Episode.36 動くな、動け【当たり前がない男】
「痛てえな。てめえ覚えとけよ」
その声は、刺されたはずのユーチューバーの方から聞こえてきた。刺されたのは、万寿に叫んでいた彼ではなかった。時を止めた間庇うようにして立ちふさがった、ジョニィだったのだ。刺された首の傷は、既にふさがっている。
「また首だよ。医療費かさむよ? お前の給料から天引きすっからな、万寿」
「ジョニィさん……」
パラドックスの男が振り返ると同時に、廊下から爆音が響き渡って、真っ黒な塊が部屋の中に散乱した。
「お探し物はこれですか? 今日はコウモリのつみれ鍋でも作りますかね」
そう言っておにぎりのようにひとまとめにしたコウモリの塊を、男の方に放り投げた。ダンテだ。
「ジョニィさん……! ダンテさん……!」
「遅くなって悪りいな。よく戦ってくれた」
「い、いえ……。僕は、何も……」
「何言ってんだ。お前は救おうとしただろうが。自信持て」
その言葉に、万寿の目頭がじんわりと熱くなる。
「ジョニィ! そいつら安全地帯に移動させろ!」
「もうやってるよ」
ジョニィは人質になっていた数人を担ぎ上げると、窓から外へと飛び立って行った。男はチッと舌打ちをうつと、生身でダンテの方へと走り出した。そんな姿で能力を解放したダンテに敵うはずはない。全力で振り上げられた拳が、男にクリーンヒットした。……はずだった。ダンテの拳の周囲に黒い物体が集結する。それはその男の体から発せられているようだった。
「あーあ。俺の最高傑作だったのに」
男はそういうと冷ややかに笑った。その顔は、先ほどのユーチューバーの顔ではない。目を覆うほどの隈で目がくぼんで見えるほどにやつれた、細身の男だった。
「でもいいや。今度はアンタの体貰うから」
ダンテの腕に取り巻いていたのはコウモリだ。腕から全身へ伝い、その牙を体に食い込ませた。刀も貫通しない強靭な体に噛みつくコウモリは、振り払っても剥がれ落ちない。
「くっ……!」
ダンテの体は見る見る小さくなっていく。能力を維持できなくなっているのだ。
「ダンテさん!」
「馬鹿の一つ覚えが。不用意に相手に攻撃するのは良くないよ、ダンテくん」
万寿もダンテにまとわりつくコウモリを振り払おうと両手を振りまわすが、周囲を飛び交うコウモリでさえ追い払うことは不可能だった。ダンテの姿はほとんど人間の状態に戻っている。くたっと体の力が抜けたように、その場に座り込んでしまった。
「へえ、素顔もまあまあいい男だな。身長高いし。いいじゃん」
「来ないでください!」
万寿はダンテを庇うようにぎゅっとその巨体を抱き寄せた。その時、ダンテは万寿の耳元で何かをささやく。
「え……。それって――って、うわあああ!」
万寿が言い終わる前にダンテの体から力が抜け落ち、全体重が万寿の上にのしかかった。それと同時にダンテにまとわりついていたコウモリが空中に放たれる。
「お前の血、貰ったよ」
男はダンテの血を吸ったコウモリを身にまとわせた。するとどうだろうか。ぐにゃぐにゃと肌にしみ込んでいくようにコウモリたちは姿かたちを変化させ、男はダンテの様相を身にまとう。
「なあ、どう? 似てる? そこに転がってる吸いカスと」
ダンテの顔でニヤニヤ笑う男。万寿はダンテの体から這い出ると、薄気味悪く笑う男を見上げた。男は気分を良くしたのか、饒舌に話し始めた。
「お前弱そうだから、特別に教えてやるよ。俺の能力、何だと思う? 姿を変えること? 違う。強固な防御力? 違う。ただ単に姿を変えるだけで、相手をぶっ潰せるわけねえよなあ。俺はさ、相手の姿を乗っ取ることで、その能力もコピーすることが出来るんだよ。分かるか? つまり俺は今、戦闘組織で最も強靭でパワーのある男、ダンテの力を身に着けた! もう少しすればこの血が馴染む。そいつの能力すらも奪うことが可能だ!」
