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普通のファミレスと違って、前菜、スープ、そしてメインが絶妙の間隔で、それも豪勢な盛りつけと、同じく豪勢な器にのってやってくる。
(ああ、高いってこういうことなのか)
妙な納得をしながら、薫はナイフとフォークを取った。
ふと見ると、エストは恥ずかしそうにこちらを見ている。
(どうしたんだろう?)
と思い、無造作にフォークとナイフを使おうとして、「テーブルマナーってこれでよかったけ?」という疑問が脳裏をよぎった。
(どうだったっけ?)
そういえば何となく食事していたが、フォークやナイフがなければ箸でやってしまうような、まあ、「フツーの日本のご家庭」で、祖父母も特に何も言わなかった。
(でもエストさんって、こっちでいえばヨーロッパ系の人だから……)
ひょっとして、自分は変な食べ方をしているのかもしれない。
そう思うとぎくしゃくし始める。
「いや、あの、えーと、これ、おいしいですよね」
あはは、と小さな、力のない笑み。
「うーむ、どことなく、上手くいっておらぬようだな」
シムトが、今はスーツ姿にオールバックというサラリーマンスタイルで言った。
優雅に薫と同じくハンバーグステーキを食している。
「というよりも、お互いに距離を測りかねておられるのでしょう」
こちらもそれに合わせてデキるOL風に装ったアドネが応える。
「距離?」
「つまり、どこまで砕けた関係になるべきか、ということです。
私やシムト様相手なら上下ですみますが、カオル様との関係に上下は当てはまりません」
「だが、夫婦でも上下関係はあるではないか」
「その前に、主従の絆と同じぐらい大事な愛情というものの関係が軸になります」
「なるほど」
素直にシムトは頷いた。
「やはりアドネは大人だ……色々経験しているのだな」
「いえ、恋愛はまだでございます」
しれっと応える武騎人の女性をシムトは呆然と見やったが、
「と、ところであの方たちはよいのか?
あのふたりの邪魔をしそうではないが」
ちら、と広い店内、自分たちとはほぼ反対側、薫たちの席から見れば対段上の席で、一番安いナポリタンスパゲティをつついているニファーリア、シャルロット、そして真衣の三人組に視線を送る。
どうやら向こうは薫たちの一挙一動を固唾を呑んで見守っていて、こちらには気づいていないらしい。
「大丈夫でしょう」
静かにアドネは応えた。
「それならば、とっくに何か行動を起こしておりましょう。
彼らも我ら同様、あのお二方の行く末が心配なのです……マイ殿はちと事情が違うかもしれませんが」
人は、尋常ならざる事態が発生したとき、その身体を損なおうとも、すべての筋力を解放するように脳が命じる。
この際分泌されるものの代表がアドレナリンであり、場合によっては十二歳の少女が五トンの岩の塊を一気に押しのけたり、爆発寸前のガソリンタンクから隣の岩場までの数十メートルをジャンプしたりする。
俗に言う「火事場の馬鹿力」というやつであるが、城崎薫の家の道場でも、それと同じ現象が唐突に発生していた。
「ぬふうんっ!」
裂帛の気合いとともに、庭先で餌をついばんでいた数羽の雀が飛び立つ前に硬直して横倒しになり、数百メートル離れた場所にいたカラスが慌てて飛び去った。
ちぎれたローブが板壁に跳ね返る。
「お、おのれええ、まるで人をハムかハンニバル・レクターみたいに縛り上げてえっ!」
そう叫んだのは誰あろう斎京楓その人である。
どうやらアドネが縛り上げた上にチビバルの槍の一撃による気絶から立ち直ったのみならず、その戒めを自力でほどいたらしい。
ちなみに、その足下には引きちぎられたロープが何本かに分かれて落ちている。
「乙女の柔肌に二重三重の縄目の恥辱を与えた上に放置プレイなんて、変な趣味に目覚めたらどうしてくれるのよ!」
ぶつくさ言いながらすでに少女は薫の家の玄関から飛び出し、数回ジャンプして手に持っていたローファーを器用に空中で履くと、そのまま駅へ向かって駆けだしていた。
「変な趣味と言えば薫君が、薫君がこのままじゃフツーの恋愛に目覚めてしまうわ!
なんとしてもそれだけは避けないと!
