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「ふごー!」
「ふむふむ、楓の胸の上はほどよく平らなので気持ちがよいのう」
猿轡をされた上、手首と足首をまとめて縛られた格好のまま、道場の片隅に転がされた斎京楓の胸の上。
そこで異世界から来た戦乙女がこの世界で「色々あって」縮んだ姿、通称「チビバル」がゴロゴロとしている。
「ふごごごごごーごごごお!」
どうやら「ほどよく平らとは何よ!」と言ってるらしいが、シルクの布で作られた猿轡がしっかりはまっているので意味をなさない「ふごふご」音になってしまうのは仕方がない。
なおも縛られた状態でジタバタする斎京楓の側では、まるっきり関係のない、ゆったりとした時間が流れている。
板の間であるのを幸い、そこには中古ではあるがよく手入れされたソファとテーブルが持ち込まれ、パーテーションによって幾つかの部屋に区切られていた。
「アドネ、よいのか?」
「はい、構いません殿下。
我が主の恋の邪魔をするものはこの際排除すると決めておりますので」
「恋、か」
うっすらと微笑みながら男装の美少女、シムトは銀の髪の美女から注がれたコーヒーを口に運んだ。
「ほう、これはよいな。
この軽みというか、質素さというか。
お湯を注いで数秒でできあがるとは思えぬ」
「はい。
それゆえにこちらの世界では長く売れる良い品とされているそうで」
インスタントコーヒーを飲みながら、シムトは頷いた。
「これからは色々切り詰めねばならぬからな……本式の黒茶を喫したりはそうそうできぬ。
アドネ、良い物を探してきてくれた」
「は、光栄でございます殿下」
「ふごごご、ふーごごご、ふごー!」
どうやら「人の話をきけー!」と言ってるらしいが、主従は関係なしに会話を続けている。
「これ、カエデ、そんなに動くな、寝づらいぞよ」
とんとん、と手にした槍の石突きで、楓の胸をつつきながらチビバルが勝手なことを楓に言った。
「ふごー!」
「うるさい」
ぽかこ。
石突きが楓の額を強打し、さすがに小さくなっても神の娘の一撃らしく、楓はそのまま失神してしまった。
「やれやれ、これでようやく眠れるぞよ」
ふああ、と大きくあくびをすると、チビバルは少女の果てしなく平らに等しい胸の上で子猫のように丸くなって目を閉じた。
「お……おまたせ……しました」
聞き慣れているようで、慣れていないおずおずとした声に薫が振り向くと、そこには赤毛の、地味めなスカートと上着に身を包んだ女性が立っていた。
前髪をあげ、ヘアバンドでまとめ、髪も後ろで縛ったその姿は、髪の色をのぞけば、画材店か本屋が似合いそうな文化系少女そのものだ。
実年齢よりも五歳以上は若い……見方によっては、「大人びた薫の同年代」と見ることも出来るかもしれない。
「あ……え、エスト……さん?」
「はい」
こっくり、と少女は頷いた。
「いやあの、アドネに見立ててもらったので、少し変かもしれないのですが、あ、あたしはその、本来こういう格好の方が楽で……好きで……」
真っ赤になって少女はうつむいた。
化粧を落とし、年相応の格好をしてみると、なるほど、確かに自分より少し年上の女性というのは納得できた。
「お、おかしいでしょうか?」
上目遣いどころか、じっと足下を見つめたまま、少女は言った。
「い、いえ、ぜ、全然、全然大丈夫です!」
慌てて、薫は全力で彼女の後ろ向きな意見を否定した。
「似合ってます、可愛いです!」
素直ににそう言った。
ようやく、エストの顔がこちらに向けらられる。
「あ……ありがとうございます」
なるほど、以前祖母が「女は化粧で化ける」と言っていたのはこのことかと理解する。
つまり、今まで自分が見ていたエストは演技だったということだろうか。
(だとしたら、アレを演じなくちゃいけなかったってのは……本当に大変な事だったんだろうなあ)
それが「地」であると他人からすっかり認識されるほどに「役を演じる」というのは、現実の俳優でさえ精神的にネガティブなものがつきまとう。
勝手に「思い込まれ」その「思い込み」に従って振る舞うように強制され、強制がいつの間にか「地」になる……。
何となく「美少年だから」とあれこれ強要され、騒動に巻き込まれる自分の身の上と照らし合わせると、とても他人事とは思えなかった。
「じゃ、じゃあその、え、映画、行きましょう……か」
「は、はいっ!」
カクカクというよりも「かくこく」、というぎこちなさで赤毛の少女は頷いた。
「ぬ、移動を始めましたぞ姫」
シャルロットの言葉にぐぐっと上半身が動きかけたニファーリアだったが、
「そ、そうですか」
と素知らぬ顔で前を向くとはいえ、それでもちらちらと視線が階下のふたりへ向いてしまうのは仕方のないところであろう。
「で、どっちへいってる?」
真衣はニファーリアと違って余裕を持って「あえて見ない」態度で訊いた。
「今、信号を斜めに渡った」
「ああ、じゃあ映画の方ね」
「映画?」
シャルロットは首をかしげた。
少し真衣は考えて、
「テレビのデカいのよ……じゃ、行きましよ行きましよ」
そう簡単に説明し、意気揚々とシャルロットの手を引っ張って歩き始めた。
「薫君の性格からすると、ラブロマンス直球じゃなくて、アクションものかかわいい系のコメディに逃げるはずだから、たぶんこっち」
どうやら真衣の脳内にはすでに新宿の地図がインプットされていて、さらに薫の行動パターンまで把握しているようだ。
「でも、よ、よろしいのでしょうか」
落ち着かない表情でニファーリア。
「何が?」
「いえ、そのさ、カオル様の個人的な事情に……」
「もう、何言ってるのニファーリア」
よもや、カオルがニファーリアに個人的に告白しているとは思いもよらぬ真衣はにっこりと人の悪い笑みを浮かべて言い切った。
「この状況はどうみてもお見合いじゃない!