その言葉通り、男の姿が次第に能力解放後のダンテの姿へと変化する。先ほどはリミットではない人間であったから、蹴り飛ばされても脳震盪を起こす程度で済んだ。だが、もしもそれが、能力解放後のダンテであったのなら。はやく、はやく何とかしなければ――。
万寿はダンテの巨体の下からなんとか抜け出そうともがいていると、どこからか発砲音が聞こえてきた。ジョニィだ。窓辺からジョニィが男に銃を放っていた。だがそれは、いとも簡単にコウモリによって軌道を逸らされる。
「馬鹿が! てめえらは俺に攻撃することは出来ねえ!」
ジョニィは迷わず銃を放ち続けるが、男は悠々と部屋の真ん中に立っている。
「もう少し――。もう少しだ――」
男の体が真っ黒な皮膚で包まれようとした時、何かが男に突っ込んでいくような影が見えた。万寿は目で追えず、ただそれははじかれて自らの真後ろに飛んで行ったことは理解できた。男の姿は、既に変化を終えていた。万寿は何とかダンテの体の下から抜け出すと、何が飛ばされたのかを確認する。そこには、見事に壁にめり込んでいるジョニィの姿があった。
「ジョニィさん!」
「もうお前らは、俺に勝てねえ!」
「……」
男はじりじりと万寿へ近づいてくる。万寿はその場から動けずにいた。否、動けなかった。ダンテの残した言葉の意味を理解するまでに時間がかかっていたからだ。
「まずは、てめぇから――」
男の手が万寿へ届く寸前に、再びジョニィがその前に立ちはだかった。両脇にショットガンを抱え、男の巨体を打ち抜いて数メートル吹き飛ばした。
「ゼロ距離なら、少しは効果あったか?」
男はククク、と笑うとそのまま上体を起き上がらせた。
「戦闘組織、最強……? 最強ねえ……。お前が?」
ダンテの声が、ジョニィに振りかかる。
「お前に何が出来る。俺に勝てるのか? この体を弾き飛ばしても、皮膚を貫通させることも出来ないその銃で、俺を倒せるか? 最強なのはお前じゃねえ! このダンテ様なんだよ!」
「…………」
「そこの吸いカスはちょっとばかし脳みそが足りなかったからな、充分にこの能力を生かし切れていなかった。力任せの一点張りだ。俺はそうじゃねえ。こいつの能力に加えて俺自身の能力もある! てめーらの動きは手に取るように分かるぜ! まずはジョニィ、てめーをぶっ殺す! そして俺が戦闘組織最強として、クラフトをぶっ潰して――」
話を終える前に、ジョニィはダンテに切りかかっていた。手には短刀が握られている。
「銃は無意味だと分かって、接近戦か? 無駄だ! そのひよっちい腕で、俺の体に傷をつけられるものか!」
ジョニィの攻撃は届かない。届く前に間一髪よけられている。まるで、既に予測されていたかのように。なぜ分かる? ジョニィの動きが。空中も駆使した不規則な動きを、なぜ予測できる?
コウモリ、動き、感知……?
【動くな】
その時、万寿の中ですべてがつながった。ダンテの残したその言葉の意味を。
ダンテは気を失う前に、万寿にある言葉を託した。その意味を、瞬時に理解出来なかった。でも今なら分かる。
彼は自分を見つけた時、「動いた」と言った。スマートフォンの転がった音で気が付いたならそんな表現はしない。男は音が聞こえて気が付いたんじゃない。飛んできたコウモリを咄嗟にしゃがんで避けたことで、『動いた』ことに気が付いたのだ。部屋中を無意味に飛び回るコウモリは探知機だ。瞬時に動くものへ反応する。だから攻撃が届く前に、その動きを既に予測出来ているのだ。故に難なくよけられる。
ならばどうすればいい。どうすれば戦える。
そう、動かなければいい。物置で膝を抱えていた時と同様、じっとその身を縮めておけばいい。そしてすべてが動きを止めたその時。
その空間を動けるのは、たった二人だ。
【時間の中を動ける奴はいても、止めることが出来るのはお前だけだ】
僕がしなければ。この戦いに、僕は必要なんだ。万寿は目を閉じると、意を決した。