せっかくサーシャくんっていう双子のライバルキャラが出てきたっていうのに!」
どうやら完全に前回、シムトとエスト主従がこの家に転がり込む直接原因になったサーシャとカオルを「結ばせ」て、そのことを題材に小説を書いていこうと楓は決めているようである。
実はサーシャが女性であり、魔法によって肉体を男性化していることなどは知らないし、知っていたとしてもあまり気には留めまい。
この少女にとって、自分のインスピレーションと現実が重なっていることと、そこから生み出される想像の神の言語が脳の中で組み立てられ、出力されることこそがすべてなのであった。
鬼である。
それは腐女子の鬼であった。
そして鬼はSuicaカードで新宿行きの電車へ飛び込んだ。
生まれて初めての妙な食事になった。
会話は殆ど無い。
だが、それは互いにどうしていいかわからない戸惑いでもあり、嫌悪や無関心などの冷たい感情がバックボーンにあるものではない。
悪い気分ではなかった。
だが、「恋人同士」でもないが「友達同士」でもない妙な感覚に、両者ともに慣れていない。
「恋人になりたい」相手と「どうしていいか分からないけど、少なくとも嫌いにはなれない」自分の落差なのだろうか、と薫は思う。
(ファリイがはっきりしていてくれたら)
この微妙な状態はきっと変わっていたのだろうか。
だが、「ニファーリアが返事をよこさないからこっちと仲良くしてしまえ」と思うほど、薫の性格はねじれてはいなかった。
第一、まだ色濃く失恋の記憶が少年には残っている。
足下がすべて崩れ、どこまでも奈落に落ちていく感覚、自分がこの世でもっとも価値がない存在に思えてくる憂鬱さ……何よりも「自分ではなかった」とい悲しみ。
それを、自分が他人に与えたくはなかった。
痛みが分かってしまっているだけに、薫には言えなかった。
そのうち、会話がとつとつと流れ、途切れ、エストに関する幾つかのことを薫は知った。
妹と弟がいること、弟はまだ五歳だが、学問が好きで、学者として身を立てさせたいということ、妹は姉が武道を習い始めると自分もやるのだと言って困っていること。
彼女の母親は気丈で頭が回り、大胆な人で、貧民街の共同住宅の住人たちから信頼されていたが、去年、風邪をこじらせて倒れて寝たきりになってしまったということ。
それは魔法に使うための鉱石を掘り出す際にはよくかかる病気で、治療法もあるが、そのためには魔法医師とよばれる専門の魔法使いが必要で、費用がかかり、その捻出にエストは身を売る決意までしていたこと。
そこへ現れたのがシムトであったこと。
彼(実際には彼女だが)はエストの父の高貴な「死の真相」を知っており、それ故にエストを選んだということ。
だからあの優男で逃亡中のバルートではなく、シムトにこそ仕えると決めたのだと。
アドネは最初、無口で何を考えているか分からず戸惑ったが、次第に「気にしない」でいたほうが気楽につきあえる相手だと理解してからはよい相棒になれたと思っているとか。
どんな人間にも過去があり、苦労があるのだと、改めて薫は思う。
気がつくと、料理が終わり、デザートも食べ、それでも二時間近くが過ぎていた。
ウェイターがラストオーダーを取りに来て、そのことに気づく。
「あ、えーと、じゃあ、い、行きましょうか」
「は、はい」
どこへ、というあてはないが、もう少し話をするべきだろう、と薫は思っていた。
エストも立ち上がる。
「じゃあ、あのここは僕が」
ちなみに、喫茶店では割り勘だった。
「あ、いえ、でも」
慌ててエストが後を追おうとして、スカートに脚をもつれさせた。
「わ!」
慌てて薫が振り向いてそれを支え……ようとしたが、腕は見かけ以上に細い美女の腰のくびれの左右をすり抜け、倒れる角度と、少年の立ち上がる角度がエストの胸元で交差する。
ふにゅり。
思った以上に質量があって、柔らかい物体が薫の顔面を覆った。
それでも何とか、少年の両足は踏ん張ってくれた。
ほんの数秒、でも当人たちにとってはその十倍ほどの時間。
慌てて、エストは少年から飛び退くようにして離れた。
豊満な胸元を腕で覆いながら、
