53
「はうぅ……」
ふらふらと、戦乙女は槍を杖にして歩いていた。
鎧はベコボコになり、羽も汚れたり抜け落ちてたりする。
「はらが……へった……まんま、たべたい……」
舌の呂律も回らなくなっているようだ。
「まんま……まんま……」
何とか野良犬から逃れたものの、色々使い果たしているようである。
夕暮れの住宅地に、いつの間にか二頭身は迷い込んでいたが、ちょうど夕食の準備時間、人通りはない。
「ほへ……ふあ」
あちこちからカレー、焼き魚、脂のはじける音、まな板に包丁があたる音が響く。
ぐぎゅー。
小さな腹が、切ない音を立てた。
くんくんと、すっかり小さくなった身体に合わせた鼻をひくひくさせながら、戦乙女は歩いていた。
風が吹く。
その風に押されたように、 二頭身の縫いぐるみ状態になったヴァルキリーはのたのたと偶然開いていたある家の門をくぐった。
表札には「斎京」とある。
広い庭先をさまよううち、こて、と異世界の戦乙女は倒れた。
「きゅう」
うめき声とも悲鳴ともつかない声をあげて、目を閉じる。
空腹のあまり、失神してしまったらしい。
その上に影がおちた。
はっはっはっ、と舌を出して、ゴールデンレトリバーの血が混じった「メケメケ」と名付けられた大型の雑種犬は、自分の首輪につながったロープギリギリの所まで来て、ひょい、とヴァルキリーの襟首をくわえると、「ごしゅじんさまにほめてもらうものがみつかった」という風情で、意気揚々と自分の犬小屋へと引き返していった。
「私は、反対です」
断固としてシャルロットは主張した。
あれから、飛んで帰ったシャルロットは、薫が帰宅していたのを幸いに「緊急会議」を招集したのである。
場所は正座に慣れていないふたりのために応接間である。
薫の祖父母はすでに旅行に出発しているので、相談するわけには行かなかった。
シャルロットは薫と対面するように座り、ニファーリアは双方を左右に見渡す奥の席に腰を下ろしている。
夜は少し冷えるようになっていたが、エアコンなしでもドアを閉めると、三人の体温でちょうどいい温度になった。
「今まで我らと戦っていた者が、内乱が起きたからといって助けを求めるとは!
聞く耳を持つ必要はないと思います!」
「……」
ニファーリアは小首を傾げて目を閉じ、何も言わない。
「カオル殿もそう思われるでしょう?」
薫は、別の意味で黙らざるを得ない。
(そうか……サーシャ君が言ってたのは、このことだったんだ)
いきなり現れた「敵」ではなく、「顔見知り」と戦うことになりかねない事実は、薫を考え込ませるには十分だった。
「とにかく、拒絶するべきです!
第一内乱で彼らが亡命するということは本来の王族は敗北したという証拠です!
そうなれば、新しいタイハンとことを構える羽目になります!
私は反対です!
絶対に!」
「シャルロット」
静かにしなさい、という意味も込めて、ニファーリアが口を開いた。
「もう少し落ち着きなさい。
これは私たちだけで判断すべき問題ではありませんよ?」
静かだが、有無を言わせぬ「公人」としての口調だった。
「……は、で、出過ぎたことを申しました」
はっと我に返ったシャルロットが慌てて平伏する。
「あなたにとって、複雑な思いがあるのは判ります、肉親のいる調停王子と戦神騎士を受け入れることは『身びいき』ではないかと考えていることも。
でも、だからといって断固拒否といいうのいは飛躍が過ぎます」
「は……はぁ」
シャルロットの顔が赤くなる。
どうやら図星だったらしい。
「カオル様は、どう思われますか?」
「え?」
急に話を振られて、薫は慌てた。
ちなみに、シャルロットにはサーシャの件は話したが、ニファーリアにはまだだ。
シャルロットがそのうち折を見て話してくれるだろうと思っていたが、どうもまだのようだと表情と雰囲気から瞬時に判断する。
「僕は……」
喋るべきだろうか。
だが、それはニファーリアにとって良いことなのかは別の話になる。
さらに言えば「個人的な知り合いの話」をするのは卑怯のような気がした。
それこそ先ほどのシャルロットではないが「身びいき」という重りを天秤の上にのせるようなものではないのか……いや、違う。
(むしろファリイが心配するのは僕のほうか)
この優しい王女なら、薫の身を心配して天秤を傾けるかもしれない。
心が重くなった。
考える。
素人の薫にも、この状況がかなりきわどいことはぼんやり理解できた。
大国が倒れて、その生き残りをかくまう、というのが場合によっては敵対行為になる。
そして、ニファーリアたちの国は小さな、力の弱い国だということ。
国交決闘になればそのへんは自分が頑張ればいい。
が。
国交決闘の場でしか、薫は戦神騎士としての力を振るうことは出来ず、サーシャのような魔法騎士はそうではない。
自由に空を飛ぶ、「焰」使い。
かつてのエストのように、国交決闘が成立する前にこちらへ攻撃を仕掛けてきたら、薫に防ぐことは出来るだろうか?
