命懸けで……」
諸兄が涙ぐんで平伏しようとした瞬間。
帝は、ふと首を傾げて、純真無垢な問いを口にした。
「……して、諸兄。この仏、随分と土気色をしておるな。経典によれば、盧舎那仏は太陽のごとき黄金の光を放つとあるが。いつになれば、あの光り輝く黄金の御姿になるのだ?」
ビクゥゥゥッ!!
諸兄と公麻呂の肩が、同時に天高く跳ね上がった。
「あ、ははは……帝。それはもちろん、これより表面に黄金を塗る『塗金』の作業に入りますゆえ、今しばらくの……」
「そうか! それは楽しみだ! 実はな、この仏に魂を入れる『開眼供養』の儀式に、唐や天竺の高僧たちも招待してしまったのだ! 国際的な大舞台ゆえ、貧相な土気色では我が国の恥となろう。頼んだぞ、諸兄!」
タタタッ! と。
いつものように、無邪気なプレッシャーだけを置いて、帝は上機嫌で宮殿へと帰っていった。
残された諸兄と公麻呂は。
巨大な大仏の足元で、石像と化していた。
「……おい、諸兄様よ」
「なんだ、公麻呂殿」
「……黄金、用意してあるんだろうな? 俺は造るのが専門だ。資材の調達は、あんたの仕事だぜ?」
公麻呂の低い声に、諸兄は、ゆっくりと、ギギギ……と錆びついた機械のように首を横に振った。
「ない」
「……は?」
「金など、この国のどこを探してもないッ!!」
諸兄の悲痛な絶叫が、若草山にこだました。
「あのな公麻呂殿! そもそも我が国からは、歴史上ただの一度も黄金など産出されたことがないのだ! これまで朝廷が使っていた少量の金は、すべて海を越えて唐や新羅から買い付けていた輸入品なのだぞ!」
「なっ……じゃあ、買えばいいじゃねえか!」
「予算がゼロだと言っているだろうがァァァッ!!」
諸兄は、空の竹筒を地面に叩きつけて号泣した。
「無限遷都と、この数年の大仏の銅の買い占めで、朝廷の蔵にはネズミ一匹残っておらん! 海外から大量の黄金を買い付ける財力など、どこにもないわ!」
「じゃ、じゃあどうすんだよ!? 帝は『ピッカピカの黄金にしてね☆』って言ってたぞ!? あのまま完成だと言えば、俺たちは確実に『不敬罪』で首が飛ぶぞォォォ!」
技術力で奇跡を起こした公麻呂と、予算のやり繰りで地獄を見た諸兄。
二人の悲しき中間管理職は、すべての工程を乗り越えた最後の最後、「金がない」というもっとも現実的で残酷な壁の前に、詰んでしまったのである。
***
その夜。
右大臣の執務室は、線香の煙と、死に装束である真っ白な着物を着た二人の男の姿があった。
「……公麻呂殿。そなたには、多大な苦労をかけたな」
「よしてください諸兄様。どうせ一緒に死ぬんです。あの世で、小さな木彫りの仏でも二人でのんびり彫りましょうや」
彼らの目の前には、白木の三方に乗せられた短刀が置かれていた。
大仏を黄金に塗れない。それはすなわちプロジェクトの失敗であり、国家への背信行為である。もはや、潔く腹を切って責任をとるしか道はなかった。
「では……私が先に行こう。介錯を頼む」
「えっ、俺が先じゃないんですか?」
「いやいや、お前は現場の英雄だ。責任者の私が……」
二人が不毛な譲り合いをしている、その時である。
「右大臣様ァァァッ!!」
バンッ! と襖が蹴破られ、一人の伝令が転がり込んできた。
またしても、である。この平城京では、伝令が来る時は常に最悪の報せと決まっている。
「ど、どうした! 今度はどこで反乱だ! それとも大仏が自重で倒壊でもしたか! もう驚かんぞ、私は今から死ぬのだからな!」
「違います! 陸奥国(現在の東北地方)より、国守の百済王敬福様からの急報にございます!」
伝令は、息も絶え絶えになりながら、信じられない言葉を叫んだ。
「黄金です! 陸奥の山から、黄金が湧き出たと! その数、なんと九百両(約十三キロ)! 敬福様が、すべて大仏塗金のためにと、朝廷に献上なされましたァァァッ!」
…………。
ポトン、と。
諸兄の手から、短刀が滑り落ちた。
「黄金が……? 陸奥から……?」
諸兄と公麻呂は、顔を見合わせた。
日本初の、黄金の産出。
それも、大仏の塗金のために「喉から手が出るほど黄金が欲しい」という、まさにこの絶体絶命のタイミングで。
しかも、献上された九百両という量は、大仏を塗るために必要な量と、見事なまでにピッタリ一致しているではないか。
「……奇跡だ。仏様が、俺たちを助けてくださったんだァァァッ!!」
公麻呂が、ボロボロと涙を流して歓喜の雄叫びを上げた。
現場の人間からすれば、これは紛れもなく神仏の加護である。これで腹を切らなくて済むのだ。
しかし、朝廷の最高財務責任者であり、数字の裏を読むことに長けた文官のトップ・橘諸兄の脳裏には、まったく別の感情が渦巻いていた。
(……おかしい)
諸兄は、冷静な目で伝令の持ってきた木簡を睨みつけた。
(我が国では、神代の昔よりただの一度も黄金など出たことがない。それが、私が腹を切ろうとしたこの『ドンピシャのタイミング』で、しかも『必要な量がぴったり』湧き出るなど、あり得るはずがない……!)
