Episode.37 現実と幻想【当たり前がない男】
何も変わらない風景。当たり前にあるもの。はたしてそれは現実か。
変わっているかもしれない。知らない間に。でも、それに気が付けるのは、己の身に何かが起こってからなんだ。
未だ確実に能力を発動させることの出来ない万寿が唯一出来る方法。自分が死にかけたあの惨劇を何度も思い起こすこと。その恐怖で、奥底に眠る能力を叩き起こす。
何度だって恐ろしい。あの時の光景を思い出すたびに息が詰まりそうになる。でも、僕は決めたんだ。僕は死んでも、誰も死なせない。仲間も、人質も、パラドックスも。そのために、ここに来た。
「言ってるだろ! てめーは俺に勝つことは出来ねえんだよ!」
未だダンテとの死闘を繰り広げているジョニィ。度重なる負傷により、回復が著しく遅くなっている。体中に打撲の痕、骨も数か所粉砕されていた。再びダンテによって地面にたたきつけられた時、ジョニィは冷静にその顔を見上げていた。
「僕を最強と言ってもてはやしたのは、お前だった」
その言葉に、とどめを刺そうと振り上げた腕が止まる。
「……?」
「皆に注目してもらえるように。皆から認めてもらえるように。あえて大げさにお前は僕をもてはやした。……僕は最強なんかじゃないよ。僕とお前がぶつかり合えば、結果は手に取るように判る。僕はお前を殺せない。でも、お前はいつだってそうやって――」
ジョニィは身を翻し再び立ち上がる。
「僕に生きる価値を与えてくれたんだ」
ジョニィの言葉に、万寿はかつてるい太が言っていた話を思い出す。死にたいほどに辛い過去。そしてジョニィは、それを何度も思い出す。戦うために。仲間を守るために。
万寿もまた、橋から飛び降りる。あの時の恐怖を思い出す。――覚悟だ。覚悟を決めるんだ。
万寿は再び、橋から飛び降りる。何度も、何度も。己の意志で――。
落ちろ。
「これで終わりだ。死ね、ジョニィ!」
落ちろ。
「僕の仲間を、返してもらうぞ」
止まれ。地面へぶつかる寸前に、万寿は何かがつながるような感覚を覚えた。これだ。
「止まれ!」
目を開くと、その空間全てが二人だけのものになっていた。
「止まった……。ジョ、ジョニィさん!」
ジョニィに振り下ろされたダンテの手刀は、間一髪彼女の頭上で止まっている。
「よくやった。万寿」
「……はい」
◆
男は、気が付くと地面に倒れていた。先ほど人質たちを拘束していた時と同じように、今度は自分が両腕両足を縛られ床に転がされていた。能力は解け、人間のダンテの姿へと戻っている。
「このクソ野郎ーっ!」
「いいね、悪役っぽくて気に入ったよ」
パラドックスを見下ろすようにして立っていたのは、ジョニィだった。ジョニィは口元から流れる血をぬぐいながら男に声をかける。
「話せよ。聞いてやるから」
「俺を見下すんじゃねえっ! 正義気取りのバケモンが! 全員ぶっ殺す! ぶっ殺してやる!」
男は叫びながら体をよじらせた。あがけばあがくほど、縛られた紐はぐりぐりとその身体に食い込み、擦れたところから血が滲みだしていた。するとジョニィはおとなしく、すっと男の前に膝をついた。
「悪かったな。もうすぐお前に投与した睡眠薬が全身に周る。話せる間に、言っておけ」
男はその後もしばらく暴れていたが、睡眠薬が聞いてきたのか、その目は虚ろになりおとなしくなった。そして諦めたように話し始める。
「くそ……。くそお……。何にもうまくいかねえ……。なんでだよ! なんで俺ばっかりこんな目にあわないといけねーんだよ! どいつもこいつも、幸せそうにしやがって! 何も悩み何てないような顔しやがってさあ! こいつら、俺より若いくせに、金持ちで、皆からチヤホヤされてよお。町に出ればメンバーカラーだのなんだのって女どもが話しててさ! オレンジだの緑だの! 俺は一度だって、その色を見たことすらないのに! こいつらは当たり前に目が見えて、選んで、もてはやされて! ……愛されてる。俺も欲しかった――。俺も皆みたいに、普通になりたかったんだ。それだけなのに――」
