第21話 灼熱鋳造
平城京の東、若草山の麓に広がる広大な建設予定地。
のちに東大寺と呼ばれることになるその場所で、一人の男が図面を握りしめたまま、白目を剥いて硬直していた。
彼の名は、国中連公麻呂。
当時の日本において、仏像造りの最高権威であり、最新の鋳造技術を統括する「最高技術責任者」である。
公麻呂は、足元からジワジワと這い上がってくる絶望感に、膝をガクガクと震わせた。
「あのな、右大臣様……」
公麻呂は、血走った目で、橘諸兄を睨みつけた。
「仏像を銅で造るというのは、粘土で原型を作り、その外側に型を被せ、中の原型をかき出した隙間に『ドロドロに溶けた銅』を流し込むという技術だ。わかるな?」
「う、うむ。私も文官とはいえ、その程度の知識はあるつもりだ」
「ならばわかるだろうがァァァッ!!」
公麻呂は、図面を地面に叩きつけ、諸兄の胸ぐらを掴んだ。
「十六丈だぞ!? 五重塔に匹敵する高さだ! そんな巨大な型を一度に作って、上から数トンもの溶けた銅を一気に流し込むなど不可能だ! 途中で銅が冷えて固まるか、型の底が圧力に耐えきれずに破裂するわァァ!」
「落ち着け公麻呂殿! 気持ちはわかるが、帝の絶対の御命令なのだ! やらねば我々の首が飛ぶ!」
「やっても首が飛ぶわ! 溶けた銅を百万人の素人に運ばせる気か! 全員火だるまになって現場が地獄と化すぞ!」
公麻呂の絶叫は、極めて真っ当な技術的見地からの反論であった。
当時の最新技術を駆使しても、数メートル規模の銅像が限界である。それをいきなり十五メートルにしろというのは、現代の業界で言えば「犬小屋しか作ったことのない見習い大工に、東京タワーを作れ」と言うようなものである。
「そこをなんとかするのが、当代随一の仏師たるそなたの腕の見せ所ではないか……! 頼む、公麻呂殿! 行基殿のおかげで、銅と人は集まったのだ!」
諸兄は、涙目で公麻呂の足元にすがりついた。
「見ろ、あの有り余るほどの労働力を! あとは、そなたが指揮を執るだけなのだ!」
「その『労働力』が一番の厄介事なんだよォォォ!」
公麻呂が指差した先には、想像を絶する光景が広がっていた。
数万、いや数十万人という民衆が、行基の演説によって「熱狂的ボランティア」と化し、建設現場を埋め尽くしていたのである。
「うおおおっ! 仏様のためだァァッ!」
「おらぁ、土を運ぶだ! 家族の供養のために、百往復でも千往復でも運ぶだァァ!」
「邪魔だ邪魔だ! 仏様への銅の寄付は俺が一番乗りだァ!」
彼らのモチベーションは天井知らずであった。
しかし、それは「技術ゼロ・安全管理意識ゼロ」のド素人の暴走でもある。
素足で危険な建設現場を走り回り、勝手に土を積み上げ、勝手に穴を掘る。
現場監督の指示など誰も聞いていない。「祈り」と「熱狂」という名のトランス状態に陥った、統率不可能な暴徒の群れである。
「見ろ! あそこの連中、土台の設計図を無視して勝手に土を盛ってやがる! 『高く盛ったほうが仏様が喜ぶ』じゃねえよ! 重心がおかしくなって崩れるわ!」
公麻呂は、髪を振り乱しながら絶叫した。
「あっちの奴らは、銅を溶かすための炉を勝手な場所に作りやがった! 風向きを考えろ! 溶けた銅の有毒ガスがこっちに流れてくるだろうがァァ!」
コントロールを失った現場で公麻呂は、職人としてのプライドと、常軌を逸した現場の惨状の板挟みになり、発狂寸前であった。
「……公麻呂殿。ならば、どうやってこの巨大な仏を造るというのだ」
諸兄が、青ざめた顔で問う。
公麻呂は、ギリィッと奥歯を噛み締め、血走った目で未完成の大仏の土台を見つめた。
「……『段』だ」
「段?」
