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斜め向かいにある小さな喫茶店。
『あ……いえ』
紙ナプキンにボールペンで描かれた魔法の紋様は小さく震えて薫とエスト両名の声を再生していた。
薄い紙をスピーカー代わりに、というのは珍しい技術ではないが、ふるわせているのはニファーリアの魔法の力である。
本来は、放牧した家畜がはぐれたとき、その鳴き声を聞き取るための魔法であり、また行く先に猛獣などが居ないかどうかを確かめるためのものだが、こういう使い方も黙認されている……というか、別にこの手の音声拡大魔法は大地母神の特許ではないのだが。
「あら……なんか意外な展開になってきたわねえ」
真衣がうんうん、と感極まったような表情で頷いた。
「人の恋路は馬に蹴られてでも邪魔したくなるぐらい面白い、っていうけど本当ね」
目がらんらんと輝いている。
やはり彼女もあの斎京楓の大親友であった。
「……マイ、いささか趣味が悪すぎるような気がするのだが」
シャルロットはどこか辟易した顔である。
「まったくもー、だめよー。
人間は人間に興味を無くしたらおしまいなんだから……と、とりあえず今までの流れはスマホに録音してあるからよし、と」
そう言ってナプキンに貼り付けていた小さな盗聴器をしまい込む。
ちなみに盗聴器はスマホの録音機能にリンクしていることはいうまでもない。
何とも油断できないとい、意味では楓以上かもしれない。
「姫様?
姫様?」
言われて流れるよう金髪に小さな鼻かけ眼鏡もチャーミングなエルフの少女は我に返った。
「どうしました、シャルロット?」
対をなすような銀色のショートヘアに前髪に金色のメッシュが入った少女が、心配そうにこちらを観ている。
「姫様、あの、お砂糖が……」
「え?」
手元のティーカップに視線を落とすと、赤い水面から褐色に染まった小さな山が出来ている。
シュガースプーンを持ったまま、しばらくニファーリアは固まった。
「どうなさったのですか?」
「い、いえなんでもありません。
ちょ、ちょっとお手洗いを……」
慌てて立ち上がろうとして、ニファーリアは足をもつれさせてひっくり返りそうになった。
「!」
慌ててシャルロットが彼女を支え、床に落ちそうになったカップとその中身をこぼさずに受け取る。
「あらまあ、すごいのねえ」
見ていた真衣が驚いた顔になる。
「映画とかではよくあるけど、リアルで出来るとはさすが武騎人!」
「は、ありがとうございます」
とか何とか応じつつ、シャルロットはニファーリアを立たせ、流れるような動きでティーカップをテーブルに戻す。
「しかし、砂糖を無駄にしてしまいました……」
「まあ、仕方ないわよ」
「それにしてももったいないことをしてしまいました」
ニファーリアはそう呟いてしょげかえった。
彼女たちのいる世界では、砂糖をはじめとした調味料類は貴重品である。
ビルとビルとの間に生まれた路地の奥、こっそりひっそり刻まれた、この世界では存在し得ない紋章がある。
ある特定の魔法を発動させるための契約神と戦神双方が用いる紋章だ。
このふた柱の兄弟神はその由来故に結構共通する魔法が多く、使用法もよく似ている。
それはともあれ。
その人間の手のひら大の紋様がきらりと光り、ぐるぐると回転を始めた。
マジックインキで描かれた紋様全体が光に包まれて変換され、そして内側から外へ向けて開くと、小さな影をぽペっと吐き出した。
「のひゃあ」
なんとものんびりした声をあげ、小さな二頭身の影がアスファルトの地面にコロコロと転がる。
……チビバルだ。
「まったく、我をもう一時間もまたせておるのにまだ食い物を持ってこんとはひどいヤツじゃ、ひとつ直接ここで食わせてもらうぞ」
うんうん、と身勝手なことを言いつつ、小さな戦乙女はぽんぽんと体についた埃を払い、槍をぬぐって「うむ」と頷いた。
「では、やつらを探そうかのー」
とのんびり言って背中の羽をパタパタさせながらゆっくりと上昇していく。
「ぬ、なんじゃ、ここは……いつもの駅前ではないか」
二十メートルほど上昇して、チビバルは自分のいる場所を確認した。