諸兄の官僚としての鋭い嗅覚が、激しいアラートを鳴らしていた。
陸奥守の百済王敬福。彼は、新羅や唐などの大陸と太いパイプを持つ渡来人系の貴族である。
もしかして。
(ヤツめ……大陸から密輸した黄金、あるいは一族で代々隠し持っていた裏金を、『陸奥の山で採れました!』と偽って朝廷に恩を売る気だな!?)
いわゆる、「帳簿操作」である。
あるいは、陸奥の先住民たちが細々と集めていた砂金を、軍事力で強引に巻き上げてきたのかもしれない。
どちらにせよ、自然に山から湧いたなどという美しい話であるはずがない。これは裏でドス黒い金が動いている、汚職案件の匂いがする。
「……待て。この黄金、ただちに産地を検分し、出所を厳密に調査せねば……!」
真面目な官僚である諸兄が、正義感からそう口走ろうとした瞬間。
ガシィッ!!
隣にいた公麻呂が、凄まじい握力で諸兄の胸ぐらを掴んだ。
公麻呂の目は、血走り、狂気の光を放っていた。
「な、なにをする公麻呂殿!」
「……右大臣様」
公麻呂は、鬼のような低い声で囁いた。
「いいですか。あれは『陸奥の山から湧き出た、神仏の恵みの黄金』です。それ以外の何物でもありません」
「し、しかし! 出所が怪しすぎる! 万が一、裏金であれば、朝廷の威信に関わる問題に……!」
「威信で大仏が金色に塗れますかァァァッ!?」
公麻呂は、諸兄の顔面に鼻先が触れるほどの距離で吠えた。
「金なんだろ!? 溶かして塗っちまえば、出所が山だろうが密輸だろうが裏金だろうが、同じピッカピカの仏様になるんだよ! お前、今ここであの金を突っぱねて、もう一回切腹の仕切り直しをする気かァァ!?」
「ひぃぃぃッ!」
「見ざる、言わざる、聞かざる! いいですね! あの金は、1000%、国産のオーガニックな天然黄金です!!」
現場の総監督からの、絶対的なコンプライアンス違反の強要であった。
しかし、公麻呂の言う通りである。
ここで「出所が怪しい」などと正義感を振りかざせば、大仏は永遠に銅塊のままであり、二人は確実に首を跳ねられる。
ブラック企業において、「奇跡のタイミングで降り注いだ救いの手」の出所を疑うことは、最もやってはいけないタブーなのだ。
「……わ、わかった! わかったから離せ!」
諸兄は、公麻呂の手を振り払い、コホンと大袈裟な咳払いをした。
「……伝令よ。よくぞ知らせてくれた」
諸兄は、引きつった営業スマイルを顔に貼り付け、天を仰いだ。
「ああっ! なんという奇跡! 帝の深い御心に、ついに大和の地の神仏が応えてくださったのだ! 百済王敬福殿の忠義、しかと帝にお伝えしよう! 陸奥の黄金は、すべて大仏の塗金に使わせてもらうぞ!」
「ははァッ!!」
こうして。
出所不明の九百両という大量の黄金は、「日本初の産金」という美しすぎる公式記録のもと、朝廷に歓喜の渦を巻き起こした。
聖武天皇は「やったー! 私の徳のおかげだ!」と大喜びし、元号を天平から「天平感宝(神様ありがとうの意味)」に変更するという、浮かれっぷりを見せつけた。
「……終わった。俺の官僚としての清廉潔白なプライドは、地に落ちた」
薄暗い執務室で、諸兄は自らの顔を両手で覆った。
しかし、隣では公麻呂が「ヒャッハー! これで大仏を金ピカにしてやるぜェェ!」と、新たな図面を広げて狂喜乱舞している。
「……まあ、いい。首が繋がったのだ。これも、仏の慈悲というやつだろう」
しかし、諸兄も公麻呂も、この時はまだ知らなかった。
黄金を手に入れたとはいえ、「水銀に溶かした金を大仏に塗りたくり、下から火で炙って水銀だけを蒸発させる」という、猛毒のガスが充満する『塗金作業』が、これまでの鋳造を遥かに凌ぐ、真の地獄となることを。
大仏造立プロジェクト。
それは、完成のその瞬間まで、中間管理職たちの寿命と胃粘膜を容赦なく削り取り続ける、底なしのブラック・オペレーションであった。




