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時空の闇 (ふたつの星シリーズ スピンオフ)  作者: 慧ノ砥 緒研音


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第2話 赤い美酒

 

 クラブの最上階……

 ソフィアの足取りには微塵の迷いもなく、ただ真実を暴くための静かなる決意だけが満ちていた。


 狂騒のビートが背後で遠ざかる。紫の煙と熱気が支配するフロアを抜け、ソフィアはVIPエリアへと続く静寂の回廊に足を踏み入れた。

 壁面を這うマゼンタとバイオレットのネオンが、彼女の纏うメタリックな装束の曲線を滑らかに照らし出す。回廊の空気は、先ほどまでの喧騒が嘘のようにひんやりと澄みきっていた。


 手の中にあるのは、先ほどの戦利品。冷たい金属の重みを持つ、白銀のカードプレートだった。

 ソフィアが歩みを緩め、プレートの中央に穿たれた僅かなくぼみに繊細な指先をそっと這わせる。微かな体温に呼応したのか、キィン、と耳鳴りのような澄んだ起動音とともに、白銀の表面から青白い光の粒子が立ち昇った。

 それらは空中で幾何学的な紋様を編み上げ、複雑なID番号や未知の記号が、立体の3Dホログラムとなって鮮やかに浮かび上がる。冷たい光の帯が、ベネチアマスクの奥で静かに燃えるアクアマリンブルーの瞳を妖しく照らし出した。


 回廊の途中に鎮座する、黄金の装飾が施された重厚なセキュリティゲート。

 ソフィアが宙に浮かぶ光の暗号ごと、カードを傍らの認証パネルへと静かにかざすと、幾重ものロックが解除される。重低音が足元を震わせた、ゲートが滑らかに左右へと開いたのだ。その先から漏れ出してきたのは、さらに深く、甘く、そして危険な香りをはらんだ深淵しんえんの空気だった。


 「ソフィア様、ディアナ様がお待ちです」

 ゲートの先で待ち受けていた、仮面をつけた黒服たちがうやうやしく頭を下げる。


 「えっ……なぜ私の名前を……」

 ソフィアは、彼女のDNAには予知能力者の血が流れているという噂を思い出した。

 (ディアナ……やまり、貴方なのね……) 


 ソフィアは、仮面の黒服に促されるまま奥へと進む。ピンクのネオンが怪しく光る回廊の左右には、仮面をつけた黒服が十人ほど列をつくり、ソフィアに向けて深く頭を下げていた。


 「こちらです。ソフィア様……」

 VIPルームの一番奥。鏡のように磨き上げられた金色の扉を、ソフィアはゆっくりと押し開けた。 


 煌びやかなシャンデリアの光が乱反射する、豪奢な空間。

 部屋の中央、最高級のベルベットのソファに深く腰を下ろしていたのは、探していた紫色の瞳の女性だった。

 彼女の右には黒い豪華なドレスに身を纏った女性が親しげに耳打ちをし、左の白い豪華なドレスの女性は、脇目も振らずに崇めるような瞳で中央の主に見惚れているようだった。背後には、仮面の黒服が微動だにせずに二十人ほど立ち並んでいる。