薫の中に戦神によって入力された知識では、かかる事例に該当する部分はない。
その不安が、ニファーリアに「拒絶」を選択させたとして、彼女はそのことを後悔しないだろうか?
するに決まってる。
これまでのつきあいで「他人を見捨てる」ことを是とはしない人なのは判っていた。
目を閉じて、自身に言い聞かせるように、
(シャルロットにもファリイにも、今日のことは黙っていよう)
そう決意した。
息を吐いて、吸う。
少しおいて、少年は努めて軽い口調で、
「ファリイの判断に任せるよ、僕は騎士だから」
そう言って微笑むことが出来た。
仮面の騎士の顔が脳裏に浮かぶ。
(どうやら、謝らなくちゃいけないなあ……その程度で済むわけないけどさ)
しばらく、ニファーリアは鼻かけ眼鏡を外してティッシュで汚れをぬぐいつつ、目を閉じてじっと考え込んでいたが、やがて目を開けた。
眼鏡をかけ直す。
「今、私たちは国交決闘の規則によりソグディアナ本国の指示を仰ぐことはできませんでん……ですから、ここで独自の判断をせねばならないと思います」
携帯電話をサイドテーブルの上に置き、ホテルの部屋に付属している電話の前に椅子を置いて腰を下ろしたまま、アドネは待っている。
時折、長い足を組み替える以外はまるで彫像のように。
「まだ、来ないのかい?」
風呂上がりのエストがタオル地のガウンを羽織ったまま尋ねた。
「あ、はい……すみません、今すぐ湯上がりのご用意を」
「いいさ、自分でやれるよ」
ひらひらと手を振って、エストは微笑んだ。
「しかし受けてくれるかねえ?」
「判りません。
ですが、私は五分五分いえ、四分六で受けるほうに賭けます」
「妹がいるからかい?」
「いえ、色々分析した結果です」
「そうあってほしいね……でもなければ、シムト様のお心が無駄になる」
そういって、エストは痛々しい目で自分たちの部屋のドア、そのさらに向こうにあるシムトの部屋を見透かすように言った。
「高貴たる義務、か」
翻訳魔法は、その単語を、フランス語として翻訳した。
室内の灯りも灯さぬまま、シムトは机に向かい、じっと手元を見ている。
組み合わせた手のひらの中に、銀色の指輪。
それは、シムトに贈られた魔法の指輪。
兄、ダリアムからだ。
あの世界において己の命と私生活を守るために彼女が十二歳になったときに与えられたものである。
「私たちのような【都合よく賤しい血】の王族は兎のように生きねばならない」
そう言って兄はこれを与えた。
王族とはいえ、魔法装具の類を簡単に調達できるわけではない。
「私はふたつ持っている……亡くなった私の兄のものは私が使う、お前は私のものを使うがいい」
驚く少女に、腹違いの、そして同じ「平民の血」を引く王子は微笑んだ。
あれはシムトがまだ八歳の頃。
ダリアムは十二歳の頃だ。
初めて食事に毒を盛られ、かろうじてそれを避けたものの、毒を仕込んだ人物が自分の乳母たちのひとりと知ってショックを受け、引きこもっていたシムトの所へダリアムは来たのだ。
当時からダリアムは大人びて見えた。
「私は、人を殺さず、殺されずに生き延びる、だからお前もそうなるのだ。
ともに生き延び、老い、他の連中から煙たがられながら天寿を全うするのだ……権力とは縁遠いだろうが、なに、構うものか」
そう言って、まだ言葉の意味の半分も判らない少女の指に、兄は指輪をはめた。
「薬指にはめてしまうと夫婦の誓いになってしまうから、人差し指にはめたぞ」
にっこりと笑う兄の顔を見ながら「夫婦ではないのですね」とガッカリした口調でばかげたことを言ったのを覚えている。
与えられたその日から、決して外したことのないそれを、シムトは外して、手のひらの間に握っていた。
わずかに乱れた髪の毛の間から、少女の哀しい瞳がそれを見つめる。
「兄上……お許しください、とは申しません」
指輪の向こうに、優しく雄々しい兄の姿を見ながら、シムトは呟いた。
「私は、簒奪者を許すことが出来ない。
