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気がつくと、新宿の雑踏の中でぼんやりしている自分を薫は発見した
いささか大げさな表現ではあるが、そう言うしかない状況なのである。
日時は日曜の昼下がり。
服装はダイエットのおかげでぶかぶかになったタンカーパンツにスニーカー、上は同じくだぶだぶになったTシャツという、ややストリート系な格好だ。
それも、ボーイッシュな少女が精一杯つっぱらかってそういう格好をしているようなほほえましさがある。
世界有数の雑踏のなか、一応、それなりにめかし込んだ格好で少年はぽつねん、と駅出口側の公園というには殺伐として、催事場にしては小さすぎる東口の広場に立ち尽くしているのだ。
(えーと……)
ただし、本人の意志と言うにはちとほど遠い事情があって、流されるしかも春の小川に、とかではなくアマゾン川で数年に一回発生するという、大逆流もしくは鉄砲水に流されるような怒濤の状態でここまで来てしまった。
そして、彼を残して水は引いてしまったのである。
昨日のことだ。
少年は生まれて初めて、しかも意外な人物から「告白」された。
相手はエストといい、つい最近まで少年と命がけの死闘を演じたその相手である。
年齢は二十二 (!)、真っ赤な長い髪を腰まで伸ばした、切れ長の目で抜群のプロポーションをさらけ出すような服を好んで着るような……世間様では踏んだり縛られたりお熱いのを垂らされたりすることに人生の喜びを見いだすヒトならば同じ重さの金塊と取り替えにしてでもその足下に、と望むようなタイプである。
紆余曲折あって、エストは結局、薫との戦いに負け、その主もろとも薫とその祖父、および少年の形式上の「主君」であるニファーリアというハーフエルフの王女の庇護の下にあるのだが。
その彼女が、いきなり「好きです、結婚を前提としたおつきあいをしてください!」と言い出した。
ちなみに、薫はこの一連の騒動が始まる前に、ある少女に告白し、フラれているのみならず、以前は身長百六十センチ、体重百十キロという、いわゆる「デブ」……それも少しオタクの入ったデブという、女性に縁が無いと言えば確かに無さそうな体型だったというのもあって、告白なんてむろん、されたことがあるはずはない。
で……これは今のところ、当人しか知るもののない話だが……間が悪いというか、何というか、エストの告白の少し前、騒動が始まってすぐに、少年は自分の主君であるニファーリアに対して告白している。
その返事はまだもらっていない。
……とまあ、色々ややこしい事情があって、エストから告白された瞬間、薫の意識は強制終了の憂き目となったのである。
で、目が覚めると情けなさそうな祖父の顔があり、「とりあえず、よく知り合うことから始めるんだな」と映画館の共通チケットを二枚取り出し、さらにその上に正月と夏に短期間行うアルバイト以外では滅多にお目にかかれない高額紙幣を三枚、添えた。
「場所は新宿、映画を見て、食事でもして、これからのことと自分のことをしっかり話し合ってこい」
なんとも複雑な顔をして言う祖父の「決定事項」に従ってしまったのは我ながら情けないが、女性に対し、実は殆ど免疫のない少年を誰が責められようか。
「いやあのでも……」
「女に恥を掻かせたんだ、それなりに報いてやらねば男の恥だぞ」
と男としては大先輩の祖父に言われればぐうの音も出ない。
あとはただ、ぼんやりと寝、起きて食事をし(幸か不幸か、エストたちは薫たちとは違って、住居として与えられた離れの道場で食事をしているので、顔を合わせずにすんだ)、風呂に入って寝床について……今に至る。
「……何でこうなってるんだろ?」
コケっと少年の首が傾く。
本来、自分はニファーリアに告白したはずだ。
だが、いまのところそれは実を結んではいない。
かつてのように無残にフラれたわけではないが、「はい」という返事をもらったわけでもない。
友人よりは親密だろうが、恋人と呼ぶには距離のある関係が続いている。
つまり、ペンディング中というわけだ。
だから、「僕には恋人がいます」と言って断るわけにはいかない。
とはいえ「いやありがとうございます」とも言えない。
この場合、一番簡単かつ、もっとも穏当、そしてベストと言える返事は「考えさせてください」なのだが、それを言うタイミングを当人の肉体というか、精神のブレーカーが落ちてしまうことで失っている。
タイミングは逸したら待たなければならない。
