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「私があなたにお願いしたいのは、ただの亡命ではないのです」
日本の個人の家屋の、と考えれば豪華だが、ヨーロッパ的にはさほど広くはない十畳ほどの応接間のソファーに座り、向かい合わせになったシムトの顔はやや固い。
数分間の当たり障りのない会話……その中には前回の国交決闘のことや、この前のクーデター騒動のことも含まれる……のあと、早速シムトは切り出した。
「はい」
居住まいを正して、ニファーリアは薄い笑みを浮かべた。
外交の時にはこれが鉄壁の鎧となる。
「その……つまり」
一方、騎士の強さでぬきんでてはいるものの、大国にありがちな完全な役割分担により、ほとんど外交というものの経験のないシムトは、逡巡の中にいた。
ニファーリアは構わずにただ、待つ。
やがて、ようやく言葉の整理がついたシムトが再び口を開いた。
「私は貴国に亡命し、貴国に承認していただいて、旧タイハン帝国の生き残りとして、亡命王宮を設立したいのです」
そこまで言うと、シムトはよどみなく言葉を続けることが出来た。
「王宮と言っても建物は要らないのです、私と供の者ふたりがいられる場所があり、貴国が認めていただけるのであれば、そこは王宮になります。
そして、そこで私はタイハンに残る志ある者へ呼びかけ、再びタイハンをあの……さ、簒奪者の手から、奪い返す、そう考えているのです」
「よろしいのですか?」
ニファーリアは、静かに言った。
「私の国があなたをこっそり暗殺して、亡骸を新しい国王のもとへ送るかもしれませんわ?
それに、ソグディアナは小さな国です。
国力とて、影響力とてないでしょう」
「いえ、ソグディアナは外交上、決して小さな国ではありません。
私も考え、選び抜いた結果です」
「しかし……」
「私も馬鹿ではないのです」
シムトはまっすぐにニファーリアを見つめた。
「あなたが調停王女についてから百五十年以上、ソグディアナは国交決闘では負けたことがない。
さらに言えば領土を失ったことも、得たこともない。
常に代価は金銭のみ。
そして……国に対し、ある程度の発言力を保ったまま、暗殺もされずに生きている調停王女は我がタイハンにもいない。
あなたは国交決闘の回数の五倍以上、その前段階で戦いをなかったことにしている」
「つまり、後で無理難題をふっかけるほど欲が深くなく、小さな国故、ということですか?」
「はい」
素直にシムトは頷いた。
「なぜなら、私は必ずしも何かを得られるわけではないからです。
ないものを餌にして、人に何かをして貰うのは詐欺師のすることですから」
「まっすぐですのね」
「いえ、人に頼るときにはすべての手札を見せて、憐れみを請おうという浅ましい思慮の行き着いた果てのことです」
恥じらうようにシムト。
「でも、兄上なのでしょう?
あなたの」
「はい……しかし、私は子供まで処刑した兄のやり方が許せません」
膝の上で、シムトの拳が握りしめられる。
「私は、このまま逃げてしまったら、一生見も知らぬ子供たちの末期の声におびえて生きると思います……兄を倒しても、おそらくそうなるでしょうが、それならば、まだ兄の声が子供達のほうをかき消してくれるでしょう」
凄惨な言葉だが、不思議なほどにシムトの表情は静謐だった。
ニファーリアの鉄壁の微笑みが崩れ、心底からの痛ましい顔になった時。
「なるほど、やはりそうでしたか」
戦場で指令を伝達するために生み出された「拡声」の魔法によって一方向にのみ増大された声は、小さな結界ギリギリの外……庭から聞こえた。
「なるほど、やはりそうでしたか」
風にはためくように庭の片隅の風景がゆがみ、仮面とマントを身に纏った細身の騎士をはき出す。
「!」
エストは愕然としながら、それでも腰の剣に手をかけた。
「貴様……どうしてこの場に」
エストは結界の外にまで注意を向けていたはずなのだ。
「簡単だ、君たちをずっとつけていた」
鼻で笑うサーシャの声は、薫が聞いたどこか真面目なあの声ではなく、冷笑的で、皮肉と人を見下す傲慢さで満ちていた。
慌ててシムトが駆けつけ、それを追う形で薫とニファーリアも縁側までやってくる。
サーシャの仮面がシムトの気配を感じ、そちらを見るように頭を動かした。