殺戮者を許すことが出来ない」
その傍らには、分厚い、大きな羊皮紙で構成された本が開かれている。
日本で言えば武鑑と呼ばれるような、タイハンの貴族の階級ごとの家族構成、血脈、紋章などを網羅したものだ。
毎年発行されるこの貴族年鑑とでも言うべき代物は、ほとんどの場合、舞踏会や人事異動でもない限りは開かれることがない。
だが、シムトはこれを開いて、調べた。
「私は、子供を殺すぐらいなら悪魔に魂を売るよ」
従者にあてがわれた少年が命を狙い、それをシムトの機転で退けたダリアムは、そう言ってとらわれたその少年を許した。
驚き、呆れながらも「さすが兄上」と誇らしく思った。
兄がことごと誅戮したという大臣クラスの家の者達の名簿を、シムトは何度目かに見つめる。
子供が十五人、いた。
上は十三歳、下は生後三カ月。
子供すら断頭台に消えたという話は、今日、別の国の調停王女から裏付けが取れた。
その数は十五人。
それが、シムトの決意の数字でもあった。
「……兄上、なぜ」
シムトの呟きは部屋の部屋の中に飲み込まれる。
「……」
その呟きを耳にしている者が、いた。
サーシャである。
昨日の訪問時に、密かに「盗聴」の魔法を封じた小さな札を、シムトの執務室にあるソファーの足に貼り付けていたのだ。
常時発動するものではなく、サーシャが遠隔で起動し、終了させることの出来るもので、滅多に見破られることはない。
「やはりか、シムト殿下」
彼女いや、彼がたたずんでいるのは場所は潜伏用に確保した教会の一室。
ここも一両日中には引き払う予定だ。
元々荷物もなく、片隅に仮眠用のベッドがある以外、何もない場所である。
護符の発動を終了させ、サーシャは大きな溜息をついた。
「最悪の事態か」
ドアがノックされる。
「どうぞ」
ドアが開いて、温厚そのもののヴァリアルドの気配がした。
「そろそろ食事を買ってこようと思うのだが、好みはどうだね?」
サーシャではあまりにも目立ちすぎるということで、食事や細々とした買い物はヴァリアルドが行ってくれている。
正直言えばサーシャにとって「別に自分でも出来る」ことなのだが、やはり仮面の人間というのはこの世界でも目立つらしい。
「昼間と同じものでかまわない」
この世界で薫というソグディアナの騎士が買ってきてくれたグラタンとサンドイッチが、ここ数日のサーシャのメインディッシュである。
「では、生野菜のサラダでもつけよう」
「大丈夫なのか?」
生鮮食料品を安定して食べられるのは彼の世界においては役人などのそれなりに裕福なものであり、そうそうあちこちで売っている物ではない。
「昼間試してみたがかなりいける」
「……では頼もうか」
うん、と目の細い魔法騎士は頷いた。
「で、どうだね?」
ヴァリアルドの言葉に、
「いや、特に動きはない……ただ、ショックで落ち込まれているようだ」
とサーシャは答えた。
相棒に嘘をついている、という後ろめたさは使命感が押しつぶしてくれる。
陛下のためにならぬものは、たとえ誰であろうと「処置」せねばならない。
それが自分の存在意義なのだから。
「そうか……ダリアム様、いや陛下も仰っていたが、根は優しいお方だそうだからな。
だが、今そんな状態なら兄である陛下に敵対はせぬであろう」
「ほう、なぜだ?」
相棒の慧眼に驚きが表面に出そうになるのを何とか誤魔化しながらサーシャは訊いた。
ひょっとしたら、自分が何を聞き、命令を自分なりに「解釈」していることもこの男は気づいているのだろうか?
「もしも敵対するのであれば、とっくに準備を始めているだろうからな……外交とはそういうものだ」
だが、サーシャの動揺とは裏腹に、ヴァリアルドは本気でこちらの言うことを信じていて、疑ってもいないようだった。
(この男は裏表がないからな)
感心したように、サーシャは頷いた。
後ろめたさを、仮面が隠してくれているのがありがたい。
「確かに、その通りだ」