無理矢理もう一度作るにしても時間がかかる。
(なんか、妙なことになっちゃったなあ)
しみじみと、少年はため息をついた、
以前の学園祭における女装喫茶の女装についてもそうだが、どうもこの少年、勢いで流された後、それを無理矢理自分のほうへイニシアティブを戻す、ということが苦手なのであった。
「エストめ、騎士殿を待たせるとはなんというヤツ!」
薫のいる側からちょっと離れて見下ろす形になるビックカメラの二階、窓際に立った少女がそう呟いた。
銀色の髪、前のひとふさだけが金色に染められていて、その下には意志の強さを感じさせる涼しいまなざし……薫の戦いにおけるパートナーにして唯一絶対の武器である武騎人、シャルロットであるが、一見、彼女と気づく者はいないだろう。
まなざしは大きめのサングラスで隠され、服装もいつものワンピースな短衣ではなく、ジーンズに白いシャツ、その上から薄手のジャケットを羽織った姿だ。
これはこれでますますシャルロットを男装の麗人らしく見せていて好ましい。
「まあ、デートに遅れるのは女の子の常套手段だから」
にこにこと笑っているのは、高校生のクラスにはひとり、必ず居るタイプの「手の届きそうで届かない美人」な容貌をもつ滝沢真衣である。
こちらも休日なのでいつもの制服姿ではなく、カジュアルなパステルカラーをふんだんにつかったワンピースに小さなショルダーバッグという出で立ちである。
「そういうもの……なのですか?」
おずおずと尋ねたのはシャルロットの主にして薫の「名目上の主君」であるニファーリアである。
エルフの血を引くことを示す鹿のような耳は幻影魔法で隠され、いつもの鼻かけ眼鏡も今は真衣が見繕ってきた市販の細いフレームのものに代えられている。
腰まである長い髪も後ろで三つ編みにまとめられ、服装もいつもの高級なドレスではなく、涼しげな水色と白のサマードレスになっていた。
「うん、そういうものなの。
一口にデートといっても、そこから男女のおつきあいは始まるわけだから……えーと、決闘とよく似てるかなあ?」
「そういうものなのですか……?」
戸惑ったような、困ったような、何とも言えない顔でニファーリア。
「まあ、あとはおいおい解説していくから」
どうやらこの三人、薫とエストのデートを追跡していくつもりらしい
「それよりも、よいのかマイ、カエデをあのままにしておいて」
「いーのいーの」
にこにこと真衣は微笑んだ。
「楓ちゃんには作家として、都合よく流れていたものが真逆に変化したときの妄想力をもっと鍛えてもらわないと」
「……」
新宿駅の有料トイレは、金を取るだけはあって広々としていて清潔で、シックな内装も相まって利用者は多い。
その鏡の前で、真っ赤な髪の女性が、気ぜわしげに髪をいじっていた
もう一時間近くになる。
女性のトイレは、本来の用件よりも身支度のやり直しに費やされる時間が七割、残りは同行者との会話、と言われているが、一人っきりでここまで長くなるのは珍しい。
だが、そうせざるを得ない事情があった。
「このアタシが、初めての逢い引きだなんてねえ……」
思わず呟いて、タイハン王国の戦神騎士にして「閃光大剣アドネ」の主にして「雷撃騎士」の二つ名を持つ、エスト・レムリエ・アルメニス。
当年とって二十二歳。
いつも……というわけでもないが、つい一週間、いや数日前まではレザーやラバーを多用したボンデージな衣装に身を包み高笑いとピンヒールがよく似合う「女王様」な姿が主だったが、今は別人のように、おとなしめの普通のスカートに上着という姿だ。
「こっちの方が落ち着くんだけどねえ……」
しみじみ呟く。
だが、この姿を知り合いに見せたことはかつて一度もない。
己の愛剣、武騎人であるアドネにさえ……いや、一度別口で仕事に疲れたOLのように「変装」した姿はあるが、「本来エストがつけていたい服」の姿は見せていない。
それを、これから見てもらう……同じく、つい数日前までは「敵」であった少年に。
「なんで、あんなこと言っちまったのかねえ」
後悔でもなく、かといって純粋に楽しいわけでもない、何とも言えない感情と記憶の入り交じった顔で、 シャルロットはため息をつく。
黙っていると、確かに元々貴族に連なる家系であったというのも納得の深窓の令嬢たる気品のある美しさで、普段のけばけばしい外見が「作り物」であることが分かる。
(でもこっちのほうが作り物に見えるんだろうねえ)