「シムト殿下、私たちは警告いたしました。
ダリアム陛下に逆らうことはならない、と。
この世界にいる限りは命を保証するというのはそういう意味でもありますよ?」
「判っている」
シムトは決然と仮面の魔法騎士を見つめた。
「だが、兄上は子供まで殺した、それは許せぬ」
「愚かなことを……簒奪者の血筋を、絶やしただけのことではありませぬか。
後顧の憂いを断つのは彼らさえしたこと」
「兄上は、それを否定していたはずだ!」
シムトの声は血の叫びだった。
「兄上は、兄上は……」
「ならば申し上げましょう、シムト殿下。
もはやダリアム様はおられません。
今、タイハンの支配者はラシューム・ジャルマー・タイハン二世陛下」
「……!」
「そして、ラシューム陛下のお志を無に成された以上、あなたこそが反逆者」
すらり、とサーシャは腰から細薄剣を引き抜いた。
きらめくような細長い刃の切っ先をシムトに向ける。
「お覚悟を、殿下」
ひどく、その声は楽しそうだ。
「でも、どうやってここへ来るつもりだい?」
エストが営業用の嘲笑を作りながら大剣を構える。
「ここは今、国交決闘の真っ最中ってことになってるんだ、手を出せばお前も死ぬ」
「知っているさだが、私にはこれがある」
言って、サーシャは懐から筒状に巻かれた羊皮紙を取り出し、手首のスナップでそれを広げた。
「ここに私の名によって発効する書状がある。『本日、ただいまよりシムト・ルスティ・ド・タイハン第四王子からタイハンの姓を召し上げ、同時に調停王子の任を解く』と!」
全員の顔色が変わった。
新国王であるダリアム、いや、ラシューム・ジャルマー・タイハンはここまで読んでいたのか、と。
サーシャの声は主の先見の明を誇るがごとく、得意げに響いた。
「この場を作りたまいし契約神にもの申す、故にその中にいる者は調停王子ではなく、これは国交決闘ではない、即座に結界を解除なされよ!」
結界の薄い輝きが解除された。
悠然とサーシャが前に出る。
「さあ、思い直すなら今のウチだ」
サーシャは大きく両手を広げた。
「君たちを殺させないでくれたまえ……かつての、とはいえ王族の血で剣が汚れるのは好かないからね」
その言葉がまだ言い終わるか、終わらないかの瞬間に、
「王女様、ウチの殿下をお頼みします!」
言い捨ててエストが疾る。
「うおおおおおつ!」
国交決闘ですら聞かなかった雄叫び。
「愚か者!」
サーシャは黒革の手袋に包まれた左手を突き出した。
「火球!」
巨大な炎の塊がエストの目の前に出現し、彼女を包んだ。
しなやかなボンデージ衣装の肢体は炎に消え……なかった。
裂帛の気合いが薫のそばの窓ガラスにぴしりとひびを入れ、次の瞬間火球は切り裂かれた。
下から上へ斬り上げて、エストはさらに進む。
そこへ、嵐のようなサーシャの「突き」が襲ってきた。
戦神騎士の能力を停止された薫には、サーシャの手首が消え、同時にエストの腕も消え、無限の火花が散ったようにしか見えない。
不意に、攻防戦は終わった。
「ぐあっ!」
肉と肉のぶつかる音は、エストが空中に飛んだ後から聞こえてきた。
「危ないっ!」
そのまま薫たちの所まで転がってきたエストを、薫はかろうじて抱き留めた。
「あか」
エストは右腕を押さえた。
ボンデージな衣装から露出した方のラインのバランスが崩れてる、と薫は気づいた。
首から肩、腕に流れていく造形が、肩と腕のつながるあたりでゆがんでいる。
骨が折れているのだ。
右手から大剣が地面に落ち、みるみる右腕の付け根がどす黒くなり、薫は呆然と顔を上げた。
肘打ちの体制から、サーシャは身を起こし、再び剣を構えるところだった。
「カオル」
サーシャの声が不意に柔らかくなった。
フルーレの切っ先が下がり、身体の横に移動する「突く」のが基本のフルーレにとって、それは「一時休戦」の意味でもあった。
「以前、警告はしたな?」
信じている、とその声が言っていた。
「私はその主従を始末せねばならない……ソグディアナの姫よ、あなたも賢明なるひととお聞きしている。
どうか、手を引いていただきたい」
そして、だめ押しとばかりに薫に言った。
「私には覚悟がある……君を倒してでも、私は主の、ラシューム陛下のためにそのふたりを始末せねばならない。
君に彼らを守らねばならない理由があるのか?
