↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中間管理職はつらいよ〜飛鳥から昭和まで、日本史全部やります〜  作者: てっぺい
世直しはつらいよ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/32

第17話 乙巳の変

 飛鳥の中枢、大極殿《だいごくでん》。

 国家の命運を決する神聖なる儀式の場は、今や混沌のるつぼと化していた。


 極度の緊張で脳がバグり、四つん這いで「ウホッ! ウキィッ!」と謎の猿の真似を続ける中堅官僚・石川麻呂《いしかわまろ》。


 恐怖のあまり小太刀を放り出し、柱の裏で泣き叫ぶ外注の刺客二人。


 そして、そのすべてを冷酷な瞳で見下ろす、絶対権力者・蘇我入鹿《そがのいるか》。


 完璧だったはずの『蘇我入鹿・暗殺プロジェクト』は、誰の目から見ても破綻していた。


 しかし、このプロジェクトの最高責任者である中大兄皇子《なかのおおえのおうじ》には、「計画の破綻」という概念が存在しなかった。


 なぜなら彼は、過程や根回しなどどうでもよく、ただ「入鹿の死」さえ手に入れば手段を選ばない、生粋のサイコパスだったからである。


「誰もやらないなら、仕方ない」


 爽やかな笑顔に、純度百パーセントの殺意を乗せて。


 中大兄皇子は、御簾《みす》を蹴破り、抜き放った太刀を上段に構え、大極殿の空中を舞った。


「死ねッ! 入鹿ァァァッ!」


 それは、皇族としての雅《みやび》さなど微塵もない、ただの野生の獣のような跳躍であった。


 柱の陰で絶望していた中臣鎌足《なかとみのかまたり》は、その光景をスローモーションのように見つめていた。


(バ、バカな……! 組織のトップが、自ら最前線に突撃するなど、危機管理の観点からあり得ない! もし返り討ちに遭えば、我々は全員ただのテロリストとして歴史に名を……!)


 鎌足の魂のツッコミを置き去りにして、皇子の白刃が、入鹿の首元めがけて一直線に振り下ろされた。


 決まった。誰もがそう思った。


 しかし。


 ガァァァァァンッ!!!


 大極殿に響き渡ったのは、肉を斬る音ではなく、金属同士が激突する、凄まじい轟音であった。


「……なっ!?」

 空中で、皇子の爽やかな笑顔が初めて驚愕に歪んだ。


「愚かな」


 入鹿は、一歩も動いていなかった。

 彼は皇子の太刀を避けることすらせず、自らの左肩から胸にかけての装束で、その一撃を直接受け止めていたのである。


 斬り裂かれた高級な絹の衣の下から覗いたのは、鈍い光を放つ、唐製の頑強な『鎖帷子《くさりかたびら》』であった。


「この俺が、いかに宮中の儀式とはいえ、無防備な状態でノコノコと歩き回ると思ったか? 世間知らずの小童《こわっぱ》め」


 入鹿の手が、皇子の胸ぐらをガシッと掴んだ。


「ぐはッ……!」


「貴様らのような羽虫が飛び回っていることなど、とうにお見通しよ。帝《みかど》の御前ゆえ太刀は置いてきたが、俺の肉体とこの鎧《よろい》があれば、貴様らなど素手で捻り殺せるわ!」


 入鹿は、掴んだ皇子の身体を、まるでボロ雑巾のように大極殿の床へと叩きつけた。


 ドゴォォォンッ! という地響きとともに、皇子が床を転がる。


 防御力がカンストしている重戦車。それが蘇我入鹿という男の真骨頂であった。


「ひぃぃぃッ! ほ、ほら見たことか! やっぱり勝てねえんすよォ!」


 柱の裏で、刺客の佐伯子麻呂《さえきのこまろ》が失禁寸前になっていた。


(終わった……! 奇襲が失敗した上に、ダメージゼロ! 皇子様が殺される!)


 鎌足は、自らの首に冷たい刃が当てられたような錯覚を覚え、絶望に目を閉じた。


 しかし、床に叩きつけられた中大兄皇子は、ゴホッ、と血混じりの咳を一つ吐くと、フラフラと立ち上がった。


 そして。


「……あーあ。刃がこぼれちゃったじゃないか」


 皇子は、刃こぼれした自分の太刀を、忌々《いまいま》しげに見つめた。


 次の瞬間、彼はその最高級の太刀を、躊躇《ちゅうちょ》なくポイッと床に放り捨てたのである。


「皇子様!?」

 鎌足が思わず叫ぶ。武器を捨てるなど、降伏宣言に等しい。


「鎧ね。なるほどね。……ズルじゃん、それ」


 皇子は、口元の血を手の甲で拭いながら、ニィッと笑った。


 その笑顔は、もはや「爽やかな青年」のそれではなかった。路地裏で喧嘩を始める、たちの悪いチンピラの顔である。


「斬れないなら、やり方を変えようか」


 言うが早いか、皇子は丸腰のまま、地を這うような低い姿勢で入鹿の懐へと飛び込んだ。


 そして、鎖帷子の覆われていない入鹿の『顔面』めがけて、容赦のない頭突きをぶちかましたのである。


 ゴギャッ!!


