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『目標を見失いました』
部下の報告に、厳のような男は僅かに太い片眉をあげた。
セルゲイ・リコンスキー元大佐。
彼の部下は少ないが有能で、滅多にただ「見失った」という報告をよこすような人間ではない。
「どういうことだ?
行き先の見当もつかないのか」
『は、申し訳ありません……信じられない話なのですが、唐突に消えたんです、煙というか……その……』
「SF映画に出てくる瞬間移動のように、か」
『はい、この前子供たちと見に行ったニコラス・ケイジの映画のようでした』
実際にその映画の主役を演じたのはヘイデン・クリステンセンだが、男はあえて訂正しなかった。
それほどに部下が混乱しているのは分かっていたからだ。
彼もかつてそうだったように。
初めてあの手の能力を目にしたものは最初自分が何を目撃したか理解できず、あるいは理解しないままになる。
訓練された人物であればそれが何であったかをありのままに確認し、理解し、そして常識に外れすぎているが故に混乱する。
そして受け入れる……彼の部下はその手前の混乱状態にある。
そのことに彼は満足した……目標を見失ったことは憂慮すべき事態だが、行き先は判明している。
彼はスマホを使って散らばらせてある部下たちに命じ、予想される行き先へ移動させることにした。
確定ではないが、依頼人の言うとおりの相手なら、おそらくそうだろう、という考えがすでに「彼」にはある。
仕事は、まだこれからなのだ。
秋の午後の日差しが差し込む中、教会の廃墟は静謐そのものの沈黙を守っている。
そうでないのは、ここに隠れ住む数名の男女のみだ。
人の数はひとり、そして、荷物は大量に増えた。
最初は木箱がひとつ。
それが消えると今度は大量の、別の木箱が増えた。
むっとした表情を隠そうともせず、神聖タイハン王国の精鋭部隊「十二の腕」のひとり、サーシャはその光景を壁により掛かり、腕組みしながら眺めている。
目の前には新たに増えた「仲間」がいる。
男だ。
「そうかい、増えたか」
電話で報告を受けた「彼」は薄い唇を歪めさせた。
まるで一流の彫刻家が生死をかけて刻んだような美男子の顔が、それだけでおぞましく暗い影に覆われる。
しなやかな銀の髪を気障ったらしくかきあげる仕草が、ますますその印象強くする。
女たらしで有名で……しかも情交の最中に暴力をふるう事が楽しいと自ら吹聴して回るような人の屑だ。
まだ仮面をかぶっていた頃のサーシャが女だとしれた途端、なれなれしく態度が変化し、一度その頰を殴りそうになったことがある。
「このザリャン・リメイヌヒの先読みは外れたことがない、そうだろう?」
その顔から、不機嫌そうに少女は顔を背けた。
どうにもこの男は好きになれない。
眉間の辺りに嫌悪感を漂わせながら、城崎薫そっくりな顔をした少女はため息をついた。
シムトの亡命と亡命王権設立を許してしまったサーシャたちははっきりした罰を与えられることはなかったがこのザリャンの指揮下に入るように指示された。
そして、ザリャンは何の躊躇もなく、タイハンから持ってきた金銀をこの世界の貨幣に変換すると、どう話をつけたのか、この世界にも存在する裏社会とやらに話をつけ、兵隊を雇って、密かにシムトの「始末」を始めたのだ。
一騎打ちでも、闇討ちですらない、それは淡々とした「殺人という作業」の遂行だ。
名誉も誇りもない。
気概とか、心意気というものさえも。
(何故国王陛下はかかる者を我らと同じ『十二の腕』に加えておられるのか)
薫と同じ顔をしながら性別はまるっきり逆という奇妙な偶然をもったその少女は、そっとため息をついた。
理由は分かっている、この男が暗殺や恐喝などの「汚れ仕事」を厭わない「騎士ではない」存在だからだ。
ザリャン・リメイヌヒはタイハンの国民ですらなかつた。
流れ者の「殺し屋」だ。
あの淫虐の神、スンゾォン・モウの信者ではないかという噂までである。
その辣腕ぶりに身内である暗殺者ギルドからも追われるほどの人物の命を救ったときは、単純にサーシャは己の主の度量に感動すらしたものだが、よもやその当人がこれほどに不快な存在になろうとは思っていなかった。
事実「十二の腕」で彼に対して敵対心をむき出しにする者は多く、そうでない者も積極的に関わろうというものは殆ど居ない。
にもかかわらず、彼は「十二の腕」における確固たる地位を与えられている。
つまり、それほどにシムトの兄にして、いまや反逆し、タイハン帝国あらため神聖タイハン王国の王となったダリアム陛下の覚悟は激しく深いのだということだ。
「だが、これからが君らの仕事さ……分かってるだろ?