「で、では、その……あ、アタシ、先に出て待ってますから」
真っ赤になって頭を下げる。
「は、はい」
薫は呆然と、機械的に頷いた。
ヒールの足音が乱れながら遠ざかる。
それを聞きながら、少年の鼻腔からつうっと、赤い糸が流れた。
(だ、抱きつかれてしまった……)
そのひと言だけが、少年の脳裏にぐわんぐわんとこだましている。
ニファーリアは、ぺたん、とその場に座り込んでしまった。
「ひ、姫様?」
忘れ物がないかどうかを確認するため、周囲を見渡していたシャルロットは状況に気付かず、クレジットカードを自分の財布から取り出していた真衣も同じだった。
申し訳ないと頭の半分で思いながら、今の自分がそれを手伝えば却って彼女の仕事を増やすという自覚もある。
自分の人生でこれだけ取り乱しているのはどれくらい久しぶりのことだろう。
自分の母親が亡くなったときか、それとも父である国王が逝去したとき……いや、あの少年、城崎薫の母、香織が去ったとき以来の事だ。
もう、二十年近い昔になる。
だが、ほぼ不老不死の人生を歩む彼女にとってそれはほんの数ヵ月前の出来事でもある。
「ど、どうなさったのですか?」
「あ、いえ、ちょっととテーブルの脚に躓いたようです」
にっこりと、なんとかいつもの笑みを浮かべる。
「本当にこまったものですわ、この脚は」
「お怪我は?」
心配そうにするシャルロットに「大丈夫、どこも怪我をしてはいません」とニファーリアは微笑み、視界の片隅で遠くの会計で財布を開く薫を眺めていた。
「……」
その背中が心なしか浮かれているように見えた。
(悪いことでは、ないのですよね)
エストはヒト族、薫もヒト族だ。
同じように年を取り、同じように死ぬことが出来る。
多少の誤差はあるだろうが、百年を超えることはまずあるまい。
エルフにとっての中年、と呼ばれる年齢になるまで後二百年はあるニファーリアにとって、それはひどく羨ましい話であった。
そう、少なくとも、みるみる老いていく夫や、自分の子供を見る苦しみは味わわなくていいだろう。
ハーフエルフの血を引くものは、最終的にはエルフの里へ『帰る』者が殆どだと言われている。
理由はヒト族の世界の時間の流れに耐えられなくなるからだ。
それ故にヒト族の男(あるいは女)の間を渡り歩き「淫蕩」という浮き名を流したあげく、不意にヒト族の世界から姿を消すハーフエルフも珍しくはない。
もしくは、最初からヒト族の世界から距離を置いて生きる「賢者」や「隠者」になるか。
ニファーリアも、第三王女という立場でなければ、とっくの昔にエルフの里へ戻っていたかもしれない。
だが、国交決闘を取り仕切る第三王女は、王命による死か、国交決闘の不手際による神罰が与えられない限り、その役目を離れることは出来ない。
あるいは……他の王位継承者がすべて死に絶えてしまった時以外は。
そして、彼女自身、この地位に満足し、生き甲斐のひとつとして思い定めていた所もある。
だが、今、初めてそれがひどく疎ましいもののような気がしてならなかった。
(好きです、って言ったのに)
ぽつん、とそんな言葉が脳裏に浮かび、ニファーリアは頭を振った。
(違いますわ、カオル様はあのとき、同情から私への感情を誤解なさっただけで)
(でも、好きだと言ってくれた)
ひどく恨みがましい目をした自分がそう呟くのを、理性は止めることが出来ない
(自分からすきだっていってくれたのに)
(すきだっていってくれたのに)
(それなのに)
いつのまにか、恨みがましい顔をした子供の自分は頭の中いっぱいに増えていた。
「違います!」
思わず声が出た。
「これで、よいのです、これで……」
語尾がかすれ、それ以上の言葉を飲み込み、ぎゅっと膝の上に置いた小さな白い手を握りしめ、拳を作る。
唇を噛みしめた。
それでも、もやもやは消えてくれない。
ようやく、自分の感情のラベルに、ニファーリアは気づき、すこしショックを受けた。
何で自分は拗ねているのだろう。
今、自分が感じているものの正体は「怒り」に近くて、もっと恥ずかしい感情だった。
嫉妬。