男の瞳からは涙がしたたり落ち、瞬く間に床へ水たまりを作り上げた。その涙を、ジョニィはそっと指で撫でる。つーと引かれた涙の筋は、男とジョニィの指元を繋いだ。
「うん」
ジョニィの返事は一言だけだった。だが、男はその声を聞くと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を上げた。そして見えていないはずの、彼女を見上げる。
生まれつき、目が不自由だった。友人からの安っぽい慰めも聞き飽きた。何を言われても受け止められなかった。だって自分にはないものを、お前たちは持っているのだから。俺の何が分かるんだ、と。だが、この人は言わなかった。何も。散々暴れまわり怪我さえ負わされたのに、罵倒も否定も、肯定すらもない。
ただ、一人の人間として受け入れてくれた。そう感じた。
「ごめんなあ」
男はそう言うと力なくその場に転がった。ジョニィはそっとその男の瞼に触れる。
「君は自分の能力に固執するあまり、わざと視界を塞いで来た。その方が安全に戦えるからね。けれどもう戦う必要はなくなった」
「何を……?」
男は不思議そうに呟く。
「まだダンテの能力が残ったままだろう。見てごらん」
ジョニィはそっと彼の目元から手を離した。眩しい光が彼の網膜を刺激する。思わず体を持ち上げて、あたりを見渡した。そして彼が最後に見たものは、優しく微笑む一人の天使。
「……綺麗だなあ」
それだけ告げると、彼は意識を手放しその場に倒れ込んだ。
ジョニィはそれを見届けると、同じように床に転がっているダンテの方に歩いていく。体温を失い硬直したその身体にそっと触れた。
「いいよ、るい太。入ってきても」
ジョニィの合図と共に、るい太がひょこっと窓辺に顔をのぞかせる。
「うわ。ダンテが二人いる。どっちが本物?」
「見れば分かるだろ。こいつが鼻水垂らして泣きべそかくキャラか?」
「だよね、感動映画でも泣かない奴だし」
るい太はまずパラドックスの男の体に触れた。何かを体に刺して、ポンプで吸引しているように見える。すると、先ほどコウモリに血を吸われて能力を失ったダンテと同じように、パラドックスの体も元の姿に戻っていく。
「ひどく痩せてるね。顔色も悪いし。随分と辛い生活を送っていたみたい。……はい、今度はダンテね」
るい太はそう言うと、ダンテの体に容赦なく太すぎる注射針を突き刺した。それを膝をついたままぼんやりと眺めている万寿。ふと気が付けば、近くにジョニィが立っていた。
「コツはつかめたみたいだな」
「ジョニィさん……」
万寿はジョニィを見上げる。傷だらけのその身体が痛々しい。ダンテもまた目を覚ましたようで、「なんかアホ程眠てえ」と文句を言っていた。
「ダンテさん、無事で良かったですね」
「そうだな。起きたら起きたでうるさくなるな」
「嬉しいくせに」
「お前生意気になったな」
万寿はそう言いながら少しだけ笑った。
「ジョニィさんのおかげです」
「……?」
「あの時のこと。何度も何度も、思い返しました。橋から落ちて、地面へぶつかりそうになる光景を、何度も。でもなかなかうまくいかなくって……」
「そうだな。随分と待たされた」
ジョニィはこれ見よがしにボロボロの右腕を見せつけた。
「す、すみません! ……でも、その時に気が付いたことがあって!」
「……?」
「何度あの時の光景を思い返してもうまくいかなかったんです。だって、僕は何度飛んでも、ジョニィさんが僕を助けてくれるから。でも、その間にジョニィさんはどんどん傷だらけになっていて。その時なんか、ピン、ときたものがあったんです。そっか、僕は飛び降りることより、飛び降りた後にジョニィさんがいないことの方がずっと怖いんだなって」
「まさかと思うけど、僕が死ぬ光景何て想像してないだろうな」