お見合いには仲人が必要なのよ、私たちほどあのふたりにふさわしい仲人が居ると思う?」
「え?」
思わぬ言葉に、ニファーリアはぽかんと口を開けた。
「お見合い?」
「えーと、こっちの世界にはそういう風習があるの、あとで説明したげる、ささ急いで!
映画館のいい席をとらないと!」
むろん、この場合の「いい席」というのは決して映画館のスクリーンを見る上で、という意味ではない。
「仲人……」
「ひ、姫様とりあえず急いでくださいませ!」
真衣に引っ張られる形になっているシャルロットがさらにニファーリアの腕を引っ張る。
複雑怪奇な感情が絡み合って「呆然」という表情を浮かべたハーフエルフの少女はまるで人形のようにそのまま電気屋のエスカレーターを駆け下りていく。
(えーと、こういう場合、やっぱ恋愛ものなんだろうか?)
相思相愛……少なくともこちらから一方的にでも好感を持っているのであれば、薫にだってあれこれ考えは浮かぶだろう。
が、この状況においてはあくまでも「お互いをよく知るための」デートであり、映画鑑賞なのだ。
だとすると、「相手と一緒に見たい映画」ではなく、「相手が不愉快にならない映画」を選ばねばならない。
この辺が「まあこんな感じで」とひょいひょい選べれば苦労はないのだが。
(どの映画も女の子が『かんどーしましたー!』って言ってるだけで男はわかんないんだよなあ)
薫も映画に興味がないわけではない。
だがここしばらくの出来事は映画どころの騒ぎではなかったし、かといって自宅で自分の見た中から選んでお茶の間で、となればそれはそれで失礼すぎるだろう。
(第一、おじいちゃんたちからお小遣いもらっちゃったしなあ)
それも、正月でもなければお目にかかれない金額で、だ。
『まあ、映画を見てお茶を飲んで、公園をぶらついて自分たちについて語り合って帰ってこい』
と薫の祖父はあっさり言ってくれたものだが、祖母に至っては
『帰りは遅くなってもいいのよ』
と何か含むところがありすぎるというか、理解が深すぎるひと言を添える有様だ。
(……って言われてもなあ)
正直、薫としては途方に暮れる以外の選択肢がないが、それでも時間が流れ、場所も流れて映画館の前まで来てしまった。
昨今流行の複合映画館施設であり、今上映しているのは、いかにもデートに合わせるための恋愛映画が一本、アメリカンコミックスが原作のアクション映画が二本、ハートウォーミングなコメディ映画が一本、そして動物ものの映画が一本。
(素直に相手に訊いた方がいいのかな)
思いながらふと見ると、エストはじーっとある映画のポスターに引きつけられたようになって動かない。
動物もの……それも、子犬が大きな帽子の中からひょこっと顔を出しているようなポスターである。
目を輝かせ、印刷物の子犬に微笑みかけている表情は、ひどく彼女を幼く見せていた……
(可愛いなあ)
素直に、薫はそう思う。
本当に、今まで見ていたエストの姿は「営業用」だったのだろうと思う。
「えーと、エストさん、その映画で……」
少年の言葉に、はっとエストは夢見る少女の顔から真面目な……とはいえ、それすら薫はこれまで見たことがない穏やかで真面目な顔になって、
「い、いいえ、そのカオル殿?
だ、だ、大丈夫です、あ、アクションものへ参りましよう!」
男の子はアクションものが大好きという常識は一応彼女の中にもあるらしい。
にもかかわらず自分の我を通すのではなく、合わせてくれるというのが少し、薫には嬉しい。
「いや、いいですよ。
僕も動物ものは好きですから」
実を言えば動物もの映画は必ず「泣き」に走るからやや苦手ではあるのだが、こういう場合女性に合わせるべきだろう、とは薫も思う。
「じゃあ」
そう言ってチケットを二枚買う。