実際にはさっき彼女が出てきたすぐ反対側の壁に、次の場所へ転移するための魔方陣があったのだが、 それに気づいていなかった。
転移魔法の効果範囲の問題もあるが、緊急のことを考えて、直接目的地に飛ぶのではなく、幾つかの中継点を作り「選択肢」を増やしておくのは基本である。
「ま、今さら探すのもめんどいのぅ……誰か知り合いでも来ぬかな?」
何とも暢気なことを言いながら、うららかな日差しの中 パタパタと小さな羽を動かしてチビバルは飛んでいく。
外へ出た。
ぽつぽつとしか会話をしていなかったのに、その前振りの映画が結構長かったのか、もう新宿の町並みは夕暮れを超えて夜の暗さになりかけている。
いつもは何となく見過ごしているのに、今日はやけに腕組みをして楽しげに会話をしながら歩くおしゃれなカップルが目立つような気がする。
靖国通りに戻るのではなく、そのまま、アルタの通りを横切り、東急ハンズに向かうようにして、途中にある総合レストランビルに入る。
階が上にいくほど料理の値段もあがるというわかりやすい構造で、薫は七階建てのビルの真ん中より少し上……四階で食事を取ることになった。
懐かしい、明治大正昭和の「西洋料理」という曖昧模糊とした料理のメニュー。
(高級ファミレスみたい)
とか思いつつ(実際にはこうしたレストランをダウングレードしたのがファミレスのメニューなのだが)、薫はメニュー越しにちらりとエストを見、彼女と目があって慌ててメニューに目を戻した。
それは向こうも同じであるらしく、少しホッとする。
薫はハンバーグステーキ、エストはカルボナーラを注文してウェイターが下がる。
「あの……エストさんはどうして戦神騎士になったんですか?」
「父が……」
なんともいえない、寂しげな笑みを浮かべてエストは応えた。
「父が、そうだったからです。
ただ、私が物心ついたときにはもう死んでいましたが」
「え?」
「わざと負けたんです。
情けをかけられた、と……その当時、母は私の妹を産む直前で、相手がそれに情けをかけたんです……元々、無人の森をほんの少し取るだけで……有り体に言ってしまえば、ただ譲るだけでは体面が悪いから、国交決闘で、という程度のことでした」
エストは珍しく両目を閉じて、顔を伏せ気味にする。
よっぽど思い出したくないこと……あるいは、まだ心の中で整理が着いていないことなのだろう、と薫は思った、
自分もつい最近まで、両親の顛末を他人に話すときはそういう顔になったから分かる。
「それから後、色々あって……母も病気で伏せって、妹たち、弟たちにはせめて出世の糸口にしておく為にも、学問を学ばせておきたいと、思ってところシムト殿下が私を見いだして下さったのです」
確かに、エストのシムトに対する態度やまなざしは忠実な家臣で、その辺はアドネも同じだ。
「訓練とか、したんですか?」
「ま、まあ……二年ほど、さるところで剣と鞭を学びました。
そのときはまだアドネが私の武騎人になるかどうかは決まってませんでしたし、女は中距武器を持った方が楽なことが多いので」
「へえ……」
武器、といえばすぐに拳銃だのライフルだのが連想されるような薫にとってそういう考え自体が初めて聞くものだった。
「雷使いになる、っていうのはその頃から?」
「ええ、父が……炎使いだったので、それは嫌だったんです」
色々とあるらしい横顔。
「カオル様は何故、風を選んだんですか?」
「母さん……いや、そのえーと母は炎使いだったんですけれど、どうも炎とか、雷とか水とかって下手なのが使うと周りが大変なことになりそうだなあ、って……考えてみれば風だってかまいたち現象とか起こせるから大変な事にかわりはないんですけどね、あはは」
そういえば、自分が風を選んだのは何故だったのだろう……あまり深く考えたわけではないが、何か理由があったような気もする。
そうだ。
「それに、なによりも……風が好きだったんです。
どこまでも行けそうで」
「?」
「なんとなく、自由って感じがして。
優しい感じがして」
きょとん、とした顔でエストは薫を見つめていたが、やがて、ゆっくりと深い笑みがその顔に刻まれた。
「やはり、カオル様は私が思ったとおりのお方です」
新宿東口にあるビルとビルの間にひっそりある隙間の行き止まり。
