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「え、えーと……こ、紅茶でいいですか?
それともコーヒー?」
「あ、いえあの……そので、ではその紅茶の方を」
言いながら、エストは何とも言えないもどかしさの中に居る自分を感じていた。
つとめて素直に、素直になろうとしている自分の外側では少しでも好かれようと、おとなしい娘を演じている自分が居る。
(どうすりゃいい?)
弱ったことにどちらの自分も完全な「演技」とは言えないのである。
時には傲岸不遜な「女王様」を演じ、その役に食われないための本来の自分……どちらかと言えば穏やかに日々を暮らし、そこそこに母と妹たちを食わせてやれればそれでいいという苦労人の素顔を維持する。
そうして生きてきた彼女だが、さて「本当の自分」がどちらかは自明でも「信じてもらえないのではないか」という不安がつきまとう。
(……アタシらしくもない、いったい、どうしちまったっていうのさ?)
はすっぱな言葉遣いを脳の中で使っても、どうにもならないことに代わりはない 。
しかも……弱ったことに、これがどうにも窮屈な分、同じぐらい……いやそれ以上に楽しくもあるのだ。
自分の好きな人だけに自分の弱い部分を見せることが出来る……その安心感と、安堵、そして、嫌われているわけではないらしいその態度だけで嬉しい。
映画に関しても自分の好みを優先してくれたり、自分をエスコートしてくれたりするのが嬉しい。
「ケーキ、いかがですか?」
「あ、はい、い、いただきます……」
こっくん、と頷く。
自分の好みを優先してくれているのは、 自分を見ていてくれているからだ。
考えていてくれているから。
それが嬉しい。
そのことが、気絶したくなるぐらい、甘美な電流を、断続的にエストに与え続けていてくれる。
少年が口を動かすたび、こちらを見てくれているたび、話しかけてくれるたびにその稲妻は彼女の背中を走り抜け、それだけで軽く意識が遠のきそうになる。
雷を使う女騎士は、今、恋の中に居た。
「ふむ……あれがエストか、言われねば私の知っている人物と同一とは思えぬ」
「殿下、お声を低く」
「うむ」
この喫茶店は真ん中から大きく吹き抜け状に半地下となっていて、そこにもまた座席がある。
シムトとエストの武騎人、アドネのふたりはそこから大胆にもエストと薫の様子をうかがっている。
ちなみに、シムトは革のジャケットに手袋、バンダナにジーンズ、サングラスというハーレーに乗らないハーレー乗りのような格好で、アドネもまた、いつもの銀色の髪を巧妙に上から金色のウィッグを乗せることで隠し、同じようなバイカースタイルである。
これぐらいではたいして目立ちもしないのが新宿という街の特色でもあった。
薫の家からこの新宿までは電車を乗り継いでもだいぶかかる距離であるが、どうにかしてこの主従は驚くほどの短時間で、しかも変装までしてたどり着いたらしい。
「しかし、エストは苦労しているようだなぁ……カチカチではないか」
「はい、決闘のことはともかく、恋の戦に関しては、我が主は残念ながら素人同様でございますから」
「なるほど……ある意味、それでも初陣が飾れるだけ羨ましい」
ぽつり、とシムトは呟き、はっと我に返って慌てて頭を振った。
「そ、それはともかく、これから普通、逢い引きというのはどうなっているのだ?」
「はい、この世界における逢い引きは、そのままですと会話ののち、食事へ赴き、場合によってはそのまま夜をともに」
「何?」
思わず声が裏返りそうになり、慌ててシムトは口元を押さえた。
「それはいかん、いかんぞアドネ!