「一度に流し込むのが不可能なら……下から少しずつ型を作り、何段にも分けて銅を継ぎ足していくしかない。下半身を造り、それが固まったら土を盛って足場にし、次は腹、次は胸と……まるで地層を積み重ねるようにな」
それは、世界にも類を見ない、極めて綱渡りの超絶工法であった。
しかし、それ以外に十五メートルの銅像を鋳造する方法はない。
「ただし! そのためには、寸分の狂いもない温度管理と、各段の接合部の調整が必要だ! 素人どもを統率し、俺の指示通りに一糸乱れぬ動きをさせろ! わずか一秒でも銅を流すのが遅れれば、すべてがパーになるぞ!」
「わ、わかった! 行基殿に頼んで、民衆を落ち着かせるように説法を……!」
「そんな悠長な時間はない! 炉に火を入れろォォォッ!!」
こうして、天平十九年(七四七年)。
日本の歴史上、もっとも過酷で、もっとも狂気に満ちた「灼熱のデスマーチ」が幕を開けたのである。
***
「もっと火を吹かせェッ! 炉の温度を落とすな! 鞴(送風機)を踏む手を休めるなァァ!」
大仏造立の現場は、文字通り「地獄の底」のような有様であった。
周囲に巨大な土の足場が築かれ、その至る所に、銅を溶かすための巨大な「溶解炉」が設置されている。
燃え盛る木炭の炎。千度を超える熱気が、現場の空気を蜃気楼のように歪ませている。
「熱いィィ! 肌が焦げるゥ!」
「仏様のためだ! 踏ん張れェェ!」
行基の信者たちは、上半身裸になり、全身から滝のような汗を流しながら、鞴を必死に踏み続けていた。
しかし、素人の悲しさ。熱と疲労でバタバタと倒れる者が続出する。
「おい! そこの炉、火力が落ちてるぞ! 銅が完全に液状になってねえだろうが!」
公麻呂が、鬼のような形相で怒鳴り込む。
「す、すんません! 仲間が熱中症で……!」
「気合いで治せ! 代わりの奴を連れてこい! 今ここで温度が下がったら、流し込んだ銅が途中で固まっちまうんだよォォ!」
鋳造における最大の敵。それは「湯回り不良」である。
溶けた銅が、型の隅々まで行き渡る前に冷えて固まってしまえば、大仏の身体に欠損ができてしまう。
そうなれば、やり直すために固まった銅を破壊するという、想像を絶する後戻り作業が発生するのだ。
「公麻呂様ァァッ! 第一炉から第五炉まで、銅が完全に溶けました!」
「よし! 合図を出せ! 一斉に流し込むぞ! 諸兄様、号令を!」
足場の上に立つ公麻呂の横で、顔を煤で真っ黒にした橘諸兄が、大きく息を吸い込んだ。
「全炉! 注湯開始ッ!!」
諸兄の号令とともに、巨大な坩堝が傾けられる。ドロドロに溶けた、太陽のように眩く輝く千度の灼熱の液体が、轟音とともに粘土の型の中へと流れ込んでいく。
ゴォォォォォォッ!!
凄まじい熱波と、土の焼ける匂い、そして水蒸気爆発による白煙が現場を包み込む。
まるで火山の噴火口を真上から覗き込んでいるかのようだ。
「いいぞ! その調子だ! 止めるな、絶え間なく流し続けろ!」
公麻呂は、煙に巻かれながらも、型の状態を必死に確認していた。下半身の鋳造。ここまでは順調だ。素人の群れも、行基の教えによる狂信的なパワーで、なんとか重い坩堝を支え続けている。
しかし。
現場の魔物は、常に最悪のタイミングで牙を剥く。
「ああっ!? 仏様ァァァッ!」
突如、足場の端で坩堝を支えていた一人の農民が、謎の感極まった奇声を上げた。
「俺の肉と骨と、この命! 仏様の一部にしてくだせェェェッ!」
「お、おい! 何をやってる、バカやめろッ!」
農民は、熱狂のあまりトランス状態に陥り、あろうことか、溶けた銅の海にダイブしようとしたのである。
仏様への供物のつもりだろうが、鋳造の現場においてはテロ行為である。
バランスを崩した農民のせいで、坩堝が大きくグラリと傾いた。
「あぶねェッ!!」
バシャァァァァッ!!
