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「……静かだな、アドネ」
「はい」
「むごごーっ!」
背後からあがった否定のくぐもった声に対しては完全に無視を決め込んで主従は続ける。
「静かですね」
「むごーごごごごーっ!」
「あーもう、うるさいのう楓、あんまり揺らすでないわ」
がっごっ、という意外に重くて鋭い音がして、斎京楓の声が途絶する。
「……それにしても静かだな」
シムトが繰り返した。
「はい」
その静寂を壊さぬようにアドネがまた応える。
「……エストは上手くやっているだろうか?」
「便りがないのはよい便り、と申します。
殿下」
「だが、ひとつ訊きたいが、エストはこれまで男とつきあった経験はあるのか?」
「いえ。
ああいう役を演じておられましたから、これまで殿方の方から敬遠こそされ近づくことはなかったかと……また本当の御気性はご存じの通り、ですので」
「ふむ……心配だな」
何も応えず、ただアドネは小さく片眉をあげてシムトをさりげなく上目遣いで見つめた。
「お前も心配ではないか?」
僅かに同意を求める声色がシムトの声に混じる。
「……はい」
たっぷり二秒の間をおいて、アドネが頷く。
「そうか。
では様子を見に行こう……案内いたせ」
「御意」
主従あらため共犯者ふたりは立ち上がった。
「ぬ、ふたりとも何処へ行くのじゃ?」
「お土産を買って参ります、新宿方面ですので洋菓子系になるかと思われますが、戦乙女さまにおかれましては何かご所望のものは?」
「おお、ならばこの前買ってきてもらった銀座何とか堂とかのカレーパンがよいのう、あとシシカ・バブーとやらも頼みたい」
食い意地が張っているくせに名称を間違って覚えているチビバルに対してそれを指摘することなく、
「はい、ではかならず三つずつ買って参りましょう」
とアドネは丁寧に頭を下げた。
「うむうむ、期待して居るぞよ」
にこにこと、満足げに槍を持った手を振るチビバルの下では、こめかみに鋭い石突きの一撃を食らった楓が白目を知いて気絶しているが、この場の誰もそれを気にかけていない。
意外なことに映画は良心的な代物だつた。
無理矢理盛り上げる音楽も、役者の大芝居もなく、ただ淡々と、移りゆく季節の風景と成長していく子犬、その飼い主である子供のふれあいと、見守る大人たちを描いた作品で、最後は登場人物は(犬も含め)誰も死なず、さくらの花散る中、老いた犬と中学生になった少女が寄り添うように歩いていく姿で終わった。
「ああ、よかった」
思わず、自分がそう呟いたのかと思ったが、声の主は隣の美女だった。
本当に安堵したようにひとつ開けた隣の席に座ったエストは目を閉じ、微笑んでいた。
「そうですね」
そう言うと、美女はびくっと少年の方を向き、驚いた表情になって慌てて顔を覆った。
耳まで真っ赤になっている。
「いや、あのえ、あ、その……」
自分よりも年上なのに、エストは完全に混乱しきっていた。
本当に初対面の時、鞭を振りかざし、シャルロットを追い詰め、また自分を国交決闘の際に足蹴にしたあの女性と、目の前の人物は同一なのだろうか。
(悪い人じゃないんだな)
改めてそう思う。
あの態度は自分がそのときの彼女にとって「敵」だったからなのだろう。
同時にあの姿もまた、「敵」に見せる姿なのだ。
では味方に対しては……それが今の姿だ。
おっかないとか、裏表がある、と薫は思わない。
何となく「そういうものだろうな」と思う。
自分だって、敵対していたエストからみれば、同じようなヤツだったに違いない。
(あれ……じゃあなんで、あんなことを?)
味方になったから好きになったというわけではあるまい。
だとしたら、何故?