普段からはすっぱな言葉遣いをし、あの衣装を着け、命じられれば、勝つためならば手段をいとわない卑怯な真似すらする女……自分のイメージがそのあたりだろうと、エストは理解している。
実際、故郷でさえそうだし、彼女が本当の意味で敬愛している元第三王子(というか実際には女性なので王女だが)、シムトでさえそう考えているだろう。
アドネは分からない。
そういうことで左右される人物ではないと思う。
あの少年はどうだろう。
(……)
急に顔が赤くなり、エストはぶるぶると頭を振った。
なんで、少年にあのとき、あんな風に「告白」してしまったのか分からない。
ただ、シムトが国を追われ、自分も故郷を失ってでも自分の主について行こうと決めたときにっこり笑って受け入れた瞬間……いや違う。
初めて敗北を喫したとき、じっと自分を見つめる目を見たときから、想いは始まっていたのかもしれない。
己をそれまでさんざん足蹴りにし、罵り、嘲笑した相手(つまりエスト自身だ)に勝ったというのに、一切の喜びが、少年にはなかった。
自分が負けるとき、相手は同じように自分を罵り、踏みにじり、嘲笑と屈辱にまみれさせるだろうという覚悟をしていたエストにとって、それは信じられない光景だった。
彼女のそれまで知っている男たちとは、何もかもが違っていた。
エストの知る限り、男という生き物は、常に女を見下し、利用し、あるいはおだてて自分のものにすることに躍起になり、思い通りにならなければ暴力をふるい、権力で跪かせ、油断をすればこちらの喉笛を噛みちぎり、くちゃくちゃと下品に味わった後は吐き捨てるような連中だった。
そうでなければ己のプライドにしがみつき、すべてを捨て去り、後に残された者の事など考えもせず、身勝手な陶酔の中に消えていく無責任なロマンチスト。
少年はどちらでもなかった。
ただ、悲しそうにこちらを見ていただけだった。
憎しみも、怒りもなく。
ただ、成すべきしただけという満足すらなく。
悲しく、寂しそうに。
勝者の目ではなかった。
その目に、エストは震えてしまったのだ……が、それは努めて意識から外し、次第に忘れていこうと思っていた。
貧民街で苦労し、のし上がってきた女の、第二の本能がそれを忌避したのだ。
それは、上手くいくように思えた。
薫の家の一角を借りたあと、協力者として距離を置きながら……そう思っていた。
何しろ相手はこちらよりも四つも年下だ。
この世界で言えば中世ヨーロツパに等しい常識で育てられたエストであるから、この世界においても年上の恋人や妻というものがあまり喜ばれないことぐらいは理解している。
それなのに。
あの日、シムトの歓迎会を準備している薫たちに家臣として挨拶しようと顔を合わせた瞬間、もう心が止まらなくなってしまっていたのだ。
あとは、何となく話がまとまって、今日、二人っきりで親睦を深めるための散歩、散策……。
(あ、逢い引ききじゃないわよ、絶対、絶対!)
そう自分に言い聞かせる。
だがもう一時間も前から現地に着き、あと一分も歩けば当人に会える距離になっているというのに、エストはこの場所から動けないでいた。
不安だったのだ。
幸せすぎて。
これよりももっと幸せになると言うことがあるのだろうか。
生き延びて、告白して、約束を取り付けて。
ひょっとしたらここがこの幸福の絶頂で、あとは無様で惨めな末路の筋書きが、三文芝居のように展開されていくのではないか。
随分昔、貧民街で暮らしていた頃、芝居小屋に潜り込んで見た芝居の筋書きにもそういうのがあった。
嫁き遅れの貴族の娘をだまして、金を奪い、最後には殺して高笑いする悪党の話……最後にはその妹に復讐されて幕が下りる。
が、自分は長女で、姉で、妹たちがいる存在だった。
ひょっとしたらひょっとしたら。
ぐるぐると心の片隅でそんなネガティブな考えがコマネズミのように回転を続け、エストの長い脚をこの場に固定していた。
(ああ、もう、ったく!)
ぷんぷん、 とエストは頭を振った。
自分がひどく弱くなっていることに気づいた。
それでは駄目だった。
貧民街で山ほど見たではないか。
ここぞというときに踏み出せないヤツが、成功しようがしまいが、結局奈落の坂を転がり落ちていく。
(そうさ、壊れたっていい、踏み越えて……やるさ!)
目を閉じ、開く。
そして、その勢いでようやくエストは自動ドアをくぐった。
三秒後、エストは戻ってきた。
洗面台の上に忘れていたショルダーバッグをひったくるようにして、また出て行く。
いつにない話であったが、まだなお、彼女は動揺しているのであった。