「ぐおっ!?」

 さしもの入鹿も、顔面の中心への鈍的打撃には耐えられず、鼻血を噴き出して大きくよろめいた。


 そこへ皇子が、チンピラ丸出しの蹴り、膝蹴り、そしてマウントポジションからのタコ殴りという、皇族としての威厳ゼロのラッシュを浴びせ始めた。


「死ねッ! 死ねッ! 邪魔なんだよお前ェ!」


「この……狂人めッ! 離れろッ!」


 大極殿の中心で、国家の最高実力者と次期天皇候補が、泥まみれの取っ組み合いの喧嘩を繰り広げている。


 髪を掴み合い、顔面を殴り合い、床を転げ回る二人。


 御簾の向こうで震えていた帝(皇極天皇)は、あまりの光景に耐えきれず、「わ、私は奥へ下がります!」と叫んで逃げ出してしまった。


(な、なんだこの歴史的クーデターは……! クソダサすぎる……ッ!)


 柱の裏の鎌足は、プロジェクトのあまりの泥沼化に頭を抱えた。


 しかし、見栄えなど気にしている場合ではない。


 皇子の狂気のラッシュに押されているとはいえ、基礎体力と防具の差で、徐々に入鹿が力で押し返し始めていた。皇子の首に入鹿の太い腕が絡みつき、ギリギリと締め上げられている。


 このままでは、トップが絞め殺される!


「お前ら! 行けェェェェェッ!!」


 鎌足は、懐から「砂金が入った袋」を取り出し、柱の裏で震えている二人の刺客の鼻先に突きつけた。


「い、ひぃっ! な、中臣の旦那!?」


「これは、成功報酬の前払い分だ! だが、今ここで皇子様を見殺しにすれば、この金はおろか、お前らの命も一族も、明日にはこの世から消し飛ぶぞ!!」


 鎌足は、夜叉《やしゃ》のような形相で二人を怒鳴りつけた。


「剣が効かないなら、素手でいけ! プロジェクトが炎上しているんだ! お前らも火の粉を被って泥をすすれ! 金が欲しければ、今すぐあのタヌキオヤジを押さえ込めェェェッ!!」


 究極のブラック労働の強要である。

 しかし、目の前に突きつけられた黄金の輝きと、「やらなければ確実に殺される」という極限の恐怖が、ついに二人の刺客の脳内麻薬を爆発させた。


「うおおおおおッ! ボーナスゥゥゥゥッ!!」


 佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田が、ついに柱の裏から飛び出した。


 彼らは手に持っていた小太刀を投げ捨てると、皇子を絞め殺そうとしている入鹿の背後から、ラグビーのタックルのように突っ込んだ。


「なっ!? 貴様ら、どこから……ッ!」


「金のためだァァァッ! 死んでくれ入鹿様ァァァッ!」


「ローンが残ってんだよォォォッ!」


 子麻呂が入鹿の右腕にぶら下がり、網田が左足に食らいつく。


 三対一のドッグファイト。もはや大極殿は、神聖な儀式の場ではなく、世紀末の無法地帯と化していた。


 さらにそこに、予期せぬ伏兵が加わった。

 極度のパニックで四つん這いになり、猿の真似を続けていた石川麻呂である。


 彼は、目の前で繰り広げられる血みどろの乱闘から逃げようとして、床の汗で足を滑らせた。


「ウホォォォッ!?」


 ズルッ! と滑った石川麻呂の巨体が、あろうことか、バランスを崩してよろめいていた入鹿の背中に、ボディアタックのような形で激突した。


「ぐふぅッ!?」

 四人分の体重と、不意の衝撃。


 さしもの重戦車・蘇我入鹿も、これには耐えきれず、前のめりに床へと倒れ込んだ。


「今だッ!」


 皇子が、その一瞬の隙を見逃さなかった。

 彼は、床に落ちていた子麻呂の小太刀を拾い上げると、入鹿の鎧の隙間――首の付け根の無防備な部分めがけて、全体重を乗せて刃を突き立てた。


 ブスゥゥゥッ!!!


