第3話 冥府(めいふ)の女
どれくらい時間が経ったのだろう……
冷たい大理石の感触と、全身を締め付ける痛みが、ソフィアの意識を深い泥の底から引きずり出した。
瞼は鉛のように重い……ゆっくりと重い瞼を開ける。視界は妖しい紫のネオンと、床に描かれた真紅の魔法陣が放つ不吉な光に支配されていた。手首と足首には淡い青い光を放つ魔力の鎖が絡みつき、彼女の自由を完全に奪っている。
ソフィアは腕に力を込めるが、光の鎖は容赦なく彼女を更に強く締め付ける。
「うっ……」
ソフィアは、身動きさえできなくなった。
冷たい大理石に押し付けられた耳に、コツ、コツ、とヒールが床を叩く音が響いてくる。
暗い闇の中から、アメジストの宝石が妖しく光を放つ。
魔法陣の縁に立ち、拘束されたソフィアを見下ろしていたのは、豪奢な黒いドレスを纏った紫の瞳の女だった。
「今日は着けてらっしゃらないのね……星宿のペンダント。 ペンダントはどこに隠してらっしゃるの? ソフィアお姉様……」
甘く、しかし氷のように冷酷な声。
ソフィアは、自身の胸元の金具が不自然に緩んでいることに気がついた。
「あなた……私の寝てる間に探したのね」
ソフィアは鎖に抗いながら、鋭い視線を女へと射抜いた。
「ディアナ……あなた、何してるか分かってるの? 私を侮辱することは、ルミエール王国とエルディア王国が、黙っていないわよ」
「教えてくださらないの? ソフィアお姉様……」
女の表情から、先程までの優雅な笑みがふっと消え去った。代わりに現れたのは、隠しきれない狂気と剥き出しの地獄から響くような声だった。
「どこに隠してるの……星宿のペンダント! 答えろ! この下劣な魔女め!」
親友になれたと思った女性の口から吐き出された、耳を疑うような罵倒。 その瞬間、ソフィアの中で張り詰めていた疑念が確信へと変わった。
自分の過ちを悔い、その命を自ら捧げた慈愛に満ちていたディアナが、どれほど洗脳されていようと、決して見せるはずのない醜悪な表情。
「あなた……あなたは、ディアナではないわ……ニセモノだったのね」
ソフィアのアクアマリンブルーの瞳が、静かな怒りを帯びて光る。
「その、化けの皮の下には何を隠してるの?」
ソフィアの言葉を引き金にするように、女の胸元――紫色の結晶石が、心臓の鼓動に合わせるかのように脈打ち、眩い閃光を放ち始めた。
バチバチと空間が歪み、紫色の稲妻が部屋中を駆け巡る。女の背中から、鋭く巨大な紫水晶の翼が幾重にも展開し、空間そのものを切り裂きながら圧倒的な威圧感を放ち始めた。
偽りの皮膚が剥がれ落ち、現れたのは、神々しくも禍々しい、闇のエネルギーを纏ったメカニカルな異形の姿だった。
「“親友の顔”に……地獄へ誘われるのは、どんな感じ? ソフィアお姉様……」
顔だけはディアナの顔のままとなり、その不気味な姿を際立たせる。女の唇が三日月のように歪む。その声には、幾重にも重なる無機質な残響音が混じっていた。
「我はグラナディア王国のアンドロイドの祖……冥府を司る『ヘカテー・クトニア』よ。我らの国王ミディスの魂が私をこの世界に呼び寄せてくれたわ……」
圧倒的な魔力と絶望が、VIPルームの空気を重く圧迫する。ヘカテー・クトニアと名乗ったその存在は、冷たい眼差しでソフィアを見下した。
「ペンダントの無い女王など……ただの有機体……。あなたの命など、闇に溶かしてあげるわ……愛するソフィアお姉様……フフ」
ヘカテーが右手を掲げると、虚空から禍々しい紫色の魔力を纏った巨大な杖、『セプターブレード』が現れる。先端に埋め込まれた結晶が、処刑の時を告げるように激しく瞬いた。
「さあ!これが最後だ!答えよ! 星宿のペンダントの隠し場所を!」
しかし、絶体絶命の窮地にありながらも、ソフィアの瞳から光が消えることはなかった。女王としての気高さよりも、親友を冒涜された一人の女性としての激しい怒りが、彼女の全身を熱く震わせていた。
「ディアナと私の絆を踏みにじった……あなたを絶対に許さない!」
ソフィアの叫びと呼応するように、ヘカテーの杖から極大の紫電が放たれる。
閃光は分厚い防弾ガラスを突き破り、雷鳴となって退廃したサイバーパンクの夜空を真っ二つに引き裂いた。
「お姉様がペンダントの在り処を教えてくださらないなら、あなたの妹から聞き出すまでよ……さよならソフィア……ハッハッハッ」
ヘカテーの笑い声がVIPルームに響き渡る。
誰もいなくなった静寂の回廊では、全面ガラスの窓に雨の雫が激しく打ち付けられていた。
その冷たいガラスには、軽やかな車輪の音を響かせながら、ネオンの光を反射して進むVIPサービスの豪奢なカートの姿が妖しく映り込んでいた。