「してませんよ、縁起の悪い! ……だから、その……。こ、これからは! 僕がジョニィさんを、守ってみせますから! だから、絶対! 死なないでくださいね!」
想像以上に大きな声が出たので、ダンテるい太も目を丸くして二人を見つめている。ジョニィもあっけに取られていたが、すぐにハハハ!と声をあげて笑った。
「そうか。頼むよ、弱虫君」
ジョニィはその足でダンテの元へ向かう。かくいうダンテは、輸血と共に送り込まれた血液に残されていた睡眠薬で、再び深い眠りに落ちるのだった。
「丁度良かったですね。これで小言聞かなくて済みますよ」
「さっさと帰ろう。せっかく大行列の中並んで新作買ったのに。楽しみにしてたチョコスコーン冷めちゃったよ」
「まさかと思うけど、遅かった理由ってそれじゃないですよね?」
「あーあ。連絡無視して店内で食べれば良かった」
「ジョニィさーん⁉︎」
◆
その後第二部隊が駆けつけ、人質に取られていた人間の記憶は消され、パラドックスはるい太によって回収された。彼に乗っ取られていた本物のユーチューバーは物置で転がっていた人物であったが、血を抜かれ仮死状態にあっただけであり、幸いるい太の治療により彼もまた一命をとりとめたのだった。
怜也はその場から直接学校のトイレに送り返されたが、見事に先生に怒鳴り散らされたし補習も延期になった。
「別に、高堂も一緒に受けてくれなくても良かったんだよ」
「いーだろ別に。一人で補習なんか、誰が答え見せてくれんだよ」
高堂も怜也がいなくなった後学校を抜け出していたようで、怜也の倍こってり怒られていたらしい。
◆
それから数回あった補習の帰り、いつの間にか高堂とは一緒に下校をする仲になっていた。怜也は帰り道になっている橋を目前にしても、その足を止めることはなくなった。あんなに恐ろしかったのに、なぜか今は安心してこの道を進むことが出来る。きっとそれも、ジョニィのおかげだ。
「このあとモクドナルド寄って帰ろうぜ。腹減った」
「僕お小遣いあんまりないよ」
「じゃあラッキーセットでも食っとけ」
「高堂はどうすんのさ」
「俺は俺でバーガー単品だろ」
「高堂だってお金ないじゃん」
「うるせーよ」
ハハハ、と怜也が笑った時、背後から何者かの声が聞こえてきた気がした。
《本当は許せないんだろう?》
「……?」
ふと足を止めて振り返る。だがそこには同じ学生服を着たの男の子が一人、参考書片手に歩いているだけだ。彼はそのまま万寿の目の前を素通りしていく。それ以外に、人影はない。なのに聞こえる。自分の背後から悍ましい声が。周囲を見渡すが、誰もいない。
「どうかした?」
《友達のふりをしているが、お前を殺そうとした人間だ。お前なら今、復讐する能力がある》
「いや、何も……」
《殺せ》
誰だ。
《殺せ》
黙れ。
《殺せ》
うるさい、うるさい、うるさい!
「うるさいつってんだろ!」
「え?」
怜也はハッと顔を上げた。目の前には高堂が驚いた顔をして立っている。
「何、お前……」
「あ、違……。今のは――!」
高堂の顔から笑顔が消える。この目。あの時の目だ。振り上げられた拳が蘇る。怖い。
《殺せ》
《殺せ》
《殺せ》
「やめ――」
怜也が身構えた瞬間、高堂はその顔をふにゃりと歪めた。
「すげー声出んじゃん」
「へ?」
高堂はゲラゲラ声をあげて笑っている。
「いつも陰気なくせにさ。二重人格なん? おもろ」
高堂はそう言いながら「早く行こうぜ」と先を行った。
――何か、変だ。何か。ちょっと前から気が付いていた。僕は殺されかけたのに。なのに今は、こうして一緒に過ごしている。僕にとっては都合のいいことだ。だから、それでいいと思っていたけれど。
おかしい。おかしい。やっぱり、おかしい。これは、僕の知っている『高堂』じゃない。
これは現実?それとも――。誰かが作り出した、嘘の世界……なのかもしれない。
この日はそのまま、逃げるように家路についた。




