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遂に破壊に耐えきれなくなって、エストと自分との間に天井が落下してきたのを、メイド姿の薫は剣で切り裂いた。
機械で計測することさえ難しい、ほんの少しの差で、相手は破壊された建築素材が起こした霧のような埃と、相手が作り出した煙幕の彼方へ消えていた。
それまで、まるで何もかも入念な打ち合わせを行ったかのような無駄のない、滑らかな動きをしていた少年の身体が、妙なぎこちなさを示し始めた。
上半身は逃げたエストを追いかけようと前に倒れ込もうとするのに、両足はその場に踏ん張って留まる。
「戦神の調律」状態による無表情、無感動なガラスのごとき目の、開きっぱなしだった瞳孔が収縮したり解放したりを繰り返し、唇がわななく。
「じょ……」
かすれた声が、喉の奥から絞り出された。
「じょ……冗談じゃないってば!」
遂に声が出た。
「このまんまじゃ殺しちゃうじゃないか、相手を!」
少年はそう言って手にしていた「剣」を、いつの間にか何の金具やベルトもなしに腰に張り付いているその鞘へ収める。
かち、と刀でいえば鯉口に当たる部分が鞘と当たった。
鞘ごと剣は薫の腰から離れ、空中に浮かぶと、銀色のメッキをかけたように輝き、次にCGによる変形のようにくにゃりと人の形になった。
水銀のような表面から、浮き彫りになるように先ほど少年と口づけをかわし「契約」をした銀髪の少女の目、鼻、口のディティールが現れ、髪の毛や衣服のディティールが見えざる手と工具を使ったかのように刻まれていく。
銀の彫刻のようになったシャルロットの全体にいつの間にか自然な質感と色が付き、その肢体が空中からゆっくりと床に降りる。
少女のブーツの爪先がフローリングの床についたあたりで、その目が開かれた。
「え?」
きょとん、とした顔で銀髪の少女がこちらを見る。
「騎士殿……ひょっとしてご自分の意志で『戦神の調律』を終えられたのですか?」
その瞬間、一斉に全てが現実になり、少年の中から「万能感」も「知識」と「能力」の確かな実感も消え失せた。
がくっと膝から力が抜け、危うくその場に倒れ込みそうになるのを何とか堪えた。
軽くめまいがして、すぐに元通りになった……そう、メイド女装した、ただの城崎薫という高校生に戻っている。
「あ……いや、その、どうも」
だが、未だに今が現実なのだということが感じられず、少年は間の抜けた挨拶を返した。
一瞬前まで、赤いロングヘアの美女が銀髪の少女を苛んでいて、それを自分は止めようとしてぶん投げられ眼鏡の白人系美少女に名前を呼ばれ、思わず答えてソコから先の記憶が完全に「飛んで」いる。
いや、正確に言うとぼんやりとはあるのだが、輪郭がハッキリしない。
で、今あるのは破壊され尽くした無人の教室。
目の前には銀髪の少女。
鏡でもあれば、さらに真っ白な埃に頭っからまみれた自分の姿も映っていたかもしれない。
映画で言えば五分ぐらいの時間がすっ飛んでいるような気がする。
しかも、教室の配置が微妙に自分達がさっきまでいた場所と左右逆になっていることに少年は気がついた。
よく見るとここは向かいにある三年生の校舎だ。
「え……えーと?」
確か、目の前の宝塚系な彼女に口づけを受けたような気もする。
訳が分からない。
どうにもこうにもならない記憶の欠落が不安を呼び、少年をますます混乱させていた。
「失礼いたしました、我が騎士」
と銀髪の少女が膝をつき、深々と頭を垂れた。
「己の力で『戦神の調律』を終えられるほどの方にお仕えできるとは、光栄の至りです」
まるでファンタジーものに出てくる騎士が王族に対してするように。
ちなみに、言語は相変わらず「日本語ではない言語」で、薫の耳に我が騎士が「マイ・マスター」と聞こえたのは一種の「特別な意味の翻訳」に過ぎない。
「は?」
こけ、と首を傾げる薫であったが、
「よっこいしょ」
と少女の背後、破壊された教室の壁の穴から、例の鼻かけ眼鏡の美少女が入ってきた。
破壊された教室の壁の淵に、頭に巻いたターバンの隅っこが引っかかる。
「あら」
はらり、と落ちた。
流れるような、という表現がぴったりの金色の髪が溢れる。
それだけではなかった。
顔の横、耳のある位置からひょこっと立ち上がったものがある。
鹿の耳によく似ていた。
「……え?」
薫はぽかんとした。
「あらあら、取れてしまったわ……まあ、いいですわよね。
もう騎士様がいらっしゃるのですから、多少目立っても」
ぽやぽやした口調で言いながら、猫が埃を払うようにひこひこと鹿の耳を動かして、金髪の美少女は頭から落ちた布を拾い上げ、くるくるっと綺麗な筒状に丸めた。
「私の耳はこちらの世界でもやはり目立つようですわね」
むしろ目立つのは耳ではなくその美貌だというツッコミが入りそうだが、少女は鼻かけ眼鏡を直しながらさらに耳の埃を払うようにふるふると動かした。
どうやら、耳は本物らしい。
(えーと……エルフ?)