傾いた坩堝から、千度の溶けた銅が、型の中ではなく、足場の『外側』へと滝のように溢れ出した。
それが、乾燥した土の足場を焼き、木製の支柱に直撃する。
「ギャァァァァァッ!?」
「火だ! 支柱が燃えてるぞォォ!」
「逃げろォォ! 銅が降ってくるゥゥゥ!」
まさに阿鼻叫喚。地獄絵図である。
燃え上がる炎、逃げ惑う十万人、降り注ぐ灼熱の銅。現代の建設現場であれば、一瞬でニュースのトップを飾り、即座に工事停止・株価暴落の大惨事である。
「水だ! 水をかけろ! 火を消さねえと型が崩壊するぞォォォ!」
公麻呂が、顔を真っ赤にして絶叫する。
しかし、パニックに陥った素人の群れは、もはや統制がきかない。あちこちで将棋倒しが起き、足場がミシミシと悲鳴を上げ始める。
「終わった……」
橘諸兄は、溢れ出す溶銅の川を前に、膝から崩れ落ちた。
もはやこれまでだ。これほどの大事故、復旧は不可能。
大仏造立プロジェクトは、開始数ヶ月にして、物理的な炎上によって終焉を迎えたのだ。
「右大臣様……」
呆然とする諸兄の隣に、いつの間にか公麻呂が立っていた。
彼の髪は熱気でチリチリに焦げ、服のあちこちに火の粉で穴が開いている。その表情は、極度のストレスにより、一周回って仏のように穏やかになっていた。
「……公麻呂殿。すまぬ。私の采配が至らぬばかりに……」
「右大臣様」
「なんだ……?」
公麻呂は、虚無の瞳で、ドロドロに溶けた銅の海を見つめたまま、ポツリと言った。
「これ……労災、下りるんですかね……?」
「…………」
デスマーチの果てに行き着く、サラリーマンの悲しき性。
諸兄は、無言で、持っていた空の竹筒を公麻呂の手に握らせた。
「……薬は、入っていないが。気休めにはなる」
「ははっ……。こりゃあ、胃に穴が開くどころか、全身が千度で焼け焦げちまいますよ……」
二人の悲しき中間管理職は、燃え盛る足場の上で、肩を並べて遠い目をした。
彼らの背後では、行基が「慌てるな! 火もまた仏の試練である!」と謎の説法で無理やり群衆を落ち着かせようと檄を飛ばしている。
この日。
第一段の鋳造は、奇跡的に型の崩壊を免れ、なんとかギリギリのところで銅が固まった。
しかし、これは全八段にも及ぶ大仏鋳造の、ほんの最初の『一段目』に過ぎない。
これから数年間にわたり、彼らはこの灼熱の地獄と、熱狂する素人たちの暴走を相手に、さらに上へ上へと巨大な銅の地層を積み重ねていかなければならないのだ。
「……おい、諸兄様」
「なんだ、公麻呂殿」
「俺、このプロジェクトが終わったら、田舎に帰って木彫りの小さな仏像でも彫って暮らしますわ……」
「私もだ。……私も、小さな畑を耕して、もう二度と帝の思いつきには関わらん……」
燃え上がる東大寺の建設現場。
奈良の夜空を赤く染める炎を背景に、二人の男の悲哀に満ちた呟きが、千度の熱風とともに溶けていくのであった。
大仏造立のデスマーチは、まだその序章を終えたばかりである。