チビバルが出てきたあの場所から三回ほど経由してたどり着く場所である。
「やれやれ……ていやっ」
ジャングルブーツの靴底ががしっと壁を蹴った。
それだけで壁に描かれていた魔法の紋様は削られて効力を無くし、ただの壁の落書きへと転じてしまう。
実は描いたマジックインキには特殊な「保護」魔法がかけられていて、蹴るどころか工業用洗剤、あるいはビルの塗装すら剥がす工業シンナーさえも受け付けないはずなのだが。
「ったく、空間転移の魔法陣なんてバカスカ作るんじゃないわよ、っとにぃ」
ため息をついて、ふわふわのエプロンドレス姿の少女はため息をついた。
ピンクと白とフリルの塊な衣装は、下手な人間が着用すればそれはもう見ていられないものの筆頭だが、足下こそ頑健そのもののジャングルブーツながら、その着用者は金髪碧眼の見目麗しい……少なくとも写真のモデルにされてもおかしくない美少女だ。
ただし、その頭には黒字に金のラインが走った丸っこい、鳥のくちばしを叩ききったようなひさし部分がとがった兜、しかも猫耳つきが装着されている。
「よその世界の連中ってのはもー、本当に魔法が普通だと思ってるから困るわー……さっきからこの周辺でも幾つか使われてるみたいだし」
十代前半の顔を、大人のような呆れた表情にして、少女は腕組みをした。
ちなみに背中からは長い棒の先に大きな手袋をつけたようなものを斜めに差している。
その小さな身体が、一瞬にして反転していた。
振り向く動作は、おそらくこの場に誰か第三者が居たとしても目撃は出来まい。
まるで振り向く動作の部分をカットしてつなげたように、少女は自分の入ってきた路地の入り口に対峙していた。
口元に苦笑を浮かべた影は、少女の側からは背後に光を背負う形になっていてディティールは分からない。
だが、大男だった。
身体を斜めにしてもこの路地に入ってこれるかどうかを心配せねばならない。
秋口とはいえ少々大げさなトレンチコートの肩口が破れることを、ではない。
むしろその肩口に左右のビルの壁が削られてしまうのではないか、と。
それほどに男は大きく、厳つく、鍛え上げた肉体をしていた。
二秒ほど猫耳少女はその姿を前に首をかしげていたが、はた、と手を打った。
「ああ、セルゲイ・リコンスキー大佐!」
「元大佐、だ」
男の口元にほろ苦いものが浮かぶ。
「おかげで無事に依願退職できた」
ため息混じりに少女は言い、肩をすくめた。
ちなみに今、ふたりの間に交わされている言葉はロシア語である。
同じくロシア語を返す陰へ、
「久しぶりねえ。
えー、三年?」
「二年だ。
クロアチアで分かれて以来になる。
あのときは世話になった」
「なーに、いいってことよ。
事のついでだっただけだし、あんたにはチェブラーシカのグッズで世話になったしね」
「しかし、あんなものでよかったのか?」
「いいのよ。
この世に四つしか現存してないロマン・カチャーノフお手製の最初の撮影用の一体なんて芸術品、預かるだけでも光栄ってものよ」
「で、なんでここにいる?」
「仕事よ……変なのが最近こっちの世界に流れてくるモンだから、そろそろ注意しておかないと、ってことで……そっちは?」
「仕事だ」
「珍しいわね、もうオセチアから南じゃ仕事しないんじゃなかった?」
「この世界不況ではそうも言っておられん。
それと……義理も絡んだ仕事でな」
「義理ねえ……」
ロシア語で言う契約ではなく日本語で「ギリ」と言ったことに少女は苦笑いを浮かべたが、だらんと両手の指を広げていた、背中の棒の先にある手袋が、不意に拳を作ったかと思うと人差し指を一本たてた。
「?」
ひょい、とある方向を指さす。
「……あっちかぁ」
少女はちらりと肩の上に見える手袋を観ると、ため息をついて歩き始めた。
「ちょっとひと言いってやらないとねえ……悪い、じゃ、急ぐから」
「うむ」
「またそのうちにご飯でも食べようよ!」
「分かった、連絡を待つ」
そう言って、小さな影はジャングルブーツの足音も高く路地を出て行き、そのまま巨漢とすれ違う直前、ふっとかき消えた。
そのまま少女が直進すれば当たったであろう胸の辺りを撫でながら、巨漢は苦い笑いを浮かべた。
「どうやら、相変わらずこの島国は安全かつ危険な国らしいな」