大ヒットしたファンタジー映画の主役のひとりがたしかそんな名前の種族だったはずだ。
鼻かけ眼鏡の美少女はその外見を持っていた。
「姫様」
金髪の美少女は主らしく、背中を向けていた銀髪の少女は薫と美女双方に失礼がないよう、身体を横に向けて座り直す。
「騎士殿はご無事にございます」
「まあまあ、お久しぶりですカオリ様」
「え?
カオリ?」
てっきり自分の名前だと思っていたらよく似た別の名前だったので、ますます薫は呆然とした。
「ともかく、こんなにもすぐにお会いできるなんてやはり縁は……」
にこにことエルフ耳の眼鏡少女が歩み寄りコケた。
「わ!」
慌てて薫が駆け寄って支えようとして、足下のコンクリの欠片につまずいた。
当然、そのまま抱きつく格好になる。
むにゅり。
視界は真っ暗になり、息が詰まってなおかつそんな擬音が、女装した少年の脳裏に浮かんだ。
「ああっ、ひ、姫様っ!」
銀髪の少女は金髪の少女を助け起こす。
「あらあら、ごめんなさい」
「お怪我は?」
銀髪の少女の言葉に、
「大丈夫、転んだだけですし、カオリ様が支えてくれましたから。
どうも、この世界に来てから眼鏡の焦点が合ってないみたいで」
にっこりと笑みを返した金髪の眼鏡少女……どうもこちらが立場的には上らしい。
「騎士様も大丈夫ですか?」
そして銀髪の少女は同じぐらい心配している貌をこちらに向ける。
「あ、い、いや大丈夫です」
キスされた上に、息が詰まるほどに大きな胸の中に顔を埋めるという、これまた人生初の経験をした少年は、思考停止寸前のぼんやりした声で呟くように言って、何度も頷いた。
「ああ、でも思い出しますわ、確か最初にお会いした時も、私が転んでカオリ様の上に」
懐かしそうに金髪の美少女は微笑んだ……こうしてみると、少し薫よりは年上らしい。
「でも、今回も助けていただいて、本当にありがとうございます」
と頭を下げた。
「いや、助けて、って僕はまだ何も」
混乱しすぎていて、薫がモゴモゴしてると、
「姫様、埃が」
銀髪の少女が慌てたように懐からハンカチを取り出してパタパタと、金髪の美少女の服に付いた汚れをはたき落とす。
その途端、真っ白な背中が薫の目の前に晒された。
先ほどの銀髪の美女エストの鞭で引き裂かれ、みみず腫れが走っている……と思いきや、そのなめらかな肌には傷ひとつなかったが、それを疑問に思う余裕もなく、慌てて薫は目をそらし、真っ赤になった。
大きく裂けた背中の向こう側に、巧妙な着こなしで隠しているらしい豊かな膨らみの一端が見えたからだ。
「あら、白だとやはり汚れが目立ってしまうわねえ」
のんびりと「姫様」と呼ばれた金髪の少女は溜息をつく。
「でも、やはり姫様には白がお似合いです」
「ありがとう、シャルロット」
そういって主従はにっこりと笑みをかわし合う。
どうやらかなり息のあった仲であるらしい。
微笑ましいそんな美少女同士のやりとりを少年はぼんやりと聞いていたが、
「お巡りさーん、あっちですー」
野次馬か誰かの声が聞こえ、はっと我に返った。
「お、お巡りさん?」
周囲を見回す。
教室の中はいろんな意味で爆弾が爆発したような状況である。
天井は落ち、壁にも床にも切断された岩の破片が突き刺さり、コンクリの壁も切り裂かれている。
被害者面も傍観者の顔も出来ないのは、その原因の半分……いや、三分の一は自分がしたことで。
しかもそれは恐らく今、窓とか廊下で鈴なりになって事の成り行きを見ている生徒や文化祭の客達がはっきり目撃しているからどうしようもない。
騒ぎを起こした、お巡りさんに捕まる、死刑。
などという小学校低学年レベルの方程式が脳裏でけたたましいサイレン音と一緒に明滅する。
「ど、どどどどうしよう」
わたわたとその場で右往左往する少年をよそに、
「しかし、間一髪で契約が間に合ってようございましたわ……あら?