 その姿を目にしたソフィアは、思わず大きな声をあげた。

 「ディアナ! あなたなの?」


 パープルの髪を優雅にまとめ、黒と紫を基調とした豪奢な装束に身を包んだ女は、グラスの赤ワインを揺らしながら、紫色の妖艶な瞳でソフィアを見つめた。


 「ソフィアお姉様……会いたかった」

彼女は、ワイングラスをテーブルに置くと立ち上がった。


 その声は、かつて敵対していた頃の鋭さはなく、どこか甘く危険な響きを帯びている。


 ソフィアは歩み寄り、仮面を外して彼女とハグを交わした。

「ディアナ……無事だったのね」

「探してくれたのね。遠い過去に血が繋がっていた、ソフィアお姉様……」

 女の紫色の瞳からは一筋の涙が溢れ、シャンデリアの光を反射しながら頬を伝わっていた。


「皆、席を外して……お姉様とふたりきりになりたいわ……」

 隣に座っていた黒いドレスと白いドレスの女性は、ソフィアを怪訝そうに見つめながら、仮面の黒服の男達と共に静かに部屋を出ていった。


※ ※ ※


 ふたりは並んでソファに腰を下ろした。ソフィアは、彼女から差し出されたワイングラスを受け取る。


乾杯チアーズ


 二つのグラスが触れ合い、澄んだ音を立てた。アメジストのように妖艶なパープルの照明の中、極上のワインが、赤いルビーのように揺れる。


「無事に戻ってこれたのね……ディアナ……」

「ええ、真っ黒なトンネルを抜けたら、この世界に辿り着いてたわ……」

紫色の瞳は汚れのない煌めきを放ちながら、ソフィアに甘えるような声を続けた。

「今日はどうされたの? いとしのお姉様。何かお困りのご様子だわ」

「ディアナ……グラナディア王国のアンドロイドが暗躍してるの。 各地で略奪やテロ活動をしている……何か知らない?」


 ソフィアの単刀直入な問いに、紫の瞳の女はふっと息をつき、退屈そうに目を伏せた。

「グラナディア王国は滅びたわ……私が滅ぼしたと言ってもいい……別の王国のアンドロイドではなくて……?」


 「治安維持で活動していた、エルディア王国のリュシアも、リュミエール王国のナギサも襲撃されたの……彼らはグラナディアのアンドロイドで間違いないわ。 回収したコアのプログラムがグラナディアと同じ……」


 「そのアンドロイド達の目的は何なの?」


 ソフィアは少しだけ身を乗り出し、彼女の紫の瞳を覗き込む。

 「たぶん……私の星宿のペンダントを探してる……」


 紫色の瞳は、ソフィアのアクアマリンブルーの瞳から決して目をそらさない。女はゆっくりと口を開いた。

「わたしは……知らないわ……」


 その表情からは何も読み取れなかった。

ふたりの視線は、どちらからも逸らさない……


 紫色の瞳がゆっくりと瞬きをした。

 「もう、AIに管理された世界はまっぴらよ……だから、この国でひっそりと生活してるのよ……」


 ソフィアが視線を外した、その時だった。ソフィアの視界が、ふらりと大きく揺れた。全身から急速に力が抜け、指先の感覚さえもが曖昧になっていく。


「ディアナ……このお酒……アルコール、強くない?」

ソフィアの掠れた言葉に、紫色の瞳が優雅に微笑んだ。


「お姉様……アルコールは高くないわよ。きっと、少しお疲れなのよ」


 彼女は、自身のワイングラスをゆっくりと回す。

「ソフィアお姉様……私の憧れのお姉様……せっかくお会いできたのよ。 もっと楽しいお話をしましょっ……」


 ソフィアの耳には、彼女の言葉さえも遠く響くようになっていく。


「お姉様……お疲れなのね。 舞踏会でしか踊った事無いのに……とても激しいダンスをされていたから……ソフィアお姉様……」


 (見られていた……!?)

 ソフィアの頭の中に深い霧が立ち込める……

 「ああ……急に眠くなってきた……」


 「さあ、私の膝枕で、お休みになって……お姉様」

その妖艶な声は、ソフィアの頭の中に静かに沈んでいく。

 深く……深く……


 ソフィアは、意識が遠のく中で必死に口を開いた。

「ディアナ……あなた……ワインに……何か……」


 言葉を最後まで紡ぐ間もなく、ソフィアは座ったまま大理石のテーブルへと激しく倒れ込んだ。

 ガチャン、と音を立てて砕け散ったグラスから、赤いワインが血のように広がっていく。意識が深い闇へと沈んでいく中、最後に聞こえたのは彼女の冷たくも優しい囁きだった。


 「おやすみなさい……ソフィアお姉様……」


 ソフィアは静かな寝息をたてたまま、深く暗い空間へと落ちていった……


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