もう配置は終わってるはずだ……情報はあたえてあるんだからな」
そういって、歪んだ美貌の青年、ザリャンは喉の奥で笑った。
彼女と同時にこの世界に来たもう一人の「十二の腕」である「粉砕槍」ヴァリアルドは部屋の隅で無表情にその様子を眺めている。
白皙の知識人であり、よき父であり夫でもあるこの人物も、あまりザリャンには好意を抱いていないのだろう。
それだけがせめてもの慰めだ、とサーシャは思った。
(くそ……あの時、仮面さえ斬られていなければ)
サーシャは唇を噛んだが、今さら元には戻らない。
あの戦いにおいて、サーシャの顔を覆う仮面にして、その魔力を増幅し、肉体を男性に変えていた呪具「へステカの眼封面」は彼女そっくりな顔を持つソグディアナの戦神騎士、城崎薫によって切断、機能を失った。
今の彼女は多少魔法の使える一般兵士にまで能力が下がっている。
ありがたいことにダリアムは次の呪具の補給を約束し、彼女の地位もそのまま……なのだが、今のところ「無能」でしかない。
「無能」故にこのザリャンの下で働く必要は今のところ無いのが唯一の救いだ。
もっとも、このカミソリのような青年はヴァリアルドですら使おうとせず……どころか殆ど無視して自分の「仕事」を進めている。
「……そういうこった。
後は頼むぜ」
まるで工場の仕事を将来有望な若手に任せる熟練職人のような口調で言うと、ザリャンは電話を切った。
(まるで、この世界の人間みたいだな)
元々タイハンの王宮の中に居ること自体が冗談のように、高貴さというものが欠片もない男だったが、この世界の廃墟で、背広を着こなし、スマホを操る姿はどうみても最初からこの世界の住人のようにしか思えない。
いや、この男には本来「祖国」というものが無いのだろう。
己の腕をふるう場所から場所へ移動していくだけで、思想も信念もない。
ただ、そこに「仕事」があるだけのことで、「十二の腕」であることはこの男にとって何の意味もないのだろう。
「さて、手配りは終わりましたよ、おふたりさん」
くるり、とこちらに向き直り、美青年は大げさな田舎芝居の役者のように両手を広げ、サーシャたちの背後に居もしない架空の観衆の注意をかき集めるような仕草をした。
「これで我が国の懸念はひとつ消える……問題は、ヒト族とハーフエルフは殺せても、戦乙女はそうはいかない、ということですが……その辺はおふたかたにお願いしたいのですがね?」
「……そのつもりだ」
無表情でサーシャは答えた……どうも仮面がないと露骨に表情が表に出てしまうので、無表情を続けるのは苦労する。
「だが、戦乙女は『殺せ』ませんよ」
かつては神学生でもあったヴァリアルドが、静かに言った。
「人間は神とその眷属を傷つけることは出来ても、完全に破壊することは出来ません」
「でも、それは我々の世界における物質と『魔法』の限界でしかないはずでしょうが?」
ひょい、と両手を広げたまま、ザリャンは首をかしげた……その仕草も舞台の上の道化師をさらに茶化したようでサーシャには不快に思える。
その横で、僅かにヴァリアルドの表情が動いた。
驚いたのである。
一介の暗殺者にしか過ぎないこの人物が、「神」に対する彼らの世界における最大の禁忌……つまり「如何にして神を殺すか」という知識について知っていることに。
「この世界において、神々は神々に非ず、ただの「異物」に過ぎない……あんな小さな姿にまで縮んだのは、『異物』を排除するための世界の法則が作用しているからでしょう?」
それまでの劣等生が、猛勉強で一気にテストで満点を取ったときのような笑顔を浮かべ、ザリャンは続けた。
「つまり、この世界において神は無限に存在し得ない。
かつて淫虐神が戦神と大地母神に対して行ったように、世界から切り離された神は、存在を続けるために周囲のすべての力を一度変換して自分を再構成しなければならない。
そこには隙が生じる」
(こいつ、とんでもない食わせ物だ)
「神殺し」の理屈はサーシャもヴァリアルドから聞くまでは知らないことだった。
神学者の間でさえ不敬の極み、大逆に等しいこととして口にすることさえ憚られる知識の最たるもの……これを教えてくれたヴァリアルドでさえ、相当な苦労の果てに手に入れた知識だ。
それを、一介の暗殺者にしか過ぎないこの男は通暁しているかのように語る。
(いや、実際に通暁しているのだ)
サーシャは戦慄と共に男を見る目を改めた。
「つまり、答えは簡単ですよ」
ぽんぽん、とザリャンはそれまでずっと腰を下ろしていた木箱の表面を叩いた。
「この山ほどの兵器で、変換が間に合わないほどの攻撃を仕掛け続ければいい……大丈夫、最後の一撃は剣か槍で可能なように調整してみせますよ……私は腕のいい暗殺者ですからね」
にっこりと、無邪気とも言える笑顔。
「神殺しの栄誉はあなたたちおふたりのものだ」
同時にそれは「栄誉ではない実績は己のものだ」と宣言しているに等しい。
驚くほど楽しげに。
こちらを見下しているのではない。
単に利害が一致したから、その思いつきが気に入っている、そういう純粋な喜びに近い。
呆然と、サーシャは目の前の男を見た。
神であれ人であれ、「殺す」ということに対してこれほど罪悪感も覚悟も無く、ただただ無邪気きわまる情熱をもってことにあたる人間を、彼女は初めて見たのだ。