まだ婚約も交わしておらぬ男女が、一夜をともにしようなどと!」
「ですが、明日をも知れぬ我らにございます、手順を踏んでいては、いつになるか……その間にことが動けば」
アドネの言葉に、シムトは沈黙した。
その通りなのだ。
彼ら主従三人は、すでに帰る当てのない流浪の民であり、そして同時に、支配者の変わったかつての故郷へ反旗を翻した裏切り者なのだ。
今のところ小康状態を保っているが、いつ、本国から刺客の手が伸びてくるとも限らない。
そうなったら、思い出作りは急ぐべきだというアドネの言葉には説得力があった。
「……そうだな、忘れてしまっていたよアドネ、ここは戦場なのだったな」
「はい、殿下」
ほろ苦い笑みを口元に浮かべつつ、シムトは出されたコーヒーを優雅な手つきで口に運んだ。
「インスタントとやらもいいが、やはり本当に挽かれた豆で淹れるこのコーヒーとやらはよいな」
「はい」
アドネも落ち着いた笑みを浮かべながら頷く。
両者の問に置かれた小さな、しかし丁寧に磨き上げられたジッポーライターに映るエストと薫の背中にそのまま目を落とす。
「チーズケーキ、おいしいですか?」
自分の分は取らずに(この辺、かつてデブだったころのダイエットでついた癖だったりする)エストの食べるのをにこにこと眺めながら、薫は少し余裕を持って尋ねることが出来た。
「は、はい」
こくん、と赤毛の美女が頷く。
(不思議だよなあ)
つい数日前まで命がけの死闘を演じた相手が、こんなにもかわいらしい一面を見せてくれている。
逆を言えば、こういう人物がああいう態度を見せねばならないほどに、国交決闘というのは本来、凄まじいものなのだろう。
よくもまあ、自分は勝てたものだと思う……もっとも、完全勝利、というわけではなくて、一時勝利にしか過ぎないのだが。
(……)
ふと、薫は居住まいを正した。
そういえば、そろそろ訊いておかねばならない。
「あ、え、えーと、その、エスト……さん」
「は、はいっ!」
半分も食べていないケーキを放り出すようにして、エストが背筋を伸ばしてこちらを見る。
「そ、その……あの……お、お話があるんですが」
「は。
はい」
「そ、その、だ、大丈夫でしょうか、今……」
「はい、はいっ!」
かくこく、と赤毛の美女は頷いた。
「そのお、お返事とか、その辺はまだその、今出すのはえーと、難しいというか、何というか、僕はその、女の人とこういう風なおつきあいというのは初めてで……」
「はい」
少し、諦めたような顔になるエスト。
どうやら気を回しすぎていると気づいて、少年は慌てて手を振った。
「あの、ち、違います、お断りとかそういうのを前提にしているわけではなくて……ですね」
安堵のため息がエストの口から漏れた。
「はい」
「で、ですから……あの、先ほどのお話だけ……いえ、お話ですが」
「あ、は、はい」
このとき「実は告白されてすぐに気絶して、すべて忘れておりました」と言えば、少年の苦悩は一時延期されていたはずなのだが、 真っ正直な性根がこういうときにそんな「逃げ」を許してはくれない。
「あ、あのえーと、そのな、なんで僕、なんですか?」
それは、一番聞きたいことだった。
エストは背が低くて、女っぽい顔で、男らしいどころか女装が似合うような体つきで、おそらく戦神騎士としても、腕前は遙かに及ばない。
何よりも覚悟が違う。
自分は、たとえ相手が自分を足蹴にし、罵り嘲笑するような相手でさえ、本当の意味で憎みきることも、とどめを刺すことも出来なかった。
それが物語の主人公としてならばともかく、
「はい……」
真っ赤になって、エストはうつむき、自分の膝頭を見つめていたが、
「か、カオル様はお強くて……その、私が今まで出会ってきたどの殿方よりも、心意気があらせられると、その……思いました」
(心意気?)
それが、何を指し示す言葉なのか思い出すのに二秒ほどかかった。
自分から最も遠い、男らしい言葉だ。
「心意気……」
「はい。
女を守ってくれる、支えてくれる殿方だと思いました。
そして、私よりも強くて、優しいと」
いったい、この美女は誰のことを言っているのだろう?
嬉しい、という感覚はなかった。
自分はひどくみっともない、ジタバタしているだけの存在だという認識が、薫にはある。
「えーと、その、え、エストさん……それはその、僕をひどく誤解していると思います。
その、えーと、僕はもっとその、流されるだけですし、ジタバタしてて、国交決闘だってそのいつもいつも……何とか勝ったり負けたりしてるだけで」
「カオル様は、自分を低くお見積もり過ぎです」
顔をあげると、エストはまっすぐに少年を見つめていた。
「いや、あのでもそれが正直な話で……」
「いいえ」
エストの顔は冗談でもなければお為ごかしを言っている顔ではなかった。
ほんのりと上気した顔には、子供がテレビの中のヒーローを見るような真摯さがあった。
それまでの、少々他人行儀な呼び方である「殿」が少し前から「様」という、僅かに近づいた呼称になっているのは、この為の覚悟だったのかもしれない。
「そんなことはありません」
「……」
自分を無理矢理定義されるような乱暴きわまりない話だが、不思議と不快さは感じなかった。
「その……わ、私はこういう女ですし、以前はカオル様とは敵同士ですし……私を今すぐ好きになってくれとか、夫婦の約束を交わしくれ、とは申しません。
ただ、その……私は、カオル様を知りたいのです。
カオル様に、私を知って欲しいのです」
これがあの、一度は自分を踏んづけて高笑いしていた女王様だろうか、と思う。
まるで、自分より年下の少女のようにまっすぐだ。
「ご迷惑でしょうか?」
「あ、いえ……」
少年は、思わずそう応えていた。




