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がっくりと、薫は膝を突いた。
高々と空中を舞った剣がその身体の横すれすれに深々と突き刺さる。
薫は右肩を押さえていた。
神の鎧の隙間を貫いて、サーシャの細薄剣が肩を貫いている。
押さえた指の隙間からどくどくと血があふれる。
「!」
ニファーリアが、真衣が、口元を押さえた。
薫が膝を突き、肩を押さえて血が滴っている。
シムトは呆然とし、エストは唇を噛んで、それでも視線を外さない。
「カオル様!」
ニファーリアが飛び出そうとするのを、楓とエストが左右両側から肩を掴んで止める。
「ダメよ」「駄目です!」
息わずふたりとも言葉が重なった。
「でも!」
抗議するニファーリアの前で、楓とエストは、生まれたときから同じく育った双子のように同時に首を横に振る。
「戦いは、まだ終わっておりません、それに」
エストの言葉を引き取るように、
「大丈夫よ、ニファーリア」
楓が言い切り、ふたりは頷く。
「薫君は、こんなことで負けたりしない」
楓の、空いた方の拳が白くなるほどに握りしめられているが、傲岸不遜そのものの腐女子少女は、それをそっと己の身体の陰に隠した。
その指の間から、薄いしなやかな刃が伸びていた。
「私の勝ちだな」
薫の肩を貫いてサーシャがそう呟いた途端、薫の籠手に包まれている左手が、フルーレの刀身を掴んだ。
「見苦しい!」
サーシャの手のひらが少年にかざされる。
「カオル様!」
大地母神の防御結界の向こうから、何が起こるか悟ったニファーリアの悲鳴にも似た叫び。
サーシャの手のひらから炎の奔流が迸り、少年の身体を焼く。
およそ二十秒ほども奔流は続いただろうか。
人型のたいまつになり、少年は燃え……立ち上がった。
「な?」
「言っただろう?」
フルーレの柄から思わず手を離したサーシャに、薫は言った。
炎の中から出てくると、少年の衣装も肉体も焼け焦げひとつない。
「僕は風を使うんだ。
風は焔と相性がいいって教えてくれたから、それで思いついたんだよ」
「な!」
「風はね、時によっては炎を吹き消すことも出来るんだよ?」
そのまま、フルーレを抜かず、薫は両手をだらりと下げて歩き始める。
思わず、サーシャは後じさった。
「!」
そのことに気づいた仮面の騎士は、声を張り上げる。
「なめるな!」
高圧縮し、加速した対流する空気、つまり風を身体の周囲に張り巡らせて炎を避けた、と気づく余裕はサーシャにはなかった。
「くそ、この!
死ね!」
両の手のひらから、炎の塊が次々と打ち出される。
それを、薫はただ黙って受けた。
(これ、いつまで受けているのじゃ、カオルとやら!)
少年の脳の中でチビバルが大声をあげる。
(騎士殿、無茶です!
剣だけでも肩から抜いてください!)
シャルロットの声も、薫は耳を貸さなかった。
右肩の痛みはひどい。
出血が続いていて、六割程度まで落ちた戦神騎士の能力ではたとえこの戦いが終わってもしばらくは治癒しきれない。
だが、その痛みは、今の薫には必要だった。
(そうしないとサーシャの覚悟に太刀打ちできない)
自分には仮面の騎士ほどの覚悟も、意地もないかもしれない。
だけど、止めなければならない。
サーシャと同じ方法ではなく、自分のやり方で。
それが直感なのか、理性の下した判断なのか、薫本人にすらはっきりとはしない。
判っていることは「それがいい」と自分が納得していることだった。
「くそ、神の力というやつか!
戦神騎士は死なないからか!
やはりお前には度胸なんかないんだ!」
叫びながらサーシャは次々と炎を打ち出した。
その勢いがどんどん弱まっている。
「この!」
サーシャの拳が薫の顔面にぶち込まれた。
顎を引いて額で受ける。
後頭部まで突き抜けるような衝撃に、足下がふらつくがそれでも前に出る。
サーシャが右肩の剣を引き抜こうとするのを、薫は手首を掴んで止めた。
サーシャの仮面ごしに、その目を覗き込もうと薫は顔を上げる。
相手の肩が、びくりと震えた。
手をふりほどこうとする黒革の手袋につつまれた手首を恐ろしいほどの力で握りしめると、サーシャは空いた手を無茶苦茶に薫の頭に振り下ろし始めた。
「ダメだよ、 サーシャ」
寂しい声が出た。
この剣の主は、助けられたらちゃんと礼を言う、そんな相手だ。
自分に対して警告をしてくれる相手だ。
この状況でも相手を自分と同じ「騎士」として蹴り飛ばしたりはしていない。
なのに。
「こ、この、離せ!
お前は、自分が何をしているのか知らないんだ!
これは世界のために必要なことで……」
薫を殴るサーシャの声が裏返っている。
動揺し、混乱している。
でも、まだ自分の信じるものを振りかざそうとしていた。
(どうしてだろう?)