「ガ……ァ…………ッ!!」


 入鹿の目が見開き、口から大量の血の泡が噴き出した。


 致命傷である。

 大極殿の空気が、ピタリと止まった。


 雨音だけが響く中、入鹿は、自らの血で赤く染まる床の上に倒れ伏しながら、信じられないものを見る目で中大兄皇子を睨《にら》み上げた。


「……な、なぜだ……。私が……この俺が、何の罪を犯したというのだ……ッ!」


 入鹿の喉から、血の混じった掠《かす》れた声が漏れた。


 死の淵にあってもなお、彼の眼光は絶対権力者としての威厳を失っていなかった。


 逃げ出した帝が座っていた、もぬけの殻の玉座に向かって、入鹿は手を伸ばして叫んだ。


「お答えください、帝よ! この入鹿、大和の国をまとめ上げ、富をもたらした! なのに、なぜこのような狂犬どもに命を奪われねばならぬのか! 私に……何の罪があるというのだァァァッ!!」


 血を吐くような、痛切な叫びであった。

 実際、強引な独裁者ではあったが、当時の国際情勢の中で強大な権力を持ったリーダーが必要であったことも事実である。


 その悲痛な叫びを聞いて。

 中大兄皇子は、顔にべっとりと返り血を浴び、息を荒げながらも……。


 スッと立ち上がり、姿勢を正した。


 そして、誰もいない玉座に向かって、信じられないほど通る、カリスマ性に満ちた声で、こう宣言したのである。


「帝よ! 恐れながら申し上げます!」


 皇子は、ビシッと入鹿を指差した。


「この男、蘇我入鹿は、皇祖の血筋を絶やし、自らが帝に成り代わろうと企てた、国家の『逆賊』にございます! 私は、帝の御為《おんため》、そしてこの国の安寧《あんねい》のために、この奸臣《かんしん》を討ち果たしたのにございます!!」


 …………。

 柱の陰で聞いていた鎌足は、口をポカンと開けた。


(嘘だ……ッ!)


 鎌足は、内心で激しくツッコミを入れた。


(そんな証拠、どこにもない! こいつ、今、作り話を、さも真実かのように堂々と言い放ちやがった! 自分の暴行を正当化するための後付けの言い訳だ!!)


 皇子のそのハッタリは、あまりにも堂々としており、絶対的な自信に満ち溢れていた。


 歴史とは、勝者が作るものである。

 大極殿の中心で、皇族である中大兄皇子が高らかに「こいつは逆賊だ」と宣言した瞬間。それは、動かしがたい『公式見解』となった。


「ば、バカな……。俺が、逆賊……だと……?」


 入鹿は、その完璧なロジックのすり替えに、反論する気力すら奪われた。


 力で国を支配しようとした絶対権力者は、さらに強引で、さらにサイコパスな若きカリスマの『ハッタリ』の前に、完全に敗北したのである。


「……見事だ……。狂犬……め……」


 ガクッ、と。

 蘇我入鹿の巨体が、ついに力なく崩れ落ちた。


 飛鳥の朝廷に君臨した絶対的な独裁者は、泥まみれの乱闘と、理不尽極まりない大義名分の前に、その生涯を閉じたのである。


「ふぅーっ。あっぶねー。鎧着てるとか聞いてないよ、マジで」


 皇子は、緊張の糸が切れたようにへらへらと笑いながら、血まみれの太刀を放り投げた。


 そして、呆然として立ち尽くしている鎌足の方を振り返り、ニカッと爽やかに笑って言った。


「いやー、いい運動になった! やっぱり現場の仕事は汗をかいてナンボだな!」


「お、皇子、様……」


「さて鎌足。私は肉体労働をやったから、あとの事後処理はお前に任せたぞ!」


「……はい?」


「今の『入鹿は逆賊でした』って件、国中の豪族たちに納得させるための公式文書を作っといて! あと、入鹿の親父の蝦夷《えみし》が報復してくる前に、軍隊の動員と法的正当性の確保もよろしく! 明日の朝イチまでにな!」


 タタタッ、と。

 皇子は「風呂入ってこよーっと!」と軽快な足取りで、血まみれの大極殿から去っていった。


 あとに残されたのは、入鹿の死体と、気絶している刺客、猿の真似のまま固まっている石川麻呂。


 そして。


「……明日の、朝イチ……?」


 国家がひっくり返るほどのクーデターの事後処理。


 そのすべてを、「明日の朝まで」という納期で丸投げされたプロジェクトマネージャー。


「……鬼だ……。あいつは、入鹿以上の、本当の悪鬼だァァァッ!!」


 中臣鎌足の血を吐くような絶叫が、雨音に包まれた飛鳥の空に、虚しく響き渡るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。