どうなさいましたの?」
とエルフ耳の金髪少女、ニファーリアが首を傾げた。
「ああ、多分『契約』の際に起こる記憶の空転ですね……カオリ様、ご安心下さい半日もしないうちに全て『思い出し』ますから」
サイレン音が聞こえていないのか、それとも意味を知らないのか、主従ふたりの美少女達はむしろアタフタし過ぎて飽和状態の薫を心配するように声をかけた。
「い、いやあの、えーとつまりその」
どう説明していいのかまるっきり判らなくなっている薫だったが、ちょうどそこへ
「薫君、生きてる?」
教室に息せき切って斎京楓が飛び込んできた。
「うわ……こりゃ酷いわ……」
一瞬、崩壊しきった教室の惨状にたじろぐが、
「あ、斎京さん」
ぽかんと間抜けな声が出た薫を見ると、すぐに思考を切り替えたらしく、
「何してるの!
お巡りさん来ちゃうわよっ!」
と叱咤した。
「ここはアタシが引き受けるから、さっさと逃げなさい」
そう言って、今朝方少年が着替えを入れたバッグを放り投げる。
「あ、ありがとう!」
色々困ったクラスメイトではあるが、指示は正しかった。
「そ、そうだよね、とりあえず逃げないと!」
メイド姿のまま、薫はとにかく逃げ出すことにした。
「正門も裏門もダメ、今なら体育倉庫の裏から出て!」
「どっちの?」
「古いほうに決まってるでしょ!」
「わ、わかった!」
とにかくサイレンがドンドン近づいてくるのだから仕方がない。
「あの、カオリ様、どうなさったんですか?」
金髪の少女が、鹿のような耳をぴこぴこさせながら不思議そうに問う。
「いやあの、この状況だと非常にマズいんですよ、だってこんなに物が壊れて、そのえーと何か色々爆発したみたいになってて」
「ああ、それならこういう戦闘ではままある話ですわ、大丈夫、私がナントカいたします」
「そうです、姫様はこの手の交渉や魔法には長けておられますから」
銀髪の少女も頷いて請け合った。
「そうそう。
だってそのための第四王女『調停姫』ですもの」
「いやあの」
どう見ても、コスプレ高校生みたいな浮世離れも甚だしいふたりである。
とても警察相手の交渉とか、その後始末とかが出来るとは思えない。
(しかも『魔法』だって?)
確かに現在、常識の通用しない状態には突入しているが、流石に「魔法」という言葉を額面通り受け取れるほど、少年も浮世離れはしていない。
トラブルの原因ではあるが、善人っぽくもあるし、置いて逃げるのは男として、というか人としての矜持があった。
「と、とにかく今はここを離れるんです!」
「あらあら、カオリ様?」
薫はなりふり構わず、近くに立っていた金髪&鼻かけ眼鏡の美少女の手を引っ張った。
「こっち!」
わたわたと走り出す。
「あ、いや……き、騎士殿!」
「あ、お待ちになってくださいな……」
銀髪の少女と金髪の少女の声も耳に届かず、とにかく少年はこの場から離れることを最優先事項にして全力でふたり分の体重を引っ張った。
白いマントを翻しながら引きずられるように金髪の少女、その後を追って銀髪の少女と続く。
「仕方ないですわね」
ぽつりと少年だけに理解できる異国の言葉で呟いた金髪の少女が、空いた手の人さし指を立ててちょいと振り、その指先から僅かな光が拡散したが、薫は気づく余裕もない。