「ああ、よかった」
エストとまったく同じ事を言っている女性がここにもひとり。
薫たちからはやや右斜め後ろ、見下ろす位置にいる三人の少女のひとり。
ニファーリアである。
「この前見た子犬のテレビみたいな最後だったらどうしようかと」
「本当でございますねえ、姫様」
その隣で同じように感動の面持ちでハンカチで涙をぬぐっているのはシャルロットだ。
薫たちの後を追って入ったはずの映画館で、すっかり巨大な画面と音響、そして初体験の映画に夢中になってしまったのだ。
「ちょっとふたりとも、何感動してるの、ふたりが出るからもう少し間を置いて追うわよ」
「真衣さんは感動なさらなかったんですか?」
「私の魂を揺さぶってくれる映画を撮ってくれるのは邦画だと三池崇史、外国じゃタランティーノと『300』の監督ぐらいなの。
小説は楓ちゃんに捧げてるし」
どうやら真衣は、見かけによらずマーベラスな映画が好きらしい。
「?」
首をかしげながらもそれでもハーフエルフと武騎人の主従は本来の目的に復旧した。
「そ、そうでした、我らは騎士殿の清い交際を見届けねば!」
「こ、交際……」
びく、とつい反応してしまう主の理由を、単純に「男女のことを口にするのは高貴の人は恥ずかしいと感じるから」とのみ思い込んでいるシャルロットは、しかしそれを口にするのは臣下のつとめの一つ、とばかりに、ニファーリアの代わりに顔を赤らめながら、
「そうです、はしたなくも手など握ったりその……せ、接吻などせぬように」
「せ、接吻!?」
ニファーリアの頓狂な声に、シャルロットは恥じて顔を伏せた。
「自分たちが普段からキスしたり同居してたりすることはスルーなのね」
面白そうな、呆れたような顔で真衣が呟いたが、幸い気づかぬまま薫たちがドアをくぐって出て行くのを確認すると、
「さ、追いかけるわよー」
とふたりを促した。
さて、映画の上映時間中はよかったが、その後となるとあれこれと親睦を深めねばならない。
その場合は何がもっとも適切かと言えば、もちろん食事である。
「あ、あのエストさんは、何か、食べたいですか?」
親密な相手との距離は一メートル以内という。
不思議なもので、薫とエストの距離はその一メートルほぼきっちりを保っていた。
どちらともなく、そうなってしまっている。
「そのアタシ、そ、そういえばそういうことはあまり詳しくなくて」
これは半分本当だ。
今日のこの日まで、エストが外出するときは、大抵は普段の自分に「似合わないもの」を買うためなので、食事するほどの余裕は、時間的にも精神的にも殆ど無い。
この前楓たちととある喫茶で出会ったのはその買い物の金額と完成度への期待が大きすぎて、さすがにひと息入れたくなったからだ。
第一、貧民街で暮らした時期の長いエストにとって食事は最低限、あるいは少しでも多くを確保するか、という「栄養補給という行為」ではあっても、「美味いものを」という概念で飾られるものではない。
アドネによって作られる食事は確かにうまいのだがこれは逆に「誰かと楽しむ」という要素にはだいぶ欠けている。
まして自分の気になる異性と、となると。
「あ、アタシはその、カオル様がよければ……」
「えーと、じゃあ……」
と考えたものの、少年だって経験は皆無だ。
(こういう場合、やっぱファーストフードはおかしいだろうなあ)
それぐらいの常識はさすがにあった。
(でも、高級料理店ってマナーが厳しそうだし、第一持ってるお金で間に合うのか……)
「あ、あのカオル殿、よろしければ一度、是非行ってみたいところがあるのですが」
消え入りそうな声で、エスト。
「?」
「その……笑わないでくださいますか?」
「定番で行くと、ここでファミレスだけど慣れ親しみすぎてる場所だから、えーと多分そうね、薫君が引っかかりそうな所は『ライオンガード』あたりかしら?」
今日の真衣はまるで斎京楓が乗り移ったかのように大胆かつ適切な推理を働かせていた。
靖国通りを西へ歩きながら、左手に見えてくるコンビニの角を左へ曲がる。
そのまま進むと、少年と赤毛の美女は日本料理屋の手前にある小さな喫茶店へ脚を踏み入れた。
「ああ、くるま屋に行くと思ってたら、珈琲屋さんかーそうかー。
定番だものね、喫茶店」
「そういうものなのですか?」
何しろ中世世界から来ている上に、男女の駆け引きなどと言うものは物語の上でも滅多に見かけない人生を送ってきたニファーリアである。
シャルロットも主の言葉を遮らないところを見ると、同じく興味津々らしかった。
「うん、そういうものなのよ。
まずはお茶で互いの様子をうかがいつつ、色々四方山話をして、それから時間が来て、本格的におなかがすいたらご飯。
喫茶店はそもそもおしゃべりする場所だからね」
「……そ、そうやって親睦を深めていくのですね」
拳を握りしめ、ぶんぶんと頷くニファーリアに微苦笑を浮かべながら真衣は「ええ、 そうね」と頷いた。
「ついでに言うとね、男の子は大抵この手のリードはへたくそなんだから、女の子がある程度組み立てておかないと駄目なのよ」
「でもその場合ははしたなくないでしょうか?」
「男の子がはしたないと思わなければいいのよ」
と真衣は随分大胆なことを口にし、
「しかし、弱ったわね……あそこは狭い上に見通しがよすぎるのよね……下に行けばともかく、上だったら……いやきっと、上でしょうね。
下の方に行くほど通じゃないでしょうし」
「?」
「ああ、あの喫茶店は半分地下になってて、そこへあのふたりが移動すれば楽なんだけど、上だと私たちの隠れ場所がないの……仕方がないわね」
呟くと、真衣はごそごそとスカートのポケットに手を入れた。
「ちょっととここで待ってて、あの喫茶店の窓ガラスに盗聴器、仕掛けてくるから」
「あ、あのう……」
すまなさそうにニファーリアが手を上げた。
「特定方向の音を拡大するなら、私、魔法が使えますけれども」
「ああ!」
ぽん、と真衣は手を打った。
「そういえば、ニファーリア、魔法使いだものね!
OK!
よろしく是非お願い!」
そう言って真衣はふたりをその斜め向かいにある別の喫茶店へとつれこんだ。