傷と、持続的な魔法の展開による体力消耗で、そろそろぼうっとしてきた頭の一部で薫は思う。
悪い人ではないはずなのに。
なんでこんなに凝り固まっているのか。
そしてどうしてこんなに簡単に人を傷つけられるのか。
なぜなのか。
訊きたいが、訊いてもわかる話ではないとも判っている。
だから、止めるしかない。
相手のやり方ではなく、自分のやり方で。
この世にルールはひとつしかないわけではないと。
(戦うのじゃ、カオル!
もうこれ以上魔法を維持出来ぬ!
出血がひどすぎる!)
(カオル様、指輪の効力も、もうすぐ切れます!
その上で攻撃を受けたら!)
(ごめん、シャルロット、それにチビバルだっけ?)
薫は口の中で呟いた。
(こんな風に説得するしか、思いつかないんだ。
だからふたりに頼みがある……何も言わないで、このまま、やらせて欲しい)
「この……っ!」
最後にとうとうサーシャは薫を蹴り飛ばした。
同時に靴底に圧縮した炎を爆発させる。
薫はごろごろと転がり、ジャングルジムにぶつかって止まった。
「この……」
ついでにようやく引き抜いたフルーレを手に、 サーシャは薫を無視して踵を返した。
「し、シムト王子……お覚悟を」
異様な状況に、サーシャの声が大きく揺らいでいた。
もう、この状況を終わらせたい一心の声だ。
「くそ……」
一歩、踏み出したその足が止まった。
気配を感じたのだ。
振り向くと、そこには幽霊のような薫が立っていた。
チャイナドレスはすでに本人の血と埃にまみれて、薄汚れ、髪の毛も乱れ、先ほどの殴打で痣が出来ている。
足下もふらついていた。
その場にいた誰もが声もない。
「仕方がない」
冷たい声で、薫は言った。
「僕は、君のその仮面を斬る」
「馬鹿を言え、そんなことが出来るものか」
せせら笑うサーシャの声の裏側には恐怖に近い感情がべったりと張り付いている。
この魔法騎士のあやつる魔法の威力は連発しすぎて下がっていた。
そのことに気づいたのだ。
この上「杖」である仮面をもし、破壊されれば、次の魔法を打つ余裕はない。
まだ薫には魔法が使える分だけ有利になる。
「ハッタリを言うな。
この仮面は呪物だ、過去千年にわたって持ち主に与えられる魔力と引き替えに視界を封じ、運命をねじ曲げる『へステカの眼封面』、これまで破壊どころか傷ひとつ入らなかったものだぞ!」
「でも、斬る」
薫はひるまなかった。
焦りが、不安に変わり、不安を糊塗するために大声が出る。
「良かろう、私も覚悟が出来た、お前の首を刎ねてやる!
どうせ戦神騎士だ、死にはすまい!」
そう言ってマントを翻し、サーシャは両腕を交差させてフルーレを構えた。
横殴りの一閃で薫の喉を切り裂くつもりなのだろう
薫は両手に剣を握り、思いっきり背中に振りかぶる。
細身の刀身がぴったり背中にくっついた。
薫の周囲に風が舞い始める。
サーシャのフルーレの切っ先が真っ赤に灼熱し、次に白く輝き始めると、その周辺の空気が揺らぎ始める。
「焼き切ってくれる」
そして、ふたりは動いた。
先ほどとは違う、小さな、しかし、はっきりとした金属の音。
次に地面を震動が走り、土柱が爆発したようにあがった。
ふたりの影は、今度はすれ違わなかった。
薫は剣を振り下ろし、刀身半ばまで土にめり込ませ、サーシャは交差していた腕を思いっきり左右に開いていた。
静寂が、戦いの場を支配し。
薫が顔をあげ、薄く徹笑んだ。
痣だらけの顔、切れた唇から血を流しつつ。
そして、少年は呟いた。
「僕の、勝ちだ……魔法は使えないよ」
割れる音ではなく、ずれて、外れる音。
光のような線が、サーシャの仮面に走った。
「!」
違う。
それは見事に切断された仮面の装甲がずれた、断面の輝きだった。
顔に刻まれた紋章が、魔法による効力を失って消え去る。
その瞬間、サーシャの仮面は真っ二つに分かれた。
仮面の中に押し込められていた髪の毛が、三度吹き抜けていく風になびき、広がる。
「な……」
真っ赤な唇が、呆然と開かれた。
思わず手を顔の前にかざし、弱い冬の光を遮る。
「僕は、君を殺さないし、君に殺させないよ」
薫は痛みの中、左手で剣を握り、それを支えに立ち上がった。
そこには……
「え?」
間抜けな声が、ふたつの口から同時に漏れた。
薫と、サーシャ。
それも道理だった。
呆然と、薫がサーシャを見ている。
サーシャも、薫を見ている。
だが、身に纏う衣装と、髪の毛がわずかに薫の方が長いという以外、両者の違いは目鼻立ちの上からは見られない。
むしろ、鏡か、等身大の写真を向かい合わせたような。