理由がなければ、覚悟は出来ないぞ?」
兄が弟に、あるいは親友が道を誤りかけている相手に対して言うような、それは真摯で柔らかい言葉。
「……」
少年は目を閉じた。
「いいんだよ……坊や」
薫の腕の中から、エストは立ち上がった。
「殿下、疾くこの場からお立ち去りください」
大剣を左手に持ち替える戦神騎士としての能力が使えない以上、どちらの手で握っても武騎人はただの武器であるので、問題はない。
「馬鹿を言え」
そう言って、 シムトは朗らかに笑った。
「お前たちが私の最後の家臣だ、家臣を見捨てて己だけが生き延びることを、この私がするとでも思うのか、見くびるな」
そして、ニファーリアを見やり、
「ニファーリア様、亡命の話、反故にしてください。
これ以上、私の意地にあなたたちをつきあわせることは出来ませんから」
「……いいえ」
きっぱりとニファーリアは言った。
「私はタイハンとことを構えるつもりはまだありませんが、このお方は私の客人です、そしてここはかりそめとはいえ私の領土の一部。
たとえタイハンの騎士とはいえ、無法かつ、無礼勝手な振る舞いは許しません」
そして、薫の方を向く。
「カオル様、私はわがままを言います、お聞き届けくださいますか?」
縁側に立ったニファーリアは、必然、庭に下りた薫にとっては見上げることになる。
その顔は、いつもの同じ目線で見る彼女とは違い、気高くて、凛とした美しさがあった。
(そういえば、シャルロットのご主人様なんだよな)
頭の片隅で、薫は納得する。
「私は、この方たちを客人として保護します……命がけで」
「おやめなさい」
サーシャは目上の者に対して最低限の……つまり王族に対しては不遜きわまりない声で言った。
「あなたは大地母神の神官でもあるのでしょうが、大地母神は他者を攻撃するための魔法を持たない」
「ええ、ですが、癒す魔法はいくらでもあります……騎士エスト、申し訳ありませんが、これからあなたではなくカオル様を優先せねばならないので、しばらくそのままでいてください」
そう言って、ニファーリアもまた庭に下りた。
「カオル様、戦ってくたさい……どんなに傷ついても、私が命を賭けてあなたを治します」
「なんとまあ」
呆れたらしく、サーシャは肩をすくめて見せた。
どうやら、「抵抗」を決めた自分たちに対して怒っているのを隠しているらしい、と薫は見当をつける。
「なんというお姫様であらせられることか。
苛烈にして公明正大、そして……狂気の淵にあられる。
治癒魔法は、相手が首を落とされても効果を得られますかな?」
無言で、ニファーリアはサーシャを睨んだ。
「さあ、ソグディアナの騎士、カオル。
君はどうする?」
サーシャの問いは、薫自身の覚悟を聞いていた。
顔見知りを、場合によっては殺せるか、否か。
それ以前にあのエストを苦もなくひねる相手に、自分がたとえ、剣の切っ先を一ミリでも食い込ませることが出来るかどうか。
「カオル、君はどうする?」
声だけはそのままに、威圧が加わった。
「!」
自分の身体が地面にめり込むような錯覚を覚えるほどの重々しい殺気。
いつもの自分なら……いや、ニファーリアと会う前の自分ならとっくに逃げ出すか「ごめんなさい」を口にするか、それ以前に失神しかねない凶悪で、黒い意志の暴力。
身体が強ばる。
「死」が目の前にあることを薫は理解した。
いまならまだ、間に合うかもしれない。
心の底で、一番嫌いな、そして一番賢い自分がそう囁く。
「僕は……」
少年は、剣を握りしめた